表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/11

8 千代紙と一分銀

人の優しさは、ときに形を持つ。

それは折り鶴だったり、たった一枚の銀だったり……。


「水絵姉ちゃん、これお礼にあげる」


 帰り間際、千代が差し出したのは、千代紙で作られた折り鶴だった。


「綺麗……。こんな綺麗なの、もらっちゃっていいの?」


 千代はうれしそうに頬を染めて、こくんと頷いた。


「いいなぁ。おいらにもくれよ」


「折り鶴なんてもらっても、新吉はぐちゃぐちゃにしちゃうだけだろ。千代紙は高いんだからもったいないよ」


 のぞき込んで言う新吉を、礼次がたしなめた。


「この紙、千代紙っていうのか?」


「うん。千代の名前の紙だよって、兄ちゃんが買ってきてくれた」


「へぇ、千代の紙かぁ。けど、なんで?」


 新吉の疑問に答えたのは、礼次だった。


「確か、山内一豊(やまのうちかずとよ)の奥方さまの名前だったと思う」


「…………誰、それ?」


「山内一豊は、戦国時代の大名だよ」


 きょとんとしている新吉は置き去りにして、礼次は水絵に尋ねた。


「そこまでは知ってるんだけど、どうして奥方さまの名前になったのかは知らないんだ。水絵先生は知ってる?」


「ああ……それはね」


 水絵は、往来物と仕立屋、両方から得た知識を繋いで子どもに語った。


「奥方さまはね、裁縫が得意だったの。古くなった小袖を真四角に切って、それを組み合わせて新しい小袖を作ったのよ。それが評判になって……」


 そこまで言ったとき、水絵の頭にひらめくものがあった。


「水絵姉ちゃん?」


 急に黙ってしまった水絵を、新吉が急かした。


「あ、ごめん。ええと……それが評判になって、みんな真似するようになったらしいの。和紙でそれを真似する人が出て来て……」


 水絵は、千代紙の折り鶴を掲げた。


「最初に考えた人の名前を取って、千代紙」


 ほうっと子どもたちがため息をついたとき、後方から大きな拍手が聞こえた。

 振り向くと、鏡之介が笑いながら、手を叩いていた。


「水絵先生お見事!」


 決して茶化すような口調ではなかったが、からかわれたような気がして、水絵の頬がかっと熱くなる。言い返そうと思ったとき、


「すごい。物知りだね、水絵先生は」


 真顔の礼次に言われ、思い直した。


「ありがとう。それじゃあ、遅くなるから、みんなもう帰りなさい」



「月之丞って人のことなんですけど……。庫裏にいるあの人になにか聞いても、なにも教えてくれないと思うんです」


 後片付けをしながら、水絵は切り出した。今、寺子屋にいるのは水絵と鏡之介のふたりだけだったから。


「そうだな。俺もそう思う」


 片付けの手を止めず、鏡之介が答える。


「となると、探りを入れるのは『浅葱屋』のほうか」


「でも、この前以上のことは聞けないと思うんです」


 この前探っていたのは花吉のことだったが、仲居を始め、話が聞けそうな使用人には全部当たった。近所の人の話も一通り聞いたし、新しい情報を得られるとは思えない。


「あとは、花吉さんに聞いてみるとか……」


 口に出してはみたが、水絵は今ひとつ気が乗らない。花吉が新しい板前の素性を知っていたとしても、それを簡単に明かすとは思えないし、もしかしたらなにも知らないかもしれない。花吉を煩わせることは、千代に心配させることに繋がる。今日、嬉しそうに折り鶴をくれた千代の顔を曇らせることはしたくない。

 そんな水絵の気持ちを、鏡之介は忖度したらしい。


「花吉に訊いても、核心に迫る答えは期待できねぇだろうよ。それよりも」


 鏡之介は、悪戯をする子どものような顔で告げた。


「水絵が浅葱屋に行って、飯を食ってみたらどうだ? ひとりじゃ気まずいだろうから、おっかさんとふたりで」


「はあああ?」


 水絵は、思わず大声を上げてしまった。驚いたと言うより、あきれた気持ちのほうが強かった。


「いくら番付が下がったっていっても、あんな店、わたしたちが行けるはずないじゃありませんか」


 行ったことはないが、おおよそいくらかかるかくらいはわかる。水絵親子だけでなく、長屋の住人には縁のない場所だ。


 すると、鏡之介はすっと立ち上がり、水絵の目の前に座り、懐に手を入れた。


「な、なんですか?」


「手ぇ出せ」


「はい?」


「いいから、手ぇ出せ」


 わからないままに水絵が両手を差し出すと、その手のひらにぽとんと小さなものが落とされた。


「え? えぇ!?」


 そこにあったのは、一分銀だった。


「それだけありゃあ、足りるだろ。おっかさんに、うまいもん、食わせてやんな」


「ば、ばかにしないでください!」


 叫んだ瞬間、頬がかっと熱くなっているのを感じた。


「そりゃあうちは貧しいですけど、他人様(ひとさま)に施し受けるほどじゃありません!」


 祖父の冬三が亡くなってからは、かなりつましい生活を強いられている。それでも、母娘ふたり懸命に働き、暮らしている。借金をしたことも、晦日に逃げ回ったこともない。

 父である宇多川誠之進が亡くなったとき、跡を継いだ孝之進は、志津に援助を申し出たという。だが、志津はそれをきっぱり断った。水絵はそんな母を誇りに思っている。


「貧乏は、恥ずかしいことか?」


 鏡之介は、まっすぐに水絵を見つめた。


「丈夫な体を持つやつが、働きもしねぇで遊び歩いているとか、酒や博打に溺れるとかなら、そりゃあ、恥ずべきことだ。だが、水絵も志津さんも、仕立物や寺子屋の師匠をして、毎日一生懸命働いている。なにひとつ世間に恥じることはねぇ。違うか?」


「違いません。違いませんし、わたしは恥ずかしいと思っているわけじゃありません。ただ、いわれのないお金をもらうわけにはいかないと言ってるんです」


 そう答えながら、水絵は、鏡之介が母のことを「志津さん」と呼んだことに違和感を憶えた。母は鏡之介に会ったことはないし、水絵が名前を教えたこともない。祐光師から聞いていたのかもしれないが、「水絵のおっかさん」という方が自然だし、現に今まではそう呼んでいた。


「あの……鏡之介さんは、母を」


 知っているんですか、と訊く前に、鏡之介が思いも寄らない言葉を吐いた。


「礼代わりだ……ってことなら受け取ってくれるか?」


 意味がわからず、思わず見つめ返してしまったら、鏡之介は照れたように笑った。


「昔……うんと昔だ。袖切り冬三に助けられたことがある」


「祖父ちゃんに?」


「ああ。それで、いつか恩返しをしようと思っていた。だか、もう返せねぇ」


 袖切り冬三――水絵の祖父は死んでしまったから。


「代わりに、娘の志津さんに返したい。毎日忙しく働いている志津さんに、たまにはうまいものでも食わせてやってくれ……って、俺からの頼みだ。受けてくれねえか?」


 いろいろ聞きたいことはあった。昔と言っているが、いつのことなのか。その時、母・志津は何歳で、鏡之介は何歳だったのか。そしてなにより、冬三は、鏡之介をどうやって助けたのか。

 しかし、水絵はなにひとつ尋ねられなかった。鏡之介の廻りには目に見えない幕のようなものが張りつめていて、水絵の問いを完全に拒絶していた。

 それと同時に、この一分銀を受け取ってほしいという切実な願いだけは、幕を突き通して水絵に伝わってくる。


「わかりました。母とふたりで、『浅葱屋』に行ってきます」


 水絵は、一分銀を手の中で握りしめた。冷たいはずの銀から、鏡之介の熱い思いが伝わってくるように感じた。


折り鶴と一分銀。

小さなものですが、水絵にとっては大きな一歩になりました。

次回、浅葱屋へ――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ