第55話 タジマティアへの感謝と新たなる門出
翌朝、俺たちはユガミ温泉からタジマティアへと戻った。
昨夜の決断を受けて、王都へ旅立つことに決定した。
だが、その前にやるべきことがある。
お世話になったタジマティアの人々への挨拶と、スイリアの診療所の処理だ。
「やっぱり、ちゃんと皆さんにお別れを言わないとね」
陽菜が朝の清々しい空気を吸い込みながら言った。彼女の表情には、少し寂しそうな影が差している。
タジマティアでの日々は短かったが、俺たちにとっては大切な思い出となっていた。
特に、アカブトマガスとの戦いで村を救ったことは、この世界での最初の大きな功績だった。
「そうですね。私も……」
スイリアは診療所を見上げながら、複雑な表情を浮かべていた。
ここは彼女が七年間、医師として村の人々を支えてきた場所だ。王都への帰還は、彼女にとって大きな人生の転機となるだろう。
「スイリア様、診療所のことは大丈夫ですか?」
ミアが心配そうにスイリアの袖を引っ張った。猫耳がぴくぴくと動いている。
「ええ、実は父上から事前に連絡をいただいていて、王都の医師会から優秀な先生を派遣していただけることになっているんです」
スイリアはほっとしたような表情を浮かべた。
まず向かったのは、村長の家だった。
「おお、スイリア先生! それに冒険者の皆さん!」
白髭を蓄えた村長が、温かい笑顔で俺たちを迎えてくれた。
「村長さん、実はお話があって参りました」
スイリアが丁寧に頭を下げる。その姿に、俺は彼女の誠実さを改めて感じた。
応接間に通されると、スイリアは静かに事情を説明し始めた。
「実は、王都の情勢が複雑になっており、父である王から呼び戻しの要請が参りました。しばらくの間、診療所を休診させていただくことになります」
村長の表情が一瞬曇った。
「そうですか……寂しくなりますなぁ。スイリア先生には、本当にお世話になりました」
「申し訳ございません。でも、王都から腕の良い先生を派遣していただけることになっております」
スイリアの声には、決意と同時に申し訳なさが込められていた。
「それは良かった。でも、先生のような温かいお人柄の方はなかなかいらっしゃらないでしょうねぇ」
村長の言葉に、スイリアは頬を赤らめた。
「ありがとうございます。新しい先生も、きっと皆さんに愛されると思います」
「ミアちゃんも一緒に行かれるのですか?」
村長がミアに視線を向けると、ミアは緊張した面持ちで答えた。
「はい、スイリア様のお世話をさせていただくために、王都までお供させていただきますにゃ」
「そうですか。二人とも、お体に気をつけて」
その後、俺たちは村の中を回り、お世話になった人々に挨拶をして回った。
パン屋のおばさんは、「先生がいなくなったら、孫の熱が出た時はどうしましょう」と心配そうに話していた。
「大丈夫ですよ。王都から来てくださる先生はとても優秀な方だと聞いています。それに、重篤な場合は私も駆けつけますから」
スイリアの言葉に、おばさんは少し安心したようだった。
雑貨屋の店主は、「冒険者さんたちにも世話になったなぁ。あの怪物を倒してくれて、本当にありがとうございました」と、深々と頭を下げてくれた。
「いえ、当然のことをしただけです」
俺がそう答えると、店主は満面の笑みを浮かべた。
「謙遜なさらんでください。あなた方のおかげで、村に平和が戻ったんですから」
午後になると、診療所の前に多くの村人が集まってきた。
どうやら、スイリアの王都行きの噂が村中に広まったようだ。
「先生、本当に行っちゃうんですか?」
小さな女の子が、スイリアのスカートの裾を握りしめている。
「ええ、でもお父さんのお手伝いが終わったら、また戻ってきますからね」
スイリアは膝を折って、女の子の目線に合わせた。
「約束ですよ?」
「ええ、約束です」
女の子の母親が、涙声で言った。
「先生のおかげで、この子の命が救われました。本当に、ありがとうございました」
「こちらこそ、皆さんに支えていただいたからこそ、医師として成長できました」
スイリアの声も、わずかに震えていた。
夕方近くになると、村の広場で即席の送別会が開かれた。
村人たちが持ち寄った料理が並び、子供たちは花束を作ってスイリアに渡していた。
「スイリア先生、ありがとうございました!」
「冒険者のお兄さんたちも、ありがとう!」
「ミアちゃんも、元気でね!」
子供たちの元気な声が響く中、俺は胸が熱くなるのを感じた。
こんなに温かく送り出してくれる人々がいるというのは、なんと幸せなことだろう。
「皆さん、本当にありがとうございます」
スイリアが深々と頭を下げると、拍手が起こった。
ミアも照れくさそうに頭を下げている。
陽菜が俺の袖を引っ張った。
「さだっち、なんか泣きそうになっちゃう」
「ああ、俺もだ」
確かに、目頭が熱くなってくる。戦場では見ることのできなかった、人々の純粋な温かさがここにはあった。
「皆さんのおかげで、私は本当の医師になることができました」
スイリアが振り返ると、夕日に照らされた彼女の横顔が美しく輝いていた。
「そして、新しい仲間たちと出会うこともできました」
彼女の視線が俺たちに向けられる。
「今度は、王都で父上のお役に立ちたいと思います。そして、必ずここに帰ってきます」
夜が更けてからも、送別の宴は続いた。
村人たちは口々に、スイリアとの思い出話を語り、感謝の言葉を述べていた。
俺は改めて、スイリアがこの村でどれほど愛されていたかを実感した。
「先生は、私たちの自慢です」
村長が最後に言った言葉が、特に印象深く心に残った。
翌朝、俺たちは正式にタジマティアを出発することになった。
診療所の鍵は、到着予定の代理医師への引き継ぎ書類と共に村長に預けることにした。
「新しい先生がいらしたら、よろしくお伝えくださいね」
スイリアが村長にお辞儀をする。
「もちろんです。先生方も、王都でお体に気をつけて」
「ありがとうございます」
荷物をまとめ、俺たちは診療所の前に立った。
「最後に、一度診療所の中を見ておきたいのですが……」
スイリアの申し出に、俺たちも一緒について行った。
診療所の中は、いつもの通り清潔に整理されていた。医療器具や薬草が丁寧に配置され、患者を迎える準備が整っている。
「ここで、たくさんの命を救わせていただきました」
スイリアが呟くように言った。
「そして、ここで皆さんと出会うこともできました」
「私も、ここでスイリア様にお仕えできて幸せでしたにゃ」
ミアが感慨深そうに診療所を見回している。
俺は静かに頷いた。
「スイリア、この場所は君の原点だ。きっと、王都での活動にも活かされるだろう」
「はい、そう信じています」
診療所を後にし、俺たちは村の出口へと向かった。
朝もやの中、タジマティアの家々が静かに佇んでいる。
「さぁ、新しい冒険の始まりですね」
陽菜が明るく言った。
「ええ、今度は王都という大きな舞台です」
スイリアも、決意を新たにしたような表情を見せる。
「みんなで一緒に行けるのが嬉しいですにゃ」
ミアの言葉に、俺たちは微笑んだ。
俺は振り返って、タジマティアの町を最後に見つめた。
この小さな町で、俺たちは多くのことを学んだ。そして、かけがえのない絆を築くことができた。
「行こうか」
俺の声に、皆が頷いた。
王都・ヴァカマトリアへの道のりは長いが、この仲間たちとなら、きっと乗り越えられるだろう。
四人揃っての新たな冒険が、今始まろうとしていた。




