第47話 精霊薬草園、未来への種蒔き
精霊との和解から一週間が経った。
朝日がタジマティアの村を優しく照らす中、俺はスイリアの診療所で会議の準備を整えていた。古びた木の机に地図を広げ、作戦を練る。まるで艦隊の航行計画を立てるような懐かしい感覚だ。
「芦名殿、資料はこちらでよろしいですか?」
スイリアが部屋に入ってきた。彼女の銀紫色の髪が朝日に照らされて、まるで宝石のように輝いている。手にした紙には、彼女の緻密な字で薬草のリストが書かれていた。
「ああ、完璧だ。さすがは医師だけあって、説明も分かりやすい」
俺の言葉に、スイリアは少し頬を赤らめた。彼女の透明感のある肌に血色が差すと、一層美しく見える。
「そんな…まだまだ未熟な医師ですわ」
彼女は照れ隠しに資料を整えながら続けた。
「でも、精霊たちとの約束を守るため、私にできることをしたいんです」
その瞳には強い決意が宿っていた。高貴な生まれでありながら、この村の人々を思う気持ちが伝わってくる。
「でもぉ、すごいよねー!」
元気な声と共に、陽菜が診療所に駆け込んできた。桜色のワンピースを着た彼女は、まるで春そのもののような明るさを放っている。
「スイリアの薬草知識って、マジ現代の薬学みたいに体系的! 私、高校の生物の授業より分かりやすいと思っちゃった!」
「にゃ! スイリア様は天才ですから!」
ミアも猫耳をピクピク動かしながら加わった。白い制服の裾をひるがえし、軽やかに踊るように部屋に入ってくる。
四人揃ったところで、スイリアが提案を始めた。
「皆さん、精霊たちとの約束を守るためには、一時的な活動ではなく、持続可能な取り組みが必要です」
彼女は壁に貼った地図を指さした。洗練された動きには、王族としての品格が滲み出ている。
「そこで提案があります。タジマティアの最高峰、フーネガハーナ山の南斜面に『精霊薬草園』を作りませんか?」
俺たちは興味深く聞き入った。窓から差し込む光が、この計画に祝福を与えているかのようだ。
「この場所は日当たりが良く、水はけも良好です。何より、精霊たちの気配が最も濃い場所なんです」
スイリアは熱を帯びた声で続けた。
「昔から里山に自生していた薬草を集め、栽培する。そして、その薬効を生かした薬や化粧品を作り、村の新たな特産品にするのです」
陽菜が目を輝かせた。その瞳には星が宿ったようだ。
「それって…里山の整備と経済活動が両立できるってこと? めっちゃグッドアイデア!」
「そうですわ」
スイリアはうれしそうに頷いた。彼女が興奮すると、少し訛りが強くなる癖がある。かわいらしいギャップだ。
「精霊たちの力を借りて育てた薬草は、通常より高い効能を持ちます。それを『精霊の贈り物』として売り出せば、村の新たな収入源になるでしょう」
俺は頷きながら、手元の地図に目を落とした。駆逐艦の航行図を眺めるように、未来への航路を描く。
「なるほど。これなら村人たちも里山整備に積極的になるな。利益と精霊への感謝が共存できる」
陽菜が椅子から勢いよく立ち上がった。
「それ、神アイデアじゃん! 私、ちょっと宣伝の仕方を考えてみるよ!」
「ミアも力を尽くすにゃ!」
四人それぞれの特技を生かせる計画だ。俺は胸に広がる温かさを感じながら、軍人時代の指揮経験を活かして話を整理した。
「よし、具体的に進めよう。まず敷地整備、次に薬草の収集と植え付け、最後に製品化と販売戦略だ」
会議は予想以上に盛り上がり、昼過ぎまで続いた。窓の外では、小鳥たちが未来を祝福するように歌っていた。
翌日、俺たちは早朝からフーネガハーナ山へと向かった。
総勢二十人ほどの村人が集まり、道具を持って山道を登っていく。里山の雰囲気は一週間前とは明らかに違っていた。精霊たちの気配がより穏やかになり、木々も生き生きと葉を茂らせている。
南斜面に着くと、スイリアが全員に指示を出した。
彼女の医師としての面は、普段と違う輝きを放っていた。
泥だらけになりながらも熱心に薬草の植え付け場所を示す姿に、思わず見とれてしまう。
「まずは敷地の整備からです。雑草を取り除き、区画を分けましょう」
「スイリア、少し休もう」
午前中の作業が一段落したところで、俺は彼女に水筒を差し出した。
「ありがとうございます」
彼女は汗で濡れた額を拭いながら、水を一口飲んだ。朝日に照らされた彼女の横顔は、まるで絵画のようだ。
「芦名殿…私、この村が好きなんです」
突然の告白に、俺は少し驚いた。彼女の瞳には深い愛情が宿っていた。
「辺境の村とはいえ、ここには素朴で優しい人々がいる。そして、里山には私の親友である精霊たちがいるんです」
彼女は遠くを見つめながら続けた。
「王族として生まれた私はいつも権力争いの中で生きてきました。でも、この村では…ただの医師として、人々を助けることができる。それが何よりの幸せなんです」
俺は彼女の真摯な思いに心打たれた。厳しい軍務の中でも、人を守るという信念を持ち続けてきた自分と重なるものがある。
「スイリア、その思いは必ず実現するよ。俺も全力で協力する」
彼女と目が合い、一瞬時間が止まったように感じた。
「芦名殿…」
彼女の呼びかけに何か答えようとした瞬間、陽菜の声が響いた。
「さだっち〜! スイリア〜! こっちに来て! すごいもの見つけたよ!」
彼女は斜面の少し高い場所から両手を振っていた。まるで子供のような無邪気さで、でも目には強い興奮が浮かんでいる。
俺たちは急いで駆け寄った。
陽菜が指さす先には、青白い光を放つ一角の空き地があった。
まるで異世界への入り口のような神秘的な輝きだ。
「ここ、なんか特別な場所みたい。地面が温かくて、手を当てると心地いいんだよね」
スイリアが慎重に地面に手を当て、目を閉じた。彼女の表情が一瞬で厳かなものに変わる。
「これは…天狗の冷泉の伏流水が流れている場所です。昔から精霊の力が宿るとされてきた聖地なんです」
村の年配者が懐かしむような表情で声を上げた。
「そうじゃった! 昔はここに石碑があって、村人たちがお祈りをしていた場所じゃ!」
ミアが猫耳を寝かせながら言った。
「精霊たちがこの場所を教えてくれたんだにゃ。ここを『精霊の聖域』として残すべきにゃ」
閃きが俺の中で走った。
「よし、ここに『天狗神社』を建てよう。精霊たちを祀る場所だ」
スイリアが大きく目を見開いた。彼女の驚きと喜びが混じり合った表情が、俺の胸を温かくする。
「芦名殿…それは素晴らしいアイデアです!」
彼女の興奮は周囲の村人たちにも伝わり、皆が賛同の声を上げた。その瞬間、風がふわりと吹き、まるで精霊たちも喜んでいるかのように感じられた。
その後の一ヶ月、俺たちは精力的に作業を続けた。
白雪神社は陽菜の現代的アイデアと俺の軍事的知識を組み合わせた実用性と美しさを兼ね備えたものとなった。
神社周辺の「精霊の庭」は村人たちの憩いの場となり、休日には子供たちの笑い声が響くようになった。
薬草園も着々と形を成し、スイリアの指導のもと、「トマトの涙」「大根の恵み」「キャベツの癒し」と名付けられた三種の薬草は、アカブトマガス三兄弟の象徴として特別な場所に植えられた。
陽菜は観光PRを担当し、「#精霊と共に生きる」というコンセプトで若者向けの宿泊体験プランを考案。ミアは「猫耳先生」として子供たちに精霊との交流法を教え、次世代への教育に力を入れた。
薬草園が完成に近づいた頃、スイリアと俺は夕暮れの園内を巡回していた。夕日が斜面を赤く染め、植えられた薬草が風に揺れる景色は、まるで絵のようだった。
「芦名殿、見てください。ここまで来られました」
スイリアの声には達成感と喜びが混じっていた。
「ああ、素晴らしい景色だ」
俺は周囲を見渡しながら答えた。
「これも皆の協力があってこそだな。陽菜のアイデア、ミアの精霊との交流…そして、何より君の知識と熱意があったからこそだ」
スイリアは少し照れたような表情を見せた。
「私一人では何もできなかったでしょう。芦名殿の指揮があったからこそ、村人たちも一致団結できたんです」
彼女は少し迷うように唇を噛み、それから意を決したように続けた。
「実は…芦名殿にお願いがあります」
「何だ?」
「このタジマティアに…もう少し長く滞在していただけませんか?」
彼女の真剣な眼差しに、俺は一瞬言葉を失った。確かに、この村での日々は充実していた。
だが、異世界に来た目的を忘れるわけにはいかない。
「スイリア…」
俺は静かに言葉を選んだ。
「俺にはまだ果たすべき使命がある。ネ申から託された、この世界を平和にするという任務を」
スイリアの瞳に一瞬、寂しさが浮かんだ。しかし、すぐに理解の色に変わった。
「そうですね。芦名殿には芦名殿の道がありますもの」
彼女は強く頷いた。
「でも安心してください。この薬草園は村人たちで十分に運営できます。私たちの手で持続可能な仕組みを作り上げましたから」
「ああ、そのことは心配していない」
俺は彼女の肩に手を置いた。
「君たちは十分に強くなった。これからは自分たちの力で村を守っていけるはずだ」
里山から優しい風が吹き抜け、薬草の香りが二人を包み込んだ。まるで精霊たちの祝福のようだった。
「さあ、明日は村人たちにこの決断を伝えよう。そして、なるべく早く次の街を目指したい」
俺が言うと、スイリアは少し寂しそうながらも、明るく頷いた。
「はい。芦名殿の旅が実りあるものになりますように」
空には最初の星が瞬き始め、新たな夜の訪れを告げていた。俺の心には、この村での思い出と、これから待ち受ける新たな冒険への期待が交錯していた。




