第25話 王都の将軍、現る——霧の中の救世主——
「前衛、盾を上げろ! 第二班、散開して側面から狙え!」
はっきりと聞こえたその号令に、俺の心臓が高鳴った。一体誰だ?
驚愕する俺の前で、新手の集団は統率の取れた動きを見せている。黒い装甲に身を包んだ兵士たちが前列に盾を構え、後方の者が一斉射撃を見舞ってきた。
再び銃声が木霊し、閃光が森の闇を切り裂く。轟音と共に怪物の巨体に次々と着弾し、甲殻を砕いていく。
「グルルルル!!」
苛烈な攻撃にたまらず、アカブトマガスが後退した。
森林が揺れるほどの咆哮を上げ、奴は周囲に腐食霧を撒き散らしながら森の奥へ逃げ込んでいく。
まるで嵐のように荒れ狂っていた戦場が、あっという間に静寂に包まれた。
やがて霧が晴れると、俺はようやく震える足で立ち上がった。
身体中が悲鳴を上げているのを無視して、咄嗟にスイリアの安否を確認する。
「大丈夫か? スイリア……」
彼女も魔法の障壁を解き、膝をつきながら安堵の息をついていた。小さな手で胸元を押さえ、乱れた呼吸を整えようとする姿に、胸が締め付けられる思いがした。
「ええ……なんとか……」
その声は弱々しく震えていたが、確かな生命力を感じた。
彼女が無事でよかった——そう思った瞬間、俺の身体から力が抜けていきそうになる。
すぐに数名の兵士がこちらに駆け寄ってきた。黒い胸当てに王冠らしき紋章が描かれている。
どうやら正規の軍人のようだ。
「大丈夫か? 怪我をしているのか?」
若い声が問いかける。俺は肩の痛みに顔をしかめつつも、平静を装おうと努めた。
「ああ、平気です……何とか」
スイリアも疲労困憊の様子だが、微かな微笑みを浮かべて言った。
「助けていただいて、本当にありがとうございました……」
「命が助かったのはあなた方のおかげです」
俺も深く頭を下げ、兵士たちに礼を述べる。海軍時代の礼儀作法が、こんな場面で自然と身体に染みついている自分に少し驚いた。
その時、先頭に立っていた一人の男性が俺たちのほうへ歩み出た。
他の兵士とは違う紋章の入った黒い胸当てを身につけた初老の男だ。
気品に満ちた立ち居振る舞いは、明らかに高い地位の者のそれだった。
「礼には及ばん。我々はあの怪物を追っていただけだ」
男は穏やかながら威厳のある声で言った。
近くで見ると、彼の腰には剣が帯びられているが、先ほどはこちらに向けて奇妙な銃のような武器も構えていたように思う。この世界にも銃があるのか? それとも魔法の武器だろうか?
初老の男性が視線をスイリアに向けると、その表情が一瞬で柔らかくなった。驚きと喜びが入り混じったような表情だ。
「姫君、このようなところでお会いするとは!ご無事ですか?」
——姫君?
俺は一瞬言葉を失った。スイリアを「姫君」と呼んだということは……。そういえば昨夜、ミアが「お父上」とか「王都」という言葉を使っていたことを思い出す。まさか、スイリアは本当に高貴な身分だったのか?
「これはエドワード様、お助けいただきありがとうございます。なぜこちらに?」
スイリアの声には、驚きと懐かしさが混ざっていた。どうやらこの男性とは旧知の仲のようだ。
「いや、先日、陸軍大臣に就任いたしましたので、サウスアイヴェリア王国に挨拶に行った帰りでしてな。まさかこんなところに姫君がいらっしゃるとは思いもせなんだ。偶然とはいえ、お助け出来て本当に良かった」
ほっほっほと笑う姿は、好々爺で温和な雰囲気が漂っている。だが、その眼光は鋭く、俺の顔をじっと観察しているのを感じた。
「そうでしたか。ご就任おめでとうございます。私からも父上には今回のこと、報告申し上げますね。どうかエドワード様には長く大臣を続けていただきたいと考えてますから」
スイリアの言葉には、どこか大人びた外交的な響きがあった。今まで見せていた等身大の彼女とは違う一面だ。
「いやいや、私には栄誉など別に要りませんから、どうかお構いなく。さて、姫君はここで何をなさっていたのですかな? こちらはおつきの方ですか?」
「ええっと、いえ、この方は、私の家来ではないのです。この方のお連れ様が先ほどの怪物の毒に侵されたので、この先の泉の水を汲んで帰ろうとしていたところです」
スイリアはそういうと、俺のほうに目配せした。
その視線には「なにか言って」というメッセージが込められているように感じた。
「始めまして、エドワード閣下。私は芦名定道と申します。この度はお助けいただきありがとうございました」
「エドワード・アッシュフォードと申します。ノースアイヴェリアの陸軍に籍を置いております。失礼ですが、貴方は何をなさっているのでしょう?」
エドワード将軍の視線には、信じられないほどの鋭さが宿っていた。
まるで俺の心の中まで見透かされているような気分になる。
軍人と答えれば、色々警戒されそうな気がした。俺は一瞬で思いついた設定をもとに、咄嗟にごまかすことにした。
「私は作家として、いろんな国の旅行記を執筆しております。今回、このサウスアイヴェリアにはエルフの国があると聞いたので、差しさわりのない範囲で本にまとめ、出版したいと考えております」
エドワード将軍の眉がわずかに持ち上がり、興味深げな表情になった。
「ほう、作家ですか。確かに、ここは自然が豊かで、なかなか良い土地です。ただ、エルフたちは排他的なので、書く際はエルフ側にも十分配慮して書かれることをおすすめいたします」
「わかりました。ご忠告、感謝申し上げます」
「しかし、近頃は作家でもなかなかの戦闘能力があるのですね。驚きました」
エドワード将軍の表情が一変し、俺を値踏みするような鋭い目で見てきた。どうやら作家という嘘は通じなかったようだ。冷や汗が背筋を伝って流れる。
「いやぁ、昔こう見えても、魔法を使うのが得意でしてね、日々の鍛錬の結果ですかね。はははは」
苦し紛れの笑いを浮かべながら、俺は焦りを隠そうとした。
「そうでしたか。私も若いころはそれなりに強かったのですが、今となってはただの老いぼれです」
将軍は俺のことを疑う目を少し和らげた。これで納得してくれればよいのだが……。
「それでは姫君、もしよろしければ泉まで兵の一部を割いて同行させましょうか。道中危険もあるでしょうし……」
スイリアはその提案に少し困ったような表情を浮かべた。
「いえ、それには及びません。私事に兵を使わせるのはよくありません。それに、先ほどの怪物はいなくなりましたし、しばらくは大丈夫でしょう。大丈夫、今日中にはタジマティアに戻りますから」
エドワード将軍は眉を寄せ、より厳しい表情になった。
「しかし、昨今この辺りではあのような強力な魔物が跋扈しているのも事実。姫君をこんな危険な場所にいさせるわけには参りませぬ。それか、私と一緒にいったん王都に戻られることを提案いたします」
「でも……」
「選択肢は2つですぞ、姫君、兵を姫君と同行させるか、私と一緒に王都までご一緒するか。このまま別れてしまえば、またいつ何時今度は命を落とされる危険性あるのですぞ」
エドワードは、先ほどの柔和な表情から一転、冷静な目で、親が子を叱るようにスイリアに迫った。
スイリアはエドワードの迫力に押されて言葉が出てこない。その困惑した表情に、俺は胸が締め付けられる思いがした。
さてどうしたものか——。
俺としても、これ以上俺の都合で同行させるのは申し訳ないし、俺一人でスイリアを守り切れる自信もない。ここは俺一人で行くのが最良なのだろうか。
選択の時が迫っていた。
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