夜
今日から祈りを捧げる予定になっていたのに、それをすっかり忘れていた、と眠る前になって思い出した。楽はないけれど、とりあえず踊っておこう、と体を動かしていると、コンコン、と扉がノックされる。こんな時間に誰だろう、と思いながら返事をしても誰も入ってこない。なんだろう、と思って恐る恐る扉を開けると、そこにはギリウス王子が立っていた。ギリウス王子は私のことを見ると気まずそうな顔をした。
「どうされたんですか」
「…体が、大丈夫か気になってな」
その言葉に、ああ、と合点がいった。私が昨日あまりにも疲れていたから心配をしてくれたのだろう。それにしてもなぜこんな時間に訪ねたのか。とりあえず部屋に、と促してもギリウス王子は扉の前を動こうとはしなかった。
「入らないんですか」
「…こんな時間だからな」
「そうですか」
それなら、と思い部屋の外に出る。ギリウス王子の隣に立つと、その薄着に目がいった。王宮の中だからかもしれないけれど、寒くはないのだろうか。
「どうぞ」
「なんだ」
「羽織です。寒そうなので」
「お前が寒くなるだろう」
「私はすぐに部屋に戻れるので」
ギリウス王子に羽織を差し出してもなかなか受け取ろうとしない。私にしては大きな羽織だから、ギリウス王子でも使えると思ったけれど、小さいかな、と思っているとそれが受け取られた。ギリウス王子が羽織を羽織ると、ふわりと私の部屋の匂いがした。
「気にかけていただいてありがとうございます。もうすっかり元気です」
そう言うと、ギリウス王子は何も言わずに頷いた。それだけの用事だったんだろうかとギリウス王子の顔を見上げる。すると、視線を逸らされた。
「リャトが、旅の話を聞きたいと言っている」
「そうですね、またリャト王子のお屋敷に伺わせていただきます」
「明日の午前中だ。その時間が空いている」
ギリウス王子の言葉に、まさか一緒に来るつもりなのか、と思ったけれど、そこは追求しないことにした。追求すれば、ギリウス王子の機嫌を損ねそうだし、きっといろんなことを慮っての行動だろう。
「では明日の午前に伺います」
「ああ」
「では、おやすみなさい」
そう言うと、ギリウス王子は頷いてくれた。おやすみくらい言えよ、と思ってしまうけれどそれを求めるのはまだ早いのかもしれない。ギリウス王子がその場を立ち去るのを待ったけれど、なかなか立ち去ってくれない。どうしたんだ、と思っているとギリウス王子の手が私の頭に伸びてきた。
「また明日」
頭を撫でられたことに驚いて、ギリウス王子の顔を見る前に、ギリウス王子は手を離して立ち去ってしまった。その背中を見送りながら、なんだったんだ、と撫でられた頭を押さえた。
羽織から香る匂いがフューイのものであることをギリウスは知っていた。香水もつけない彼女の匂いは、どこか素朴で安心感がある。ギリウスは私室についてからその羽織を自分の肩から外して、顔を近づけようとしてやめた。それをする自分を客観的に見た時に悍ましいと思ってしまったのだ。深く息を吐いて、羽織を椅子にかける。
その羽織をかけた椅子と机を挟んで向かいの椅子にギリウスは腰掛けた。夜になってフューイの元を訪れたのは気になってしかたなかったからだ。どうしているのだろう、体は疲れていないのだろうか、と。
ギリウスの元にルリアートからの報告はまだない。フューイが旅でどのようなことを成し遂げ、これから彼女がどうなるのかもギリウスはまだ知らない。それにも焦れている自分を、ギリウスは自覚していた。
今日だけで仕事の失態はいくつかあった。その度に舌打ちをした。家臣たちは何に苛立っているのかわからず、困惑しただろう。周りに威圧感を与えるのも良くないことだとギリウスはわかっている。それでも止められなかった。
結局、気になって仕方なく、ギリウスはこんな時間になってフューイの元を訪ねた。訪ねるならもっと早くに訪ねればよかった。それなら、扉を開けた時にあんな怯えた顔をさせずに済んだ、とギリウスは悔いた。
それでも彼女と明日のことを約束できたことはよかった。ギリウスは自分の心が安堵していることをわかっていた。深く息をもう一度吐いて、ギリウスはその羽織を自分の視界に入れないように俯く。
彼女の匂いで鼓動が高鳴っている自分が気持ち悪くて、あまり認めたくなかった。
第三章が終わりました。
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