第109話 ちょうどいい時間を探そう
夜を越える長時間操業に成功した翌々日。
シュゲール伯爵家の鍛冶場では、アルスとゴルンが作業台を挟んで向かい合っていた。
二人の間に広げられているのは、これまでの製鉄実験で残してきた記録だった。
短い時間で終えたもの。
夕方まで続けたもの。
そして、初めて夜を越えたもの。
使った砂鉄と木炭の量。得られた粗鋼の量。その中から選び分けた良質鋼候補の量。炉の傷み方や滓を抜いた回数も、分かる範囲で残されている。
昔なら。
大きな鉄の塊ができた。
それだけで喜んでいたかもしれない。
しかし、今は違う。
アルス「長くやれば、鋼は増えてます」
ゴルン「ああ」
アルス「良い鋼も増えてる」
ゴルン「ああ」
アルス「でも、使った木炭も増えてる」
ゴルン「ああ」
アルス「人もいっぱい必要になってる」
ゴルン「ああ」
アルス「炉も傷んでる」
ゴルン「ああ」
アルスは頬を膨らませた。
アルス「ゴルンさん、さっきから『ああ』しか言ってません」
ゴルン「坊ちゃんが全部言うからだろ」
アルス「一緒に考えてくださいよ」
ゴルン「考えてるよ」
ゴルンは記録を指で叩く。
ゴルン「だから、どれが一番いいと思う?」
アルス「それを調べたいんです」
ゴルン「なら、まず何をもって『いい』とする?」
アルス「え?」
アルスの動きが止まった。
良い操業。
たくさん鋼ができること。
いや。
それだけではない。
木炭を使いすぎないこと。
良質鋼が多いこと。
炉が壊れにくいこと。
職人へ無理をさせないこと。
アルス「……いっぱいあります」
ゴルン「だろ?」
ゴルンは笑った。
ゴルン「一番でかい鉄の塊を作るだけなら、話はもっと簡単だったんだがな」
アルス「でも、それじゃ駄目です」
ゴルン「なら調べるしかねぇ」
アルス「はい」
アルスは記録へ視線を戻した。
ちょうどいい。
簡単な言葉なのに。
それを見つけるのは。
とても難しかった。
◇◇◇
最初に決めたのは。
比較する条件だった。
炉は同じ。
砂鉄も同じ場所から採ったものを、できるだけ均一になるよう混ぜてから分ける。
木炭もドランに協力してもらい、同じ種類と似た大きさのものを用意する。
送風も。
投入方法も。
予熱も。
できるだけ揃える。
そして。
変えるものは。
操業時間だけ。
アルス「短い時間。今まで基準にしてきた時間。それより長い時間」
ゴルン「まずはそのくらいだな」
アルス「夜を越えるのは?」
ゴルン「後だ」
アルス「ですよね」
夜間操業は。
人員。
照明。
安全。
気温。
変わる条件が多すぎる。
まずは昼間の範囲で。
操業時間だけを変える。
その方が。
比較しやすい。
◇◇◇
実験が始まった。
最初は。
短時間。
十分に予熱した炉へ。
木炭と砂鉄を投入する。
ふいごを動かす。
滓の状態を確認する。
そして。
決めた時間で。
止める。
冷却。
取り出し。
計量。
粗鋼を割り。
選別。
さらに。
良質鋼候補を量る。
アルスは。
結果を紙へ書き込む。
アルス「やっぱり少ない」
ゴルン「そりゃ短いからな」
アルス「でも木炭も少ないです」
ゴルン「それも当然だ」
問題は。
割合。
使った材料に対して。
どれだけ。
使えそうな鋼が得られたのか。
アルスは。
まだ複雑な計算を持ち込まない。
この世界で使い始めた基準重り。
《一量》。
それを使って。
砂鉄。
木炭。
粗鋼。
良質鋼。
それぞれを。
並べて比較する。
アルス「短いと」
「砂鉄が鉄になりきってないところが多い?」
ゴルン「ああ。炉の中を通る時間が足りねぇんだろうな」
短すぎれば。
木炭は節約できる。
だが。
砂鉄を十分に活かせない。
それでは。
効率が良いとは言えない。
◇◇◇
次は。
これまで基準としてきた時間。
同じように。
予熱。
砂鉄。
木炭。
送風。
途中で滓も抜く。
担当者も。
決めた時間で交代する。
アルスは。
安全な場所から。
記録を続けた。
やがて。
操業終了。
翌日。
冷えた炉を開く。
粗鋼を取り出す。
量る。
割る。
選ぶ。
アルス「こっちは」
「良い鋼が増えてます」
ゴルン「短い時よりな」
アルス「木炭も増えたけど」
「増えた木炭に対して、良い鋼の増え方が大きい?」
ゴルン「そう見えるな」
アルスは。
二枚の記録を並べる。
短時間。
基準時間。
今のところ。
基準時間の方が。
砂鉄も。
木炭も。
より有効に使えているように見える。
アルス「じゃあ、もっと長くしたら」
ゴルン「どうなるかだな」
◇◇◇
数日後。
三回目。
今度は。
基準より長く。
ただし。
夜へ入る前に終了できる範囲。
操業を続ける。
火を育てる。
砂鉄を入れる。
木炭を加える。
風を送る。
滓を抜く。
人が交代する。
さらに続ける。
粗鋼は。
確実に育っていく。
しかし。
後半へ入ると。
少しずつ。
様子が変わってきた。
職人「ゴルンさん、炭の減りが少し早いです」
ゴルン「風は?」
職人「基準通りです」
アルス「炉壁?」
確認する。
長時間。
高温へ晒されている。
交換式の送風口周辺部材も。
少しずつ傷んでいる。
さらに。
滓抜きの回数も。
増えていた。
アルス「続けるほど」
「必要な仕事も増える」
ゴルン「そういうことだな」
それでも。
予定した時間まで。
安全に操業を続ける。
◇◇◇
翌日。
結果を比べる。
粗鋼。
増えている。
良質鋼。
これも増えている。
アルス「増えた!」
ゴルン「喜ぶのはまだ早ぇぞ」
アルス「分かってます」
木炭。
こちらも。
かなり増えている。
さらに。
炉の補修。
交換部材の消耗。
職人が働いた時間。
滓抜きの回数。
それらも。
増えている。
アルスは。
三つの記録を。
じっと見る。
アルス「……あれ?」
ゴルン「気付いたか?」
アルス「長くしたら」
「良い鋼は増えたけど」
「増え方が小さくなってる?」
短時間から基準時間へ延ばした時。
良質鋼は。
大きく増えた。
しかし。
基準時間からさらに延ばした時。
確かに増えてはいる。
けれど。
同じようには増えていない。
その一方で。
木炭。
人手。
炉の傷み。
それらは。
着実に増えている。
アルス「長くすればするほど」
「少しずつ損になる?」
ゴルン「今の炉とやり方なら、そういう時間があるのかもしれんな」
アルスは。
目を輝かせる。
アルス「じゃあ」
「ちょうどいいところがある!」
ゴルン「たぶんな」
アルス「探しましょう!」
ゴルン「そう言うと思ったよ」
◇◇◇
ただし。
すぐに答えは出さない。
同じ時間で。
もう一度。
さらに。
もう一度。
砂鉄も。
木炭も。
完全に同じものではない。
職人の動きも。
天候も。
少しずつ違う。
だから。
一回の結果だけでは。
決めない。
何度か繰り返す。
すると。
少しずつ。
傾向が見えてきた。
短すぎる操業では。
砂鉄を十分に活かせない。
ある程度まで時間を延ばすと。
良質鋼が増える。
しかし。
さらに長くすると。
良質鋼は増えても。
木炭や人手。
炉の消耗まで考えれば。
効率の伸びは小さくなる。
アルス「山みたい」
ゴルン「山?」
アルス「ここまでは、どんどん良くなる」
アルスは。
紙へ。
緩やかな線を描く。
最初は。
大きく上がる。
しかし。
途中から。
上がり方が。
小さくなる。
アルス「ずっと同じようには増えない」
ゴルン「面白ぇな」
アルス「一番高いところじゃなくて」
「使ったものまで考えて」
「一番ちょうどいいところを探す」
ゴルンは。
その言葉を聞いて。
少し笑った。
ゴルン「坊ちゃん」
アルス「はい?」
ゴルン「五歳児が『ちょうどいいところ』探すのに何日かけてんだ」
アルス「大事なんです!」
ゴルン「分かってるよ」
◇◇◇
午後。
父カインとライムが。
結果を見に来た。
カイン「それで、最も長く操業したものが一番良かったのか?」
アルス「鋼の量だけなら」
カイン「では、違うのか?」
アルス「はい」
アルスは。
記録を見せる。
アルス「長くすれば良い鋼は増えます。でも木炭も増えるし、人も長く働かないといけないし、炉も傷みます」
ライム「つまり、鋼一つを得るために必要な負担も増えると」
アルス「はい」
カイン「なら、アルスならどうする?」
アルスは。
少し考える。
アルス「今は」
「夜を越えるほど長くしない方がいいと思います」
カインは。
黙って続きを待つ。
アルス「夜を越えることができるのは分かりました」
「でも」
「できるから毎回やるんじゃなくて」
「今の炉なら」
「昼の間に終わるくらいで」
「良い鋼が増えやすい時間を使った方がいいと思います」
カイン「なぜだ?」
アルス「森も」
「職人さんも」
「炉も」
「無理をしなくていいからです」
しばらく。
沈黙。
やがて。
カインが。
ゆっくり頷いた。
カイン「それでいい」
アルス「でも」
アルスは。
大きな粗鋼塊を見る。
アルス「いつかは」
「もっと長く続けても」
「無理にならない方法を考えたいです」
カイン「それもいい」
今できること。
将来目指すこと。
それを。
同じにしない。
アルスは。
少しずつ。
それを学び始めていた。
◇◇◇
その日の夕方。
アルスは。
ゴルンと一緒に。
良質鋼候補を整理していた。
その中に。
一つ。
妙な塊があった。
アルス「ゴルンさん」
ゴルン「なんだ?」
アルス「これ」
他のものより。
やや大きい。
破断面を見る。
中央と。
外側。
色合いが。
少し違う。
槌で叩いた時の感触も。
違う。
ゴルン「外は硬いな」
アルス「中は?」
ゴルン「少し柔らかい」
アルスの胸が。
どくんと鳴った。
前世の記憶。
日本刀。
硬い部分と。
粘りのある部分。
もちろん。
この塊は。
狙って作ったものではない。
偶然。
炉の中で。
場所によって。
性質が変わっただけだろう。
アルス「……これ」
ゴルン「何か思いついた顔だな」
アルス「硬い鋼と」
「柔らかい鉄を」
「一緒に使えないかな」
ゴルン「前にも言ってたな」
アルス「はい」
以前。
小刀を作った時にも。
少しだけ。
考えた。
硬い材料だけでは。
刃こぼれしやすい。
柔らかい材料だけでは。
刃が鈍りやすい。
なら。
それぞれの。
良いところを。
組み合わせる。
ゴルン「簡単じゃねぇぞ」
アルス「分かってます」
ゴルン「くっつけるだけじゃ駄目だ」
アルス「はい」
ゴルン「鍛接も必要になる」
アルス「……やってみたいです」
ゴルン「まず小さいのでな」
アルス「はい!」
また。
新しい道が。
見えた。
◇◇◇
その夜。
アルスは。
手帳を開いた。
今日学んだことを。
ゆっくり書く。
『ながければながいほど いいわけじゃない』
続けて。
『たくさんできても たくさんつかったら いいとはかぎらない』
そして。
『いまのろには いまのろにあったじかんがある』
最後に。
今日見つけた。
硬さの違う鋼を思い出す。
『かたいものと やわらかいものを いっしょにつかったら?』
アルスは。
そこで。
筆を止めた。
砂鉄から。
鉄を作った。
鉄から。
鋼に近いものを作った。
良い鋼を。
選べるようになった。
炉の条件を整え。
木炭を減らし。
壊れた部分だけを交換できるようにし。
滓を抜き。
人から人へ火をつないだ。
そして。
長時間操業まで。
試した。
けれど。
アルスが前世で知っていた。
《刀》へ至るには。
まだ。
足りないものがある。
鋼を。
どう使うのか。
どう鍛えるのか。
そして。
性質の違う鉄を。
どう組み合わせるのか。
炉の研究から始まった道は。
少しずつ。
再び。
鍛冶師の槌の下へ。
戻ろうとしていた。
次にアルスが挑むのは。
硬い鋼と。
粘りのある鉄。
二つの性質を。
一つへつなぐこと。
後に。
シュゲール領の刃物作りを大きく変える。
《鍛接》への挑戦が。
始まろうとしていた。




