モナリザに食べられて死んだ男
いよいよ本格的な異世界ライフ! そんな甘っちょろいこと考えていたのは草原に着く前までの話だ。場所は始まりの草原。青々とした草原が地平線まで広がっているわけだが、少し小高い丘に上がると、モナ蟹の群れが見えた。
全長は5~10メートルほどで、朱色の甲殻、鋏を持った蟹のモンスターだった。これだけならただデカイ蟹なのだが、気持ち悪いことに正面に巨大な人間の顔が付いているのだ。
それもただの顔ではない。俺にとってなんとなく見覚えがあるような……そう、思い出した。モナリザだ! なぜかモナリザの顔が蟹に付いているのだ。
「イーリス。この世界にはレオナルドダヴィンチでもいるのか?」
「いないですけど、私が似せて作ったんです!」
イーリスは花のような笑顔でそう断言した。
これを聞いた俺は今どんな顔をしたのだろうか。イーリスが何かを察したように顔を引き攣らせた。
「……は? 作った? 今お前なんて言った?」
「……作り、ました。五百年ぐらい前に」
「やっぱ邪神じゃねえか!!」
モンスターを作るとか善神がするはずない。こいつが邪神扱いされてるのも納得だ。
「お願いです! 話を! 少しだけでも話を!」
「断ると泣くだろうし、言ってみろ」
それに理由は気になる。……待てよ? これは冷静に考えたら凄いことなんじゃないか? 知られざる神々の歴史を俺だけが知ることができるなんて。
なんだかんだで俺は興味津々で耳を貸した。イーリスはなぜか誇らしげに答えた。
「ではお教えしましょう! 私と父様は戦の神です。血の煮えたぎる戦いが必要なのです! あ、私は観戦が好きなだけですよ? だから転生した人間に特別な力を与えて勇者もしくは魔王にして壮絶な戦いをさせたり、モンスターを作って定期的に狩りをさせたりするわけです!」
俺は絶句した。知られざる神話は知られない方がよかった。この女神、ガチな黒幕だった……。モンスターのみを支援する神がいたとしても、下手したらそいつらよりタチが悪い。
戦争が儲かるから戦争を起こさせるみたいな……そんな理屈であった。
イーリスは俺がドン引きしているのも気付かずに話を続けた。
「ちなみにですけど、勇者は魔王を倒した後、次の魔王に絶対勝てないように調整してあるんですよー! 逆もしかり。まぁ私は力不足なのでモナ蟹みたいのを生み出すのが精一杯なんですけど」
それだけでも充分過ぎるくらい邪神の所業である。勇者一強にせずわざと戦いを持続させるイーリス父に関しては本当に邪悪そのものである。
俺は沢山のモナ蟹に目をやった。奴らは何百匹もの群れで、草原を横断していた。時々孤立している蟹は群れを離れてその辺を歩き回っている。……キモかった。現実世界にいたら不快害獣として苦情は免れない。
「イーリス。今お前が教えてくれた話、皆にバラしたらどうなる? イーリスがモンスターを生み出す諸悪の根源だって」
「神が教えてくれたって? どうにもなりませんよ。だって信じるはずないじゃないですか」
言われてみればそうか。だが俺は信じるぞ。
「……なんで俺に教えたんだ? 俺は今、本気でお前を蟹の群れに置いて行こうかどうかで悩んでるぞ」
「えへへー! ちょっとクスっと来ましたよ。今の冗談。こんな可愛い女の子をあんなモンスターの群れに置き去りなんて、まるで悪魔ですよ」
「はへぇ。今のを冗談と思えるのか。さっすが女神様だなー。でも俺、イーリス信者なんで遠慮なく悪は処理しますよ。それに女の子って言ったけどさっき自分で最低でも五百歳以上なのをカミングアウトしたよね? 若作りもいいとこだな」
俺が精一杯に煽り、嘲笑してやると、ついにイーリスは切れた。
「あ? いい度胸じゃないですか。私のほうが力もあるんですよ? なんならカイトだけ置き去りにしてやりますよ!?」
止めろ。冗談でもそんなことやられたら死神の寵愛で死ぬ。ステータスは圧倒的に負けてるから勝てる気もしない。
「あっはっは。ジョークだよジョーク。ジャパニーズジョーク! ほら、俺たち仲間だろ? 一緒に狩ろうぜ?」
俺は群れを離れているモナ蟹を指差した。モナ蟹はハサミで草原の草を切り取ると、微笑むその口にねじ込んでいた。
一方のイーリスは笑顔ではなく、ぷくりと頬を膨らませて、不満げだ。実は結構な歳だということが判明して、必死であざとい表情をしているのだろうか? 彼女が何を考えてるか分かったもんじゃないが、なんだか哀れだった。
「ほら、イーリス! バフくれバフ。そんで報酬で初クエスト祝いでパーッと騒ごうぜ」
「仕方ないですね……続きはクエストクリア後にしましょう。【アレグロ】【ファイトソング】!」
イーリスがスキル名を発声すると、俺の体に楽譜の線のようなものが纏わり憑いた。まだ素早くなれた気分ではない。
「待ってねカイト。こっから私が華麗な歌を歌うことでその歌が聞こえる限りバフが持続するんです!」
なるほど。だから歌姫なんてジョブ名をしているのか。そういえばイーリスが歌うときはいつも道路の舗装工事で聞いたことがなかった。少し楽しみだ。
「我が子どもたちよ、栄光の日がやってきた♪」
イーリスが透き通るような声で歌い始めると、赤と青色の四分音符が俺の体の回りを漂い始めた。すると体に力が湧き、羽のように軽くなる感覚がした。これなら行ける気がする。
俺は一番近くにいたモナ蟹向けて走り出した。
「我らに向かって、暴君の血塗られた軍旗がかかげられた♪」
モナ蟹はずっと左側を向いていた。もともとの絵が左を見ているからだろう。だから必然的に視覚となるはずの右側から、俺はモナ蟹向けてショートソードで切り掛かった。
「血塗られた軍旗がかかげられた♪」
さすが甲殻類と言ったところか。敵にはかすり傷しか入らなかった。俺は舌打ちをして、なんだか物騒な歌に力を借りて、何撃かさらに切り掛かる。内一発が関節と関節の間に深く突き刺さった。
「やったか!?」
1ダメージしか与えられなくとも、貫いてしまえばさすがにダメージはあるはずだ。だから俺は期待を込めてフラグを言い放った。
「どう猛な兵士たちが、野原でうごめいているのが聞こえるか♪」
だが、予想外は起きた。いざ剣を抜いてみると、なぜか貫いたはずの箇所も、表面にかすり傷があるだけなのだ。
「おいおいマジかよ……」
モナリザの顔がこちらに向いた。瞬間、モナ蟹は鋭いハサミをこちらに放った。挟んでそのまま両断する気か!? 俺は即座に回避運動を取り、もう一方のハサミに見事に捕まった。ギシギシと骨が軋む音がして、鈍い痛みが走った。
……だが音がするほどあまり痛くない。これもスキルの力というやつか。
「子どもや妻たちの首をかっ切るために、やつらは我々の元へやってきているのだ♪」
「イーリス! ヘルプ! ヘルプミィ!! このままだと俺が掻っ切られて死ぬ!!」
「武器をとれ、信徒た……なんです。今いいところなのにって! カイト!? なんで捕まってるんです!? ちょっと耐えてください! いますぐ助けます!」
「……イーリス。ありがとう。楽しかったよ」
イーリスが気付いたときにはもう遅い。俺は全てを悟って、笑顔で別れを告げた。そして、ゆっくりとモナリザの口に運び込まれ、咀嚼されたのだった。
――――こうして俺は……モナリザに食べられて死んだ。