第110話 二つの鉄を一つに
翌朝。
鍛冶場の作業台には、性質の違う二つの金属片が並べられていた。
一つは、これまでの製鉄実験で得られた中でも比較的硬い鋼。
もう一つは、炭素の入り方が少なく、鋼より柔らかく粘りのある鉄。
アルスは二つを交互に見比べる。
硬い鋼は刃物に向いている。
けれど、硬すぎれば欠けたり割れたりする。
一方の柔らかい鉄は、鋭い刃を長く保つには向かないものの、曲がることで衝撃を受け止めやすい。
ならば。
その二つを組み合わせればいい。
前世で知っていた日本刀にも、硬さの異なる鋼を組み合わせる考え方があった。
だが、知識として知っていることと、実際に作れることはまったく別だ。
それは砂鉄から鋼を作る過程で、嫌というほど学んできた。
アルス「まず、小さいので試します」
ゴルン「言われなくてもそのつもりだ」
アルス「最近、先に言わないと全部ゴルンさんに言われるから」
ゴルン「成長したじゃねぇか」
アルス「褒めてます?」
ゴルン「半分くらいな」
アルスは少し頬を膨らませたが、すぐ作業台へ視線を戻した。
アルス「これとこれをくっつけたいです」
ゴルン「鍛接だな」
アルス「やっぱり、この世界にもあるんですね」
ゴルン「当たり前だ。鍛冶屋を何だと思ってやがる」
アルス「すみません」
ゴルンは硬い鋼片を持ち上げた。
ゴルン「鉄同士を熱して叩いてつなぐ。それ自体は珍しくねぇ。大きな材料を作る時や、傷んだものを直す時にも使う」
アルス「じゃあ簡単?」
ゴルン「簡単だったら鍛冶屋は苦労しねぇ」
アルス「ですよね」
予想通りだった。
◇◇◇
最初に行ったのは。
二つの材料を整えることだった。
表面の汚れ。
酸化した部分。
付着している滓。
それらを落とす。
アルス「そのままじゃ駄目なんですか?」
ゴルン「汚れたまま重ねても、その汚れごと挟み込むだけだ」
アルス「間に余計なものがあると、ちゃんとくっつかない?」
ゴルン「ああ」
アルスは小さく頷いた。
これは。
どこかで聞いた話に似ている。
粗鋼を鍛える時も。
内部に滓が多ければ。
うまくまとまらなかった。
余計なものを減らす。
それは。
ここでも重要らしい。
ゴルンが材料を整え。
二枚の金属片を重ねる。
ゴルン「今日は俺がやる」
アルス「はい」
アルスに扱わせるには。
温度が高すぎる。
特に鍛接では。
普段の鍛造より。
さらに高い熱が必要になる。
五歳のアルスは。
安全な場所から。
観察する役目だ。
◇◇◇
炉の中へ。
二つの金属片が入る。
赤くなる。
さらに。
明るくなる。
ゴルンは。
炎と。
鉄の色を。
じっと見ている。
アルス「まだ?」
ゴルン「まだだ」
少し待つ。
アルス「今?」
ゴルン「まだ」
さらに待つ。
アルス「……今?」
ゴルン「坊ちゃん」
アルス「はい?」
ゴルン「少し黙ってろ」
アルス「はい……」
アルスは口を閉じた。
やがて。
ゴルンの目が。
わずかに細くなる。
ゴルン「今だ」
金属片を取り出す。
素早く。
金床へ。
そして。
槌。
カンッ。
カンッ。
カンッ。
最初は。
強く叩かない。
重ねた材料が。
ずれないよう。
少しずつ。
なじませる。
アルスは。
食い入るように見る。
それから。
さらに。
槌が入る。
カンッ!
カンッ!
カンッ!
火花が。
散る。
やがて。
ゴルンが。
槌を止めた。
アルス「くっついた?」
ゴルン「見た目はな」
見た目。
その言葉に。
アルスは嫌な予感がした。
◇◇◇
冷ましてから。
試験片を確認する。
外から見る限り。
二枚の鉄は。
一つになっているように見えた。
アルス「成功?」
ゴルン「曲げるぞ」
アルス「はい」
固定する。
力を加える。
少しずつ。
曲げる。
すると。
パキッ。
アルス「あっ」
接合した部分から。
二つに。
剥がれた。
アルス「……失敗」
ゴルン「失敗だな」
アルスは。
剥がれた面を見る。
全体が。
きれいにつながっていない。
一部だけ。
くっついていた。
アルス「なんで?」
ゴルン「考えてみろ」
アルスは。
接合面を眺める。
表面は。
きれいにした。
温度。
叩き方。
加熱時間。
いくつか。
考えられる。
アルス「温度が足りなかった?」
ゴルン「可能性はある」
アルス「叩くのが遅かった?」
ゴルン「それもある」
アルス「表面がまだ汚れてた?」
ゴルン「それもある」
アルス「いっぱいある……」
ゴルン「だから一つずつだ」
アルス「はい」
聞き慣れた言葉だった。
◇◇◇
次は。
材料の表面を。
さらに丁寧に整えた。
そして。
温度を。
前回より。
わずかに高くする。
ただし。
上げすぎない。
鉄は。
熱くすればするほど良いわけではない。
高すぎれば。
材料そのものを傷める。
アルスは。
それを。
すでに何度も経験している。
再び。
炉へ。
加熱。
取り出す。
叩く。
カンッ。
カンッ。
カンッ。
今度は。
前回より。
うまく一体化したように見える。
冷却。
曲げる。
ぐっ。
ぐぐっ。
アルス「……剥がれない」
ゴルン「まだだ」
さらに。
曲げる。
すると。
端の一部が。
わずかに開いた。
アルス「ああ……」
ゴルン「前よりはいい」
アルス「でも完全じゃない」
ゴルン「ああ」
アルスは。
試験片を見る。
失敗。
けれど。
前より。
良くなった。
アルス「温度は近づいた?」
ゴルン「たぶんな」
アルス「じゃあ次は」
「他の条件を見たいです」
◇◇◇
そこから。
何度か。
小さな試験が続いた。
接合面の形を変える。
平らに重ねる。
少し斜めにする。
槌を入れる順番を変える。
中央から。
外へ。
余計なものを。
押し出すように。
叩く。
アルスは。
実際に槌を振るうゴルンの動きを。
真剣に見ていた。
アルス「真ん中から外へ?」
ゴルン「ああ」
アルス「中に何か残さないため?」
ゴルン「そんな感じだ」
アルスは。
前世で見た。
鍛接の知識を。
ぼんやりと思い出す。
酸化。
接合面。
鍛接温度。
そして。
接合を助けるもの。
アルス「……硼砂」
ゴルン「なんだ?」
しまった。
アルスは。
口を滑らせた。
アルス「えっと……」
ゴルン「ほうしゃ?」
アルス「前に……どこかで聞いたような……」
ゴルン「またそれか」
アルス「はい……」
ゴルンは。
じっとアルスを見る。
しかし。
それ以上は。
追及しなかった。
カインと同じ。
アルスがいつか話す。
その約束を。
周囲の大人たちは。
待ってくれている。
ゴルン「それは何をするもんだ?」
アルス「たしか」
「鉄をくっつける時に」
「表面にできる邪魔なものを減らすのを助ける……ような」
ゴルン「物なのか?」
アルス「はい。でも」
アルスは。
首を振る。
アルス「僕、その名前しか覚えてません」
何から作るのか。
どこで手に入るのか。
どれくらい使うのか。
そこまで。
正確には覚えていない。
名前だけ知っている。
それでは。
使えない。
ゴルン「なら今は忘れろ」
アルス「はい」
ゴルン「手元にない物を当てにしても仕方ねぇ」
その通りだった。
前世の知識は。
答えではない。
地図。
今ある材料と。
今いる職人で。
進める道を。
探さなければならない。
◇◇◇
午後。
ゴルンは。
古い鍛冶道具を置いてある棚から。
小さな壺を持ってきた。
アルス「それは?」
ゴルン「砂だ」
アルス「砂?」
ゴルン「鍛接する時に、細かい砂や砕いた炉材を使う奴もいる」
アルス「何のために?」
ゴルン「俺も細かい理屈までは知らん」
ゴルンは。
少し砂を指でつまむ。
ゴルン「だが、昔から鉄をつなぐ時に使われてるやり方の一つだ」
アルスの目が。
輝く。
この世界には。
この世界の。
積み重ねがある。
自分が。
前世の知識を持ち込まなくても。
職人たちは。
長い時間をかけて。
技術を作ってきた。
アルス「試したいです」
ゴルン「だろうな」
◇◇◇
新しい試験。
接合面を。
丁寧に整える。
重ねる。
加熱する。
途中で。
ゴルンが。
細かな砂を使う。
そして。
再び。
炉へ。
熱する。
十分な状態を見極め。
取り出す。
金床。
槌。
カンッ。
カンッ。
カンッ。
中央から。
外へ。
少しずつ。
そして。
しっかりと。
二つの材料を。
一つへ。
つないでいく。
冷ます。
曲げる。
ぐっ。
ぐぐっ。
さらに。
力を加える。
アルス「……」
ゴルン「……」
剥がれない。
アルス「くっついた?」
ゴルン「今までで一番いい」
アルス「やった!」
ゴルン「まだ喜ぶな」
アルス「分かってます!」
今度は。
接合部を。
切断する。
断面を見る。
完全に。
境目が消えているわけではない。
しかし。
前回までとは。
明らかに違う。
接合している範囲が。
広い。
ゴルン「悪くねぇ」
アルス「じゃあ次は?」
ゴルン「叩く」
加熱。
鍛造。
曲げる。
伸ばす。
何度か。
力を加える。
それでも。
すぐには剥がれなかった。
アルス「……できた」
ゴルン「ああ」
アルス「二つの鉄が」
「一つになった」
硬い鋼。
柔らかい鉄。
性質の違う。
二つの材料。
それが。
槌の下で。
一つにつながった。
◇◇◇
そこへ。
カインがやって来た。
カイン「今日は何をしている?」
アルス「お父様!」
アルスは。
嬉しそうに。
試験片を持ち上げようとして。
ゴルン「まだ熱いぞ」
アルス「危なっ!」
カイン「……何をしているんだ」
アルス「今のは忘れてください」
カイン「無理だな」
少し時間を置き。
十分に冷えた試験片を。
カインへ見せる。
アルス「硬い鋼と、柔らかい鉄をくっつけました」
カイン「なぜそんなことを?」
アルス「良いところを一緒にできないかなって」
カイン「良いところ?」
アルス「硬い鋼は刃に向いてます。でも硬すぎると欠けやすいです」
「柔らかい鉄は刃には向かないけど、粘りがあります」
「だから」
アルスは。
二つの材料が。
一つになった試験片を見る。
アルス「硬いところと」
「粘るところを」
「一つの道具にできたら」
「もっと丈夫な刃物ができるかもしれません」
カインは。
少し考える。
カイン「つまり、どちらか一方を完璧にするのではなく」
「違う性質を組み合わせるのか」
アルス「はい」
カイン「炉壁と同じだな」
アルス「……あ」
アルスは。
目を瞬いた。
炉も。
内側は。
火に耐える材料。
外側は。
熱を逃がしにくい材料。
全部を。
一つの材料で。
解決しようとはしなかった。
アルス「本当だ」
カイン「自分で気付いていなかったのか?」
アルス「はい」
カインは。
小さく笑った。
カイン「なら覚えておけ」
「一つのものに」
「全てを求めなくてもいい」
アルス「一つのものに、全部を求めない……」
アルスは。
その言葉を。
胸へ刻んだ。
◇◇◇
翌日。
今度は。
試験片ではなく。
小さな刃物を作ることになった。
ただし。
いきなり包丁ではない。
もっと小さい。
簡単な小刀。
中心となる部分には。
粘りのある鉄。
刃となる部分へ。
硬い鋼。
まだ。
日本刀の複雑な構造を。
再現するわけではない。
まず。
二つの性質を持つ材料で。
本当に刃物が作れるのか。
それだけを。
確かめる。
ゴルン「坊ちゃん」
アルス「はい?」
ゴルン「今日は見るだけだぞ」
アルス「分かってます」
ゴルン「絶対触るなよ」
アルス「分かってます!」
ゴルン「昨日、熱い試験片を掴もうとした奴がいたからな」
アルス「……忘れてください」
鍛冶場に。
槌の音が。
響き始める。
カン。
カン。
カン。
柔らかな鉄。
硬い鋼。
二つを。
熱し。
つなぎ。
叩き。
一つの形へ。
育てていく。
アルスは。
その光景を。
息をするのも忘れそうなほど。
真剣に見つめていた。
前世で。
知識として知っていた。
日本の刀。
玉鋼。
鍛接。
折り返し。
焼き入れ。
けれど。
今。
目の前にあるのは。
その再現ではない。
この世界。
セレンの砂鉄。
セレンの木炭。
シュゲール領の粘土。
この土地の職人が積み上げてきた技術。
そして。
アルスが。
前世から持ち込んだ。
ほんの少しの知識。
それらが。
少しずつ。
混ざり始めている。
まだ。
玉鋼ではない。
まだ。
日本刀でもない。
けれど。
アルスたちは。
確かに。
新しい刃物へ続く。
最初の一歩を。
踏み出していた。




