また日本で
「空間転移……いや、違う。それなら魔物だけが消えるのはおかしい」
ギルが、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「空間そのものを削ったのか……?」
友丸は濡れた前髪を下ろし、外していた猫のマスクをつけ直す。
「友丸」
こはくを抱いたテルスが近づいてきた。
「今の、何?」
「空間に作用する能力だ」
「それだけ?」
「ああ。それ以上は言わない」
黒田家で育った者たちは、友丸の能力を知っている。
幼い頃から何度も見てきた北田や櫻子、絢香たちにとっては、今さら隠すようなものでもない。
だが、外では別だ。
能力は冒険者にとって大きな切り札となる。自分から詳しく教えるつもりはなかった。
「お前たちにも、一つや二つは隠している切り札があるだろ」
「まあ、それはそうだな」
ギルは否定しなかった。
世界ランキングに名を連ねる冒険者であっても、能力のすべてを公表している者は少ない。映像に残った技ですら、仕組みまでは明かさない。
「でも、今のが最大の切り札とは限らないよね?」
テルスが探るように友丸を見る。
「好きに考えてくれ」
「否定しないんだ」
「これ以上は何も言わないぞ」
「分かった。もう聞かない」
そう答えながらも、テルスの視線は友丸の目元へ向いたままだった。
友丸は彼女の腕からこはくを受け取る。
「悪かったな」
「みゃ」
こはくは気にした様子もなく、いつものように友丸の頭へ収まった。
そのとき、広間の床で微かな音がした。
四人が一斉にそちらを見る。
三体の魔物が消えた場所で、黒い砂が動いていた。
「まだ何かあるのか?」
ギルが剣を構え直す。
散らばっていた砂は三つに分かれ、それぞれが小さな渦を作りながら集まっていく。
やがて黒い砂が消えると、床には三本の短剣が残されていた。
灰色の刀身に、装飾のない柄。
三体の人型魔物が握っていた物と、よく似た形をしている。
「魔物一体につき一本、ということかしら」
テルスが覗き込む。
「魔法を跳ね返していた短剣と同じものなら――」
「まだ分からない」
ギルが言葉を遮った。
「形が同じでも、同じ能力を持っているとは限らない。ここで試すのも危険だ」
「そうね」
記録係が政府用のカメラを再起動する。
「記録を再開します。三本とも未鑑定の遺物として回収します」
彼女は持参していた回収用の布を取り出した。
まず道具を使って短剣へ触れ、異常が起きないことを確認する。それから一本ずつ布で包み、専用の容器へ収めていった。
三本目を収納した直後、背後から石の擦れる音が響いた。
先ほどまで入口だった壁に、一本の縦線が走っている。
「扉が戻った」
通信機からも声が届いた。
『こちら左班。壁に扉が現れた。聞こえるか?』
「ああ。こっちからも確認した」
ギルが通信機へ答える。
連絡を受けた十三人のAランク冒険者たちは、すでに広間の外まで来ていたらしい。
『こちらで開ける。扉から離れてくれ』
「分かった」
四人が壁から距離を取る。
ほどなくして石扉が広間側へ動き、照明を手にした冒険者たちが姿を現した。
「全員無事か!」
「ああ。怪我もない」
ギルの答えを聞き、先頭の男が安堵したように息を吐く。
その後ろから入ってきた者たちは、荒れた床と壁を見回した。
「魔物は?」
「三体とも倒した」
「三体とも?」
男の視線が友丸たちの間を移動する。
「魔法を跳ね返すうえに、斬ってもすぐ再生したんだろう?」
「撮影者さんが倒した」
ギルが簡潔に答えた。
「どうやって?」
「非公開の能力だ。本人が明かすつもりのないものを、俺たちから話すことはできない」
テルスも頷く。
「配信も政府の記録も止まっていたわ。私たち三人が見ただけ」
「そういうことなら、これ以上は聞かない」
男はあっさりと引き下がった。
ほかの冒険者たちも同じだった。
上位の冒険者が切り札を隠していることなど、珍しくもない。友丸の能力が気にならない者はいないだろうが、無理に聞き出そうとする者はいなかった。
「調査は中止だ」
男が周囲へ告げる。
「入口を消す仕掛けに、未確認の人型魔物。この先へ進むには情報も装備も足りない。責任者へ報告して、全員で撤収する」
反対する者はいなかった。
この遺跡の調査に使える時間は、最初から三時間しかない。
魔物を倒せたからといって、その先が安全とは限らなかった。
一行は扉と広間の位置を記録すると、目印をたどって来た道を引き返した。
◇
長い石段を上り、地上へ戻る。
朝の光が差し込む扉を抜けると、湖岸に残っていた者たちが一斉に集まってきた。
「全員いるな?」
調査責任者が人数を数える。
「十七名、全員戻りました。負傷者はいません」
「中で何があった?」
ギルが代表して説明する。
内部で二手に分かれたこと。
友丸たちが入った直後に、広間の入口が消えたこと。
遭遇した人型魔物が魔法を反射し、傷や失った腕まで再生したこと。
最後は友丸が三体を倒し、その直後に扉が戻ったこと。
調査責任者は黙って最後まで聞いた。
「撮影者さんが使った能力については?」
「本人が公表していない能力です」
記録係が答える。
「友丸さんの指示を受け、戦闘終了まで配信と政府記録の両方を停止しました。報告書には、非公開能力によって三体を撃破したと記載します」
「分かった。それで構わない」
調査責任者は友丸へ詳しい説明を求めなかった。
能力の公開は、原則として冒険者本人の判断に委ねられている。
まして友丸は、アメリカ政府所属の冒険者ではない。今回も調査へ協力するため、一時的に同行しているだけだ。
「回収した物は?」
「灰色の短剣が三本です。魔物が使用していた物と形状は酷似しています。ただし、同じ能力を持つかは確認できていません」
「帰還後、隔離した施設で調べよう。ここでは容器から出さないでくれ」
「了解しました」
報告が終わると、友丸は記録係から配信用のカメラを受け取った。
「配信、戻してもいいかな?」
「問題ありません」
停止していた配信を再開する。
画面が戻った直後、待ち構えていた大量のコメントが流れ始めた。
『戻った!』
『無事だったのか!?』
『全員いる?』
『あの三体はどうなった?』
『なんで戦闘中に切ったんだよ!』
『政府の映像は残ってる?』
「全員無事だ。三体の魔物も倒した」
『誰が倒した!?』
『ギルとテルス?』
『撮影者さん、何した?』
『絶対に何か隠してるだろ』
「俺が倒した。方法は秘密だ」
『秘密って!』
『あの再生能力をどうやって突破したんだよ!』
『映像を見せてくれ!』
『上位ランカーも能力全部は公開してないだろ』
『切り札を配信するわけない』
『気になるけど、無事ならいい』
納得できない者も多いようだが、能力を隠す理由は視聴者にも理解されていた。
友丸は湖底神殿の入口を映す。
「危険な仕掛けと魔物が確認されたから、今回の探索はここまでだ。次に入るときは、遺跡を調べるための部隊が組まれると思う」
『今日は入らないのか』
『専門の装備も必要だろ』
『湖底神殿が見つかっただけでも大発見だ』
『次の調査も配信してくれ!』
「それはアメリカ政府に言ってくれ」
調査隊は湖底神殿の位置を改めて記録し、入口の石扉を閉じた。
周囲へ監視用の器具を設置すると、予定を変更せず帰還を再開する。
湖を回り込み、白銀の草原を進む。
その日の夕方。
友丸たちは、全員揃ってロサンゼルス異界の出口を通過した。
◇
異界の外では、アメリカ政府の職員たちが待っていた。
最初に人数を確認し、続いて全員の健康状態を調べる。採取した生物や植物、湖底神殿で回収した三本の短剣も、それぞれ専用の施設へ運ばれていった。
一週間を予定していた新エリアの調査は、六日間で終了した。
新たな地形と生態系。
複数の未確認魔物。
湖底に沈んだ神殿と、その内部に広がる巨大な空間。
さらに、魔法を反射して肉体を再生する人型魔物まで確認されている。
予定より一日早く切り上げたとはいえ、成果は想定を大きく上回っていた。
すべての手続きが終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。
施設の前では、調査を終えた者たちが順番に帰り始めている。
「撮影者さん」
荷物を受け取った友丸へ、大柄な冒険者が声をかけてきた。
「今回は面白いものを見せてもらった」
「俺も色々見られたから楽しかったよ」
「次に会うときは、その刀の限界も見てみたいものだ」
「限界まで使う相手なんて、出ない方がいいだろ」
「それもそうだ」
男は笑い、友丸と握手を交わした。
ほかの冒険者や調査員たちも、次々と挨拶にやってくる。
最後には、友丸ではなく頭の上のこはくへ別れを告げる者までいた。
「こはく、またな」
「みゃ」
「次も触らせてくれよ」
「それはこはく次第だな」
調査隊の大半を見送ったあと、ギルとテルスが近づいてきた。
「友丸」
「どうした?」
「おじいちゃんが、あなたに会いたがってる」
「断るよ」
友丸は即答した。
「まだ何も説明してないよ?」
「会ったら面倒なことになるのは分かってる」
「失礼だな。俺たちの祖父だぞ」
「燿の爺さんとはなの婆さんの昔からの友人だろ。面倒じゃないはずがないだろう」
今回の調査へ参加することになった経緯を考えれば、関わらない方がいい相手なのは間違いない。
「じゃあ、今度はこっちから行く」
テルスが楽しそうに言った。
「おじいちゃんと私たちの三人で、日本に遊びに行くから」
「来なくていいぞ」
「黒田夫妻にも会いたがっている。お前が断っても行くと思うぞ」
「なら、俺に会わずに帰ってくれ」
「それは無理じゃないかな」
テルスは笑っている。
本当に三人で日本へ来るつもりらしい。
「友丸さん」
今度は、神殿に同行していた記録係が声をかけてきた。
「今回の報告について、あとで確認が必要になるかもしれません。連絡先を教えていただけますか?」
「政府からの確認なら、日本政府を通せばいいだろ」
「それは、そうなのですが……」
彼女は一瞬だけ言葉に詰まった。
それから周囲を気にしながら、声を小さくする。
「個人的にも、連絡を取りたいと思いまして」
「どうして?」
「マスクを外したお顔が、とても素敵でしたので」
「それは連絡先を交換する理由になるのか?」
「少なくとも、私にとってはなります」
迷いなく答えられ、友丸は何も言えなくなった。
隣では、テルスが面白そうに笑っている。
「それなら、私たちも交換しよう」
「どうしてそうなるんだよ」
「日本へ行ったときに連絡できないと困るから」
「俺の連絡先も教えておく」
ギルまで携帯端末を取り出した。
結局、友丸は三人と連絡先を交換することになった。
登録が終わった直後、友丸の携帯が立て続けに震える。
記録係からは、短い挨拶。
ギルからは、自分の名前だけが送られてきた。
最後に届いたテルスのメッセージには、こう書かれている。
『これで日本へ行っても連絡できるね』
「教えなければよかった」
「もう遅いよ」
目の前で、テルスが楽しそうに笑った。
「みゃ」
友丸の頭上では、こはくまで彼女に同意するように鳴いていた。




