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『伯爵家次男に転生した俺は、前世の知識で世界を変えていく』  作者: バモス
第一章 幼少期編

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第91話 二つの送風口

 翌朝、アルスが鍛冶場へ向かうと、二号実験炉の前ではすでにゴルンが腕を組んで待っていた。


「おはようございます!」


「おう。今日は遅くなかったな」


「ちゃんと朝ご飯も食べてきました!」


「それを自慢する五歳児も珍しいな」


 ゴルンは呆れたように笑ったが、その横には昨日までと少し違う炉が置かれている。正面から見るだけでは大きな違いは分からないものの、側面へ回るとアルスはすぐに気付いた。


「あっ、穴が二つになってる!」


「昨日お前が言ったんだろうが。送風口を二つにしてみたいって」


「もう作ってくれたんですか?」


「仮だ。まだ本決まりじゃねぇぞ」


 これまで使っていた二号実験炉には、片側から一つだけ風を送り込む送風口が設けられていた。しかし昨日、粗鉄塊を送風口側、中央、奥側と分けて調べたところ、場所によって硬さや不純物の量に差があるらしいことが分かった。


 ならば、炉の中へもっと均等に風を送れないだろうか。


 そのための実験が、今日から始まる。


「左右から風を入れます?」


「ああ。ただし同時に強く吹き込めばいいとは限らん」


 ゴルンは炉の側面を指差した。


「こっちからこう。反対側からもこうだ」


「向かい合わせですね」


「今はな」


「今は?」


「風が正面からぶつかって悪さするかもしれん」


 アルスは首を傾げた。


「風がぶつかったら、真ん中がもっと熱くなりません?」


「なるかもしれんし、ならんかもしれん。炎が上へ逃げるかもしれんし、炭だけ急に燃えるかもしれん」


「……やってみないと分からない」


「ようやくその言葉が自然に出るようになったな」


 以前なら、前世の知識を頼りに「こうなるはずだ」と先に答えを決めていたかもしれない。しかし今は違う。


 知識は方向を示してくれる。


 けれど、この世界の炉、この世界の木炭、この世界の砂鉄で同じ結果になるとは限らない。


 だから確かめる。


 それがアルスの中でも当たり前になりつつあった。


「じゃあ今日は送風口だけ変えます」


「砂鉄は?」


「同じ」


「炭は?」


「同じ」


「投入間隔は?」


「同じ」


「風量は?」


「前に一番安定した回転数に合わせます」


「よし」


 ゴルンは満足そうに頷いた。


 回転式二連ふいごも、今回はそのまま使う。ただし一つの送風管を途中で二つへ分け、それぞれ左右の送風口へつなぐ形にしていた。


 バルトが作った木製の分岐部分には、空気漏れを減らすため革が巻かれている。


「バルトさんも手伝ってくれたんですね」


「あいつ、最近お前のせいで木工以外の仕事ばっかりしてるって笑ってたぞ」


「今度お礼言います」


「その前に仕事増やすな」


「気をつけます」


「本当か?」


「……なるべく」


「駄目そうだな」


 そんな会話をしながら火を入れる。


 回転輪が動き始めると、二つのふいごが交互に空気を送り込む。


 シュウ。


 シュウ。


 左右から同じように風が入る。


 最初のうちは何も問題なさそうだった。


「音、変わりました?」


 アルスが耳を澄ませる。


「少し高いな」


 ゴルンも炉を観察している。


 以前は送風口の近くから強く燃え始め、奥へ向かうほど炎の勢いが弱くなっていた。しかし今回は、左右から赤い光が広がっている。


「前より均等に赤くなってる気がします」


「気がする、までだ」


「はい」


 そこでアルスは紙へ「左右の燃焼、見た目では前回より均等」と記録した。


 そして十分に炉が温まると、選別して洗浄し、完全に乾燥させた砂鉄を投入する。さらに木炭を重ね、その後も一定の間隔で同じ作業を続けた。


 最初の一時間は順調だった。


 ところが。


「ゴルンさん」


「分かってる」


 炉の中央から上がる炎が、妙に強くなってきた。


 左右から入った風が中央付近でぶつかり、そこだけ燃焼が激しくなっているように見える。


「真ん中の炭だけ減るの早くないですか?」


「ああ」


 実際、投入した木炭が中央部分だけ早く沈んでいる。


 アルスは紙へ記録しながら眉を寄せた。


「風を均等に入れたつもりなのに」


「均等に入れることと、炉の中で均等に流れることは別だ」


 ゴルンの言葉に、アルスはハッとする。


「入口が同じでも、中の流れは違う……」


「そういうことだ」


 それでも危険な状態ではないため、実験は続行した。ただし途中で条件を変えてしまえば比較にならないため、今日は最後までこのまま行う。


 数時間後、投入を終え、送風を止める。


 そして十分に冷却してから炉を開いた。


「さて」


 ゴルンが慎重に中身を取り出していく。


 今回も送風口に近い部分、中央、そして上部や奥側ができるだけ分かるように分けて保存する。


 まず左右の送風口近く。


 鉄らしい塊ができている。


 次に中央。


「……大きい」


 アルスが目を見開いた。


 中央には、これまでより大きくまとまった黒い塊があった。


「ただし喜ぶのはまだ早ぇぞ」


 ゴルンは金槌で軽く叩く。


 カンッ。


 さらに。


 カンッ。


 すると一部がパキッと割れた。


「あっ」


「硬いが、少し脆いな」


 アルスは断面を覗く。


 金属光沢のある部分は多い。しかし黒い滓が入り込んでいるところもあり、場所によって質がかなり違う。


「真ん中は熱くなりすぎた?」


「可能性はある」


「炭もいっぱい燃えてました」


「なら炭の入り方も変わったかもしれん」


 鉄は、ただ高温にすれば良いわけではない。


 炭との接触。


 温度。


 時間。


 風。


 その全部が影響する。


「二つにしただけじゃ駄目なんですね」


「だから次がある」


 ゴルンが炉の送風口を見る。


「向きを変える」


「向き?」


「正面からぶつけるのをやめる」


 ゴルンは地面へ簡単な円を描き、その左右から斜めの線を入れた。


「真正面じゃなくて、少し横へ流す」


「炉の中で回す?」


「そうだ」


 アルスの目が輝いた。


「渦みたいに?」


「そこまで綺麗に回るかは知らん」


「でも試せます!」


「今日はやらんぞ」


「分かってます」


「……本当に?」


「今日は結果をまとめます」


「よし」


 アルスは少し成長していた。


 その日の午後、ゴルンと一緒に粗鉄塊を比較する。


 昨日までの一口送風。


 今日の二口正面送風。


 見比べると、今日の方が鉄らしい部分そのものは多かった。しかし中央部分の硬さと脆さが強く、まだばらつきが大きい。


「全体が良くなったわけじゃない」


「でも奥側は前よりマシじゃねぇか?」


 ゴルンに言われて比較すると、確かに以前は鉄になりきっていない部分が多かった奥側にも、今回は金属らしい部分が増えている。


「じゃあ二つの送風口そのものは悪くない?」


「そう見える」


「問題は向き?」


「可能性は高いな」


 そこで次の実験では、二つの送風口を真正面から向かい合わせるのではなく、少し同じ方向へ傾けることになった。


 そして翌日。


 送風口の角度を少しだけ変更した炉へ、再び火が入る。


 砂鉄も。


 木炭も。


 風量も。


 投入間隔も。


 前回と同じ。


 変えたのは送風の向きだけだった。


「始めます!」


「おう」


 回転輪が動き始める。


 シュウ。


 シュウ。


 左右から入った風が、今度は正面衝突せず、少しずつ炉の内壁に沿って流れる。


 最初は目に見えるほどの違いはなかった。


 しかし時間が経つにつれ。


「ゴルンさん」


「ああ」


「真ん中だけ炎が強くなってない」


「昨日よりはな」


 中央だけ炭が急激に沈むこともない。


 さらに炉の周囲を観察すると、赤く光っている範囲が以前より広く見えた。


「こっちの方が均等?」


「少なくとも見た目はな」


 アルスは記録する。


 そして途中で思いついたことがあっても、今日は何も変えなかった。


 ゴルンが横目で見ているからではない。


 自分自身が、条件を一つずつ変える意味を理解してきたからだ。


 やがて実験を終え、冷却後に炉を開く。


「……お?」


 ゴルンが声を漏らした。


「どうしました?」


「こいつは」


 中から出てきた粗鉄塊。


 大きさは前回と大差ない。


 しかし形が違う。


 これまでは一部だけ大きく盛り上がったり、脆そうな部分が目立ったりしていたが、今回は全体が比較的まとまっている。


「叩いてみるぞ」


「はい」


 金床へ置く。


 カンッ!


 少し変形する。


 カンッ!


 また少し。


 そして。


 ゴルンの動きが止まった。


「……ん?」


「どうしました?」


 もう一度。


 カンッ!


 ゴルンは槌を持った手を見た。


「坊ちゃん」


「はい?」


「この鉄」


 彼は再び軽く叩く。


 カン。


「今までと槌の返りが違わねぇか?」


「返り?」


「叩いた時の感触だ」


 アルスも小さな槌を渡してもらう。


 もちろんゴルンが安全を確認したうえで、十分冷えた塊の端を軽く叩く。


 カンッ。


「……」


 アルスには最初、よく分からなかった。


「もう一回」


 カンッ。


 今度は以前の粗鉄塊も叩いてみる。


 カンッ。


 そして今回のもの。


 カンッ。


「……少し違う?」


「どんな風に」


「こっちの方が」


 アルスは言葉を探す。


「固いけど、嫌な感じじゃない?」


「曖昧だな」


「だって言葉が分かりません!」


 ゴルンが笑う。


「でも近い」


 硬い。


 しかし以前の中央部分のような、叩いた瞬間に割れそうな硬さではない。


 しっかり抵抗するのに、槌を受け止めるような感触がある。


「これ……」


 アルスは心の中で鑑定する。


【粗鋼塊】


分類:鉄鋼素材


品質:普通


鉄分:高


炭素量:中程度


不純物:中


加工適性:普通~良好


備考:砂鉄由来。粗鉄より炭素量および組織の均一性が改善されている。


(粗鋼……!)


 アルスは思わず息を呑んだ。


 まだ玉鋼ではない。


 高品質の鋼でもない。


 しかし鑑定結果には、これまでの「粗鉄塊」とは違う言葉が表示されている。


 粗鋼塊。


 つまり。


 一歩。


 鋼へ近づいた。


「アルス?」


「えっ?」


「どうした」


「い、いえ」


 鑑定のことは言えない。


 だからアルスは塊を見ながら答えた。


「これまでより、良い鉄なんじゃないかなって」


「俺もそう思う」


 ゴルンは粗鋼塊の端を切り分ける。


 そして一部を炉へ戻した。


「熱してみるぞ」


「はい」


 十分に加熱する。


 色を見る。


 橙色。


 そこから取り出し。


 金床へ。


 カンッ!


 カンッ!


 これまでの粗鉄より。


 まとまりやすい。


「割れにくい……」


「ああ」


 ゴルンも少しずつ表情を変えていく。


「しかも前みてぇにぐずぐず崩れねぇ」


 何度か加熱と鍛錬を繰り返す。


 すると小さな鉄片は、不格好ながらも薄い板状へ伸びていった。


「ゴルンさん」


「なんだ」


「これなら刃物にできます?」


 その問いに。


 ゴルンはすぐには答えなかった。


 鉄片を見。


 金槌で軽く叩き。


 さらに断面を確認する。


「小刀くらいなら」


「!」


「試す価値はある」


「作りましょう!」


「待て」


「ええっ」


「またすぐ次へ行くな」


 ゴルンは鉄片をアルスの目の前に持ってくる。


「まず同じもんが、もう一回できるかだ」


「……はい」


「一個良いのができたからって製法完成じゃねぇ」


「分かってます」


「本当に?」


「今度は本当に分かってます」


 アルスはそう言って笑った。


 その日の夕方。


 父カインが鍛冶場へ訪れた時、アルスは新旧の粗鉄塊を並べていた。


「今日はどうだった?」


「少し良くなりました」


「少し?」


 アルスは今回の実験を説明した。


 送風口を二つにしたこと。


 正面からぶつけると中央だけ燃焼が強くなったこと。


 そこで向きを少し変えたこと。


 すると炉全体の燃え方が前より均等になり、できた鉄もばらつきが減ったこと。


「そしてゴルンさんが」


「槌の返りが違うと言った?」


「はい」


 カインはゴルンを見る。


「実際どうなんだ?」


「まだ断言はできません」


 ゴルンは答える。


「ですが今までより良い」


「少なくとも粗鉄をそのまま叩くより、かなりまとまりがあります」


「刃物には?」


「再現できるなら試します」


「なるほど」


 カインはアルスへ視線を戻した。


「では次は同じ条件でもう一度?」


「はい」


「それで同じような物ができたら、小さな刃物を試します」


「良い判断だ」


 カインは頷く。


「急ぐなよ」


「はい」


「本当に?」


「みんな同じこと聞く……」


 アルスが少し頬を膨らませると、三人とも笑った。


 その夜。


 自室へ戻ったアルスは、机の上へ小さな鉄片を置いていた。


 まだ刃ではない。


 ただの薄い鉄片。


 けれど。


 鑑定では。


 粗鋼。


 そう出た。


 アルスは手帳を開き、ゆっくり書く。


 『かぜは つよさだけじゃなく むきもだいじ』


 その下へ。


 『ろのなかを なるべく おなじにする』


 そして少し迷ってから。


 『てつが すこし はがねに ちかづいた』


 書き終えると、アルスは椅子にもたれた。


「まだ玉鋼じゃない」


 もちろん。


 それは分かっている。


 前世で知る玉鋼とは、まだ遠い。


 炭素量も。


 不純物も。


 鍛錬も。


 選別も。


 何もかも足りない。


 それでも。


 砂鉄から粗鉄へ。


 粗鉄から、少しだけ鋼らしいものへ。


 確実に進んでいる。


 しかも。


 アルス一人ではない。


 ゴルンの経験。


 バルトの機構。


 ドランの木炭。


 鉱山の人々が集めた砂鉄。


 そして父カインが与えてくれた時間と場所。


 多くの人の仕事が重なって、ようやく今日の小さな鉄片へつながったのだ。


「一人じゃ絶対できなかったな」


 アルスは呟く。


 前世の知識があったとしても。


 それだけでは。


 ただの知識でしかない。


 この世界の人々と一緒に試し。


 失敗し。


 直していくことで。


 初めて。


 この世界の技術になる。


 翌朝。


 アルスが鍛冶場へ入ると。


「坊ちゃん」


「はい?」


 ゴルンはすでに砂鉄と木炭を準備していた。


「昨日と同じ条件」


「もう一回やるぞ」


 アルスの顔が輝く。


「はい!」


「同じ物ができたら」


「小刀ですか!?」


「最後まで聞け!」


「すみません!」


「同じ物ができたら、まず二つを比べる。それでも問題なけりゃ」


 そこでゴルンは少し笑った。


「小刀を一本だけ作ってみる」


「やった!」


 アルスは両手を上げた。


「ただし坊ちゃん」


「はい?」


「お前が使うんじゃねぇぞ」


「……分かってます」


「一瞬間があったな」


「気のせいです!」


 砂鉄から始まった小さな実験は。


 炉を変え。


 木炭を比べ。


 風量を調べ。


 ふいごを改良し。


 さらに送風の向きまで変えて。


 ついに。


 粗いながらも《鋼》と呼べるものへ近づき始めた。


 だが。


 鉄が鋼になったとしても。


 刃物は。


 ただ形を作れば完成するわけではない。


 硬くするための熱。


 割れないように戻す熱。


 そして冷やし方。


 アルスが前世で知っている。


 焼き入れと焼き戻し。


 包丁作りですでに触れたその技術を。


 今度は。


 自分たちで砂鉄から作った鋼へ施す時が。


 少しずつ近づいていた。


---


次回 第92話「砂鉄の鋼で小刀を」


同じ条件でもう一度製鉄を行い、アルスたちは二つ目の粗鋼塊を作ることに成功する。


そして比較の末、ゴルンはついに小さな試験用の刃物を作ることを許可する。


しかし砂鉄から作った鋼は、普段使っている鉄とは鍛えた時の伸び方も、熱した時の色の変化も少し違う。


さらに刃の形を整えた後には、焼き入れという最大の難関が待っていた。


冷やせば硬くなる。


だが、急激に冷やせば割れるかもしれない。


アルスはそこで、包丁作りの時以上に慎重な温度管理へ挑むことになる。


そして完成した一本の小刀が、シュゲール領で初めて《砂鉄から生まれた鋼の刃》となる。

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