第44話 家族との休日
初夏のある朝。
雲一つない青空が広がり、心地よい風がシュゲール伯爵家の庭を吹き抜けていた。
いつもなら朝食の後は勉強や剣術の稽古が始まる。
しかし、この日は少し違っていた。
「アルス。」
父カインが穏やかに微笑む。
「今日は勉強も剣術もお休みにしよう。」
アルスは目を丸くした。
「お休み?」
「ああ。」
「今日は家族みんなで出掛けよう。」
「本当ですか!」
アルスは思わず立ち上がる。
その様子を見て、母エリザが優しく笑った。
「ふふっ、そんなに嬉しいのですね。」
「はい!」
◇◇◇
準備を終えた一家は、屋敷から少し離れた湖のほとりへ馬車で向かった。
湖面は太陽の光を受けてきらきらと輝き、風が吹くたびに小さな波紋が広がる。
「きれい……。」
アルスは思わず見入ってしまう。
「ここは私も子どもの頃によく遊びに来た場所なんだ。」
父が懐かしそうに話した。
「今日は仕事のことは忘れて、ゆっくり過ごそう。」
◇◇◇
使用人たちが大きな布を広げ、昼食の準備を始める。
焼きたてのパン。
串焼きの肉。
新鮮な果物。
母エリザが作ったサンドイッチ。
そして果実ジュース。
「いただきます!」
家族全員で声を合わせる。
「おいしい!」
アルスは笑顔いっぱいでパンを頬張った。
「たくさん食べてくださいね。」
母が優しく果物を取り分ける。
「はい、お母様。」
◇◇◇
昼食を終えると、エルゼが元気よく立ち上がった。
「アルス!」
「競争しよう!」
「どこまで?」
「あの大きな木まで!」
アルスは父を見る。
父は笑いながら頷いた。
「転ばないようにな。」
「はい!」
「よーい……」
「どん!」
二人は草原を駆け出した。
もちろんアルスは全力では走らない。
三歳らしい速度で、一生懸命に足を動かす。
「待って、お姉様!」
「ふふっ、頑張れ!」
エルゼは少し速度を落とし、アルスが追いつけるように走ってくれた。
その優しさが嬉しかった。
◇◇◇
一方、湖畔ではアレックスが父と木剣を手に立っていた。
「父上、お願いします。」
「よし。」
二人は軽く木剣を合わせる。
カン。
静かな音が湖畔へ響く。
アルスは走るのをやめ、その様子を見つめた。
「兄様、かっこいい。」
アレックスは照れくさそうに笑う。
「ありがとう。」
「でも、まだまだ父上には敵わないよ。」
父は笑って首を横に振る。
「私も若い頃は何度も負けた。」
「努力を続ければ、いつか追い越せる日も来る。」
その言葉に、アレックスは力強く頷いた。
◇◇◇
午後。
家族みんなで湖の周りを散歩する。
野花が咲き、小さな蝶が舞っている。
アルスは一輪の青い花を見つけた。
「きれい。」
「これは『青星花』ですよ。」
母が教えてくれる。
「毎年この季節だけ咲く花なんです。」
アルスはそっと花を眺めた。
前世では見たことのない花。
異世界セレンならではの景色だった。
◇◇◇
帰る前。
父が家族へ話しかけた。
「今日はどうだった?」
「楽しかった!」
エルゼが真っ先に答える。
「また来たい!」
アレックスも笑顔で頷く。
「たまには、こういう日もいいですね。」
母も穏やかに微笑む。
「アルスは?」
父に尋ねられたアルスは、少し考えてから答えた。
「ぼく……。」
「みんなといっしょが、いちばん好き。」
一瞬、静けさが流れる。
そして。
「まあ……。」
母は目を潤ませた。
「アルスったら……。」
エルゼは勢いよく抱きつく。
「お姉ちゃんも大好き!」
アレックスも優しく頭を撫でた。
「僕もだよ。」
父は照れくさそうに笑いながらも、アルスの肩へ手を置いた。
「ありがとう。」
「父さんも同じ気持ちだ。」
◇◇◇
夜。
屋敷へ戻ったアルスは、いつものように魔力操作を終えると、手帳を開いた。
今日書いた言葉は、とても短かった。
『かぞくは たからもの』
その文字を見つめながら、アルスは静かに微笑む。
前世では、病気と闘う日々が長かった。
だからこそ、こうして家族と笑い合える時間が、どれほど幸せなのかよく分かる。
(この笑顔を守りたい。)
家族の笑顔。
領民の笑顔。
仲間たちの笑顔。
そのすべてを守れるような人になろう。
その決意を胸に、アルスは穏やかな眠りについた。
湖畔で過ごした温かな一日は、少年の心へ「家族」という何よりも大切な宝物を、改めて刻み込んだのだった。




