8 千代紙と一分銀
人の優しさは、ときに形を持つ。
それは折り鶴だったり、たった一枚の銀だったり……。
「水絵姉ちゃん、これお礼にあげる」
帰り間際、千代が差し出したのは、千代紙で作られた折り鶴だった。
「綺麗……。こんな綺麗なの、もらっちゃっていいの?」
千代はうれしそうに頬を染めて、こくんと頷いた。
「いいなぁ。おいらにもくれよ」
「折り鶴なんてもらっても、新吉はぐちゃぐちゃにしちゃうだけだろ。千代紙は高いんだからもったいないよ」
のぞき込んで言う新吉を、礼次がたしなめた。
「この紙、千代紙っていうのか?」
「うん。千代の名前の紙だよって、兄ちゃんが買ってきてくれた」
「へぇ、千代の紙かぁ。けど、なんで?」
新吉の疑問に答えたのは、礼次だった。
「確か、山内一豊の奥方さまの名前だったと思う」
「…………誰、それ?」
「山内一豊は、戦国時代の大名だよ」
きょとんとしている新吉は置き去りにして、礼次は水絵に尋ねた。
「そこまでは知ってるんだけど、どうして奥方さまの名前になったのかは知らないんだ。水絵先生は知ってる?」
「ああ……それはね」
水絵は、往来物と仕立屋、両方から得た知識を繋いで子どもに語った。
「奥方さまはね、裁縫が得意だったの。古くなった小袖を真四角に切って、それを組み合わせて新しい小袖を作ったのよ。それが評判になって……」
そこまで言ったとき、水絵の頭にひらめくものがあった。
「水絵姉ちゃん?」
急に黙ってしまった水絵を、新吉が急かした。
「あ、ごめん。ええと……それが評判になって、みんな真似するようになったらしいの。和紙でそれを真似する人が出て来て……」
水絵は、千代紙の折り鶴を掲げた。
「最初に考えた人の名前を取って、千代紙」
ほうっと子どもたちがため息をついたとき、後方から大きな拍手が聞こえた。
振り向くと、鏡之介が笑いながら、手を叩いていた。
「水絵先生お見事!」
決して茶化すような口調ではなかったが、からかわれたような気がして、水絵の頬がかっと熱くなる。言い返そうと思ったとき、
「すごい。物知りだね、水絵先生は」
真顔の礼次に言われ、思い直した。
「ありがとう。それじゃあ、遅くなるから、みんなもう帰りなさい」
「月之丞って人のことなんですけど……。庫裏にいるあの人になにか聞いても、なにも教えてくれないと思うんです」
後片付けをしながら、水絵は切り出した。今、寺子屋にいるのは水絵と鏡之介のふたりだけだったから。
「そうだな。俺もそう思う」
片付けの手を止めず、鏡之介が答える。
「となると、探りを入れるのは『浅葱屋』のほうか」
「でも、この前以上のことは聞けないと思うんです」
この前探っていたのは花吉のことだったが、仲居を始め、話が聞けそうな使用人には全部当たった。近所の人の話も一通り聞いたし、新しい情報を得られるとは思えない。
「あとは、花吉さんに聞いてみるとか……」
口に出してはみたが、水絵は今ひとつ気が乗らない。花吉が新しい板前の素性を知っていたとしても、それを簡単に明かすとは思えないし、もしかしたらなにも知らないかもしれない。花吉を煩わせることは、千代に心配させることに繋がる。今日、嬉しそうに折り鶴をくれた千代の顔を曇らせることはしたくない。
そんな水絵の気持ちを、鏡之介は忖度したらしい。
「花吉に訊いても、核心に迫る答えは期待できねぇだろうよ。それよりも」
鏡之介は、悪戯をする子どものような顔で告げた。
「水絵が浅葱屋に行って、飯を食ってみたらどうだ? ひとりじゃ気まずいだろうから、おっかさんとふたりで」
「はあああ?」
水絵は、思わず大声を上げてしまった。驚いたと言うより、あきれた気持ちのほうが強かった。
「いくら番付が下がったっていっても、あんな店、わたしたちが行けるはずないじゃありませんか」
行ったことはないが、おおよそいくらかかるかくらいはわかる。水絵親子だけでなく、長屋の住人には縁のない場所だ。
すると、鏡之介はすっと立ち上がり、水絵の目の前に座り、懐に手を入れた。
「な、なんですか?」
「手ぇ出せ」
「はい?」
「いいから、手ぇ出せ」
わからないままに水絵が両手を差し出すと、その手のひらにぽとんと小さなものが落とされた。
「え? えぇ!?」
そこにあったのは、一分銀だった。
「それだけありゃあ、足りるだろ。おっかさんに、うまいもん、食わせてやんな」
「ば、ばかにしないでください!」
叫んだ瞬間、頬がかっと熱くなっているのを感じた。
「そりゃあうちは貧しいですけど、他人様に施し受けるほどじゃありません!」
祖父の冬三が亡くなってからは、かなりつましい生活を強いられている。それでも、母娘ふたり懸命に働き、暮らしている。借金をしたことも、晦日に逃げ回ったこともない。
父である宇多川誠之進が亡くなったとき、跡を継いだ孝之進は、志津に援助を申し出たという。だが、志津はそれをきっぱり断った。水絵はそんな母を誇りに思っている。
「貧乏は、恥ずかしいことか?」
鏡之介は、まっすぐに水絵を見つめた。
「丈夫な体を持つやつが、働きもしねぇで遊び歩いているとか、酒や博打に溺れるとかなら、そりゃあ、恥ずべきことだ。だが、水絵も志津さんも、仕立物や寺子屋の師匠をして、毎日一生懸命働いている。なにひとつ世間に恥じることはねぇ。違うか?」
「違いません。違いませんし、わたしは恥ずかしいと思っているわけじゃありません。ただ、いわれのないお金をもらうわけにはいかないと言ってるんです」
そう答えながら、水絵は、鏡之介が母のことを「志津さん」と呼んだことに違和感を憶えた。母は鏡之介に会ったことはないし、水絵が名前を教えたこともない。祐光師から聞いていたのかもしれないが、「水絵のおっかさん」という方が自然だし、現に今まではそう呼んでいた。
「あの……鏡之介さんは、母を」
知っているんですか、と訊く前に、鏡之介が思いも寄らない言葉を吐いた。
「礼代わりだ……ってことなら受け取ってくれるか?」
意味がわからず、思わず見つめ返してしまったら、鏡之介は照れたように笑った。
「昔……うんと昔だ。袖切り冬三に助けられたことがある」
「祖父ちゃんに?」
「ああ。それで、いつか恩返しをしようと思っていた。だか、もう返せねぇ」
袖切り冬三――水絵の祖父は死んでしまったから。
「代わりに、娘の志津さんに返したい。毎日忙しく働いている志津さんに、たまにはうまいものでも食わせてやってくれ……って、俺からの頼みだ。受けてくれねえか?」
いろいろ聞きたいことはあった。昔と言っているが、いつのことなのか。その時、母・志津は何歳で、鏡之介は何歳だったのか。そしてなにより、冬三は、鏡之介をどうやって助けたのか。
しかし、水絵はなにひとつ尋ねられなかった。鏡之介の廻りには目に見えない幕のようなものが張りつめていて、水絵の問いを完全に拒絶していた。
それと同時に、この一分銀を受け取ってほしいという切実な願いだけは、幕を突き通して水絵に伝わってくる。
「わかりました。母とふたりで、『浅葱屋』に行ってきます」
水絵は、一分銀を手の中で握りしめた。冷たいはずの銀から、鏡之介の熱い思いが伝わってくるように感じた。
折り鶴と一分銀。
小さなものですが、水絵にとっては大きな一歩になりました。
次回、浅葱屋へ――。




