脅迫せれる?
翌日。
世界中で『琥珀猫』なる呼び名が勝手に定着し始めている頃。
当の友丸は、そんなことも知らずにアパートの畳へ寝転がっていた。
胸の上には、昨日その世界を騒がせた張本人がいる。
琥珀色の小さな身体を丸め、友丸の指へ前足を絡ませていた。
「ほれ」
腹を指先で撫でる。
『みゃぁ……』
気持ちよさそうに目が細くなった。
もう一度撫でる。
ころん、と仰向けになる。
「お前、ほんとそこだけ見ると猫なんだけどな」
『みゃ』
「飛ぶし」
『みゃ』
「闇魔法使うし」
『みゃあ』
返事だけはいい。
昨日、わざわざ世界中へ配信してまで正体を尋ねたというのに、結局何一つ分からなかった。
それどころか、最後には闇魔法まで使えることが判明した。
謎が減るどころか増えている。
とはいえ、分からないものは仕方がない。
友丸が小さな顎の下を撫でていると、テーブルの上で携帯が震えた。
手を伸ばして画面を見る。
櫻子。
「…………」
見なかったことにした。
やがて着信が切れる。
三秒後。
また震えた。
「しつこいな」
仕方なく通話を取る。
「もしもし」
『仕事よ』
「断る」
『まだ何も言ってないでしょうが』
「政府の仕事だろ」
『そうだけど』
「なら断る」
『会話する気ある?』
ない。
友丸は携帯を耳に当てたまま、琥珀色の腹を撫でる。
『今回は討伐でも調査でもないわ。学生向けの啓発企画』
「余計嫌だ」
『なんでよ』
「討伐依頼なら倒して帰るだけ」
『あんたね……』
電話の向こうで櫻子が息を吐いた。
『最近、冒険者になりたい学生が増えてるのは知ってる?』
「知らん」
『でしょうね』
「なんだ、その言い方」
『世間に興味ないでしょうが』
否定はできない。
『配信の影響もあって、華やかな部分ばかり見て冒険者を目指す子も増えてるの。だから異界の危険性も含めて知ってもらうために、政府で広報企画をやることになった』
「頑張れ」
『他人事みたいに言わない』
「他人事だろ」
『今のところはね』
嫌な言い方だった。
友丸は胸の上に乗っていた小さな身体を持ち上げる。
左右へゆっくり揺らすと、されるがままに前足がぶらぶらした。
『八人組のアイドルグループに協力してもらうわ』
「アイドル?」
『男三人、女五人。男女混合は今だと珍しいし、若い世代にはかなり人気がある』
「名前は?」
櫻子がグループ名を告げる。
「知らん」
『でしょうね』
また即答された。
「だから、その言い方なんなんだよ」
『ちなみにメンバー全員、冒険者資格を持ってる』
「へえ」
それは少し意外だった。
『全員Cランク』
今度は友丸も手を止めた。
「全員?」
『ええ。芸能活動を始める前から持っていた子もいるし、活動を始めてから取った子もいる。だから今回の企画にも合ってるのよ』
冒険者を目指す学生に向けて、若者から人気のあるアイドルが実際に異界へ入る。
企画としては分かる。
だからこそ――。
「俺いらないだろ」
『いる』
「全員Cランクなんだろ?」
『そうよ』
「浅いところで撮影するだけなら十分だ」
『異界だけが危険ならね』
友丸の手が止まった。
声の調子が変わった。
『ストーカーがいる』
「……ああ」
それで話が見えた。
『それだけじゃない。SNSにも過激な書き込みがいくつかある。殺害をほのめかすようなものもね』
「警察は?」
『そっちは当然動いてる。でも今回は東京異界へ入る』
地上と異界では勝手が違う。
冒険者カードさえあれば、一般人でも異界へ入れる。
まして今回の企画は事前に告知される。
『事務所側も何人か護衛の冒険者を雇うわ』
「ならいいだろ」
『政府からも出す』
「もっといらないだろ、俺」
『その中にあんたも入ってる』
「断る」
『だから最後まで聞きなさい!』
櫻子の声が携帯から響いた。
琥珀色の小さな生き物がびくっと跳ね、友丸の胸から浮き上がった。
そのまま空中で止まる。
「ほら。お前が大声出すから驚いた」
『私のせいなの!?』
「おいで」
手を差し出す。
琥珀色の身体がふわりと降りてきて、掌に収まった。
『……今、何かいた?』
「気のせいだ」
『昨日のあの子でしょ』
無視する。
「とにかく、護衛は足りてるだろ」
『事務所が用意するのは、普段から芸能人の警護をしている冒険者。政府側は異界での不測の事態に対応できる人間を選んでる』
「数人かいるんだろ?」
『いるわよ』
「じゃあ俺いらない」
『いる』
「いらない」
『いる』
「嫌だ」
『受けなさい』
「嫌だ」
『基本的に後ろからついていくだけ』
「もっと嫌だ。暇だろ」
『何も起きない方がいいのよ!』
それはそうだ。
だが、それと友丸が行きたいかどうかは別問題である。
「他を当たれ」
『……そう』
急に櫻子の声が静かになった。
「じゃあな」
『仕方ないわね』
珍しく諦めたらしい。
友丸が通話を切ろうとした、その時だった。
『お祖父様に相談するわ』
指が止まる。
「何を?」
『私の結婚』
「…………」
嫌な予感がした。
ものすごく嫌な予感がした。
『私ももうアラサーでしょう? そろそろ本気で身を固めた方がいいと思うの』
「勝手にしろ」
『ええ。だから、友丸がなかなか決断してくれないって相談してみる』
「待て」
『お祖父様、前からあなたとの結婚に乗り気だし』
「櫻子」
『私からお願いしたら、喜んで話を進めてくれると思うのよね』
「受ける」
即答した。
電話の向こうが静かになる。
数秒後。
『何を?』
「仕事」
『どの仕事?』
「……アイドルの護衛」
『受けるの?』
「受けます」
『そう』
声が笑っている。
絶対に笑っている。
『最初からそう言えばいいのよ』
「お前、それ脅迫だからな」
『何のことかしら』
「政府の人間が一般市民を結婚で脅して仕事させていいのか?」
『一般市民は昨日、世界中へ向けて深層から配信なんてしないわよ』
友丸は黙った。
昨日のことを持ち出されると少し弱い。
『詳しい日程と資料は送るから確認しておいて』
「ああ」
『遅刻しないでよ』
「努力する」
『努力じゃなくて来なさい』
通話が切れた。
友丸はしばらく携帯を見つめ――深々とため息を吐いた。
「……仕事になった」
『みゃ?』
掌の上から琥珀色の瞳が見上げてくる。
「お前は留守番な」
『みゃあ』
「そんな顔しても駄目だ」
小さな頭を指先で撫でる。
気持ちよさそうに目を細めたかと思えば、次の瞬間には友丸の指を前足で抱え込んだ。
「アイドルか……」
櫻子から聞いたグループ名を思い出す。
やはり、まったく知らない。
若い世代にどれほど人気なのかも。
どんな連中なのかも。
当然――。
昨日から世界中を騒がせている『撮影者さんらしき人物』の初配信を、その八人全員が見ていたことも。
友丸はまだ、知らなかった。




