こはく決めポーズを決める
千葉異界の事件が、まだマスコミを賑わせていた頃。
友丸とこはくは、東京異界の深層にいた。
灰色の岩が点在する、開けた一角だ。友丸が自分の能力を確かめるために使っている場所で、ここを知るほかの冒険者はいない。
こはくは人間型の姿で、友丸の頭に乗っていた。
友丸は平らな地面を選んで三脚を立て、その後ろへ鞄を置いた。中には、こはくが今日のために選んだ衣装が入っている。
昨夜、こはくは人の姿になって鏡の前に立ち、何度も決めポーズを練習していた。
「みんな、びっくりするかな」
「するだろうな」
「じゃあ、友丸もちゃんと見ててね」
そう言うと、片手を腰に添え、もう片方の手で二本の指を立てた。友丸に見てもらってから、鏡に向き直って指の位置を直す。その間も、尻尾は嬉しそうに揺れていた。寝る前まで、そんな調子だった。
今も友丸の頭から身を乗り出し、鞄の中を覗こうとしている。
友丸が鞄を開けると、こはくは肩から離れ、衣装の入った袋へ飛んでいった。
「まだだぞ。最初はいつもの姿で映るんだからな」
「みゃ」
こはくは袋から離れると、三脚の周りを一周し、その前へ回り込んだ。
「出る場所も覚えたか?」
「うん」
異界へ入る前に出しておいた配信の予告には、もういくつもの返信がついている。『報告がある』とだけ書いたのだが、その一言で随分と予想が広がっていた。
友丸は端末で開始時刻を確かめ、猫の仮面を直した。
カメラを三脚に取りつけ、その前に立つ。自分と頭の上のこはくが映っているのを端末で確かめ、配信を始めた。
「映像、見えてるか?」
《見えてる!》
《声も聞こえてるぞ》
「今日は、みんなに報告がある」
《来た!》
《待ってました》
《予告を見てからずっと気になってた》
《いい報告だよね?》
《まさか配信休止とかじゃないよな》
友丸は流れるコメントへ目を通した。
「そんなに身構えなくて大丈夫だ。これからも配信はするぞ」
《よかったあああ》
《じゃあ、ついに素顔を出すのか?》
《イケオジが拝める》
《それならテレビにつなぐ》
《大画面で見る気か》
《録画も始めた》
「素顔を出すとも言ってないだろ」
友丸が苦笑する。
配信のリンクがSNSで広まり、視聴者数は増え続けている。友丸が数件のコメントを読んでいる間にも、表示された数字が何度も変わった。
《今来た、何の報告?》
《まだ分からん》
《素顔じゃないらしい》
《海外の友達にも送ってくる》
「報告は、こはくのことだ」
「みゃー」
こはくが頭の上で身を乗り出した。カメラへ近づきたそうにしているので、友丸は片手を添えてやる。
《こはくちゃん!》
《今日も乗ってる》
《その報告なら聞かないわけにはいかない》
《新能力?》
《魔物を止める秒数が増えたとか?》
《もっと大きくなれるようになった?》
《大きくなったら頭に乗れなくなるぞ》
《撮影者さんなら平気そう》
友丸は頭の上のこはくへ声をかけた。
「早く見せたいか?」
「みゃ!」
頭の上から、元気な声が返ってきた。
「そうだな。説明するより、見てもらった方が早い」
こはくが頭から離れ、鞄のそばへ飛んでいく。友丸もカメラの後ろへ回った。
「少し待っててくれ」
カメラの角度を調整し、岩場が広く映るようにする。
画面から一人と一匹が消え、大小の灰色の岩と、その間に広がる地面だけが映った。
《どこだ、ここ?》
《深層か?》
《こはくちゃんの話に気を取られてたけど、背景すごいな》
《新能力のお披露目なら広い場所が要るのか》
《岩を全部吹き飛ばすとか?》
《先に撮影者さんがやりそう》
友丸は端末で映像を確かめながら答えた。
「ここなら、途中で人が来る心配がないからな」
《誰かに見られたらまずいの?》
《今から俺たちが見るんだぞ》
《見物人が集まらないようにってことか》
その間に、カメラの後ろではこはくが人の姿になっていた。
鞄を指さし、それから両手を広げる。早く着せてほしいらしい。
友丸は端末を鞄の上に置き、白と淡いピンクの衣装を取り出した。大きなリボンを潰さないように広げ、こはくに着せてやる。
こはくは袖に手を通すと、すぐにフリルを眺めた。
友丸は衣装の後ろに開いた穴から尻尾を出してやり、背中の留め具を閉じていく。こはくはその間も、手首を返して袖口を見比べていた。
「きつくないか?」
こはくは首を横に振った。
「似合ってるぞ」
嬉しそうに身体を揺らす。まだ留め具を閉じ終えていなかった友丸は、その背中を軽く押さえた。
「ちょっと待て。まだだ」
こはくが身体を止める。尻尾だけは、まだ左右に揺れていた。
配信に届いているのは、友丸の声だけだ。鞄の上の端末へ目をやると、コメントはさっきとは違う予想で埋まっていた。
《何か着せてる?》
《撮影者さんの新装備か?》
《自分の装備に「似合ってるぞ」とは言わんだろ》
《じゃあ、こはくちゃんの衣装かな》
《猫用の服!?》
《お着替えで待ちきれなくなってるのか》
《もう何でもいい、早く見たい》
友丸はこはくに手袋を渡し、靴を履くのを手伝った。
こはくが足先を見ようと身体を浮かせる。背中のリボンが揺れると、今度はそちらが気になったらしく、後ろを振り返った。
「よし。あとはお面だな」
友丸が取り出したのは、人気の魔法少女アニメの主人公をかたどったお面だ。大きな瞳と笑った口が描かれている。
お面をつけてやると、こはくは両手を添え、ずれていないか確かめた。
それからカメラを指さし、友丸の頷きを待つ。
友丸も端末を手に取った。
《準備、結構かかってるな》
《ますます気になる》
《みゃーも聞こえなくなった》
《撮影者さん、俺たち岩を眺めて待ってるんですけど》
《この岩、もう覚えた》
《そろそろ岩にも愛着が湧いてきた》
友丸は笑いをこらえ、こはくへ目を向けた。
「待たせたな」
こはくへ頷いてみせる。
「こはく、どうぞ」
少女がふわりと画面へ入ってきた。
白と淡いピンクの衣装。幾重にも重なるフリルと、大きなリボン。頭には猫のよくな耳があり、衣装の後ろからは尻尾も伸びている。靴を履いた足は地面から離れていた。
《……え?》
《女の子?》
《誰!?》
《魔法少女!?》
《猫耳と尻尾までついてる!》
《待って、こはくちゃんは?》
こはくはカメラの正面で一回転した。
広がった裾が落ち着くのを待って、片手を腰に添える。もう片方の手を仮面の横へ上げ、二本の指を立てた。
片膝を曲げ、昨夜から練習していたポーズを決める。ポーズが決まっても、尻尾は左右へ揺れ続けていた。
「こはく参上!」
《え》
《ええええええええええ!?》
《こはく!?》
《今、こはくって言った!?》
《喋ったああああ!?》
《WHAT!?》
《人になってる!?》
《尻尾、ずっと動いてるw》
《前足じゃなかった!!》
《衣装どころの話じゃないぞ!》
《撮影者さん、説明!!》
◇
「えええええ!?」
日本では、テレビの前にいた親子が揃って声を上げた。
「お父さん、こはくちゃんが女の子になった!」
「……いや、待て。どういうことだ?」
父親が画面へ身を乗り出す。その横で、子供はもう「こはく参上!」と同じポーズを取っていた。
ドイツの冒険者施設では、配信を見ていた男が仲間を呼んだ。
「おい、撮影者の配信を見ろ!」
「今度は何を倒したんだ?」
「いいから見ろ!」
集まった者たちが端末を覗き込み、揃って黙った。
「……これが、あのこはくなのか?」
誰もすぐには答えなかった。画面の中では、猫耳の少女がまだポーズを決めている。
ロサンゼルスでは、こはくが人になったというメッセージを受け取った男が、添えられた画像を見て眉を寄せた。
「何だ、この冗談は」
それでも配信を開いてみると、画像と同じ少女が宙に浮いている。コメント欄には、『本当にこはくなのか?』『どうして人の姿になってるんだ?』という書き込みが次々と流れていた。
男は返信を打つのをやめ、別の友人へリンクを送った。
各国のSNSに、人型のこはくの画像が次々と上がっていく。
◇
「本物のこはくだ。人型の姿にもなれるようになった。それと、今聞いたとおり、喋れる」
友丸が説明すると、コメントはさらに増えた。
《それと、じゃないんだよ!》
《どっちも大事件なんだよ!》
《みゃーから急にこはく参上は心臓に悪い》
《いつから!?》
《新能力の予想は当たってたのか……?》
《もっと大きくなれるって言った奴、惜しかったな》
《惜しいで済ませていい変化じゃない》
こはくはポーズを解き、カメラの脇にいる友丸へ顔を向けた。
「ちゃんとできた?」
「ああ。上手だったぞ」
「よかった!」
こはくは嬉しそうに両手を合わせた。猫の耳がぴくりと動き、尻尾はいっそう大きく揺れた。
《普通に会話してる……》
《耳もちゃんと動くんだ》
《尻尾で嬉しいの丸分かりw》
《気になってたのはポーズの出来なのか》
《俺たちが岩を見てる間、これを準備してたんだな》
《衣装も似合ってるよ!》
《もう一回お願いします!》
友丸が端末へ目を落とすと、同じお願いがいくつも流れてきた。
「こはく、もう一回見たいって言ってるぞ」
「じゃあ、もう一回!」
こはくはすぐにカメラへ向き直った。
「もう一回やる前に、みんなに挨拶を――」
「こはく参上!」
さっきと同じポーズで、こはくが胸を張る。
今度はコメント欄にも、《こはく参上!》が次々と流れた。
《こはく参上!》
《こはく参上!》
《挨拶を聞く前に二回目が来た》
《三回目もお願いします!》
「またやっていい?」
こはくが友丸を見る。
「先に挨拶してくれ。みんな、ずっとこはくを見てくれてたんだから」
「うん!」
こはくはカメラへ両手を振った。
「みんな、いつもありがとう!」
《こちらこそありがとう!》
《これからも応援する!》
《よろしく、こはくちゃん!》
《待って、今こはくちゃんにお礼を言われた》
《この声でもう一回聞きたい》
《撮影者さん、説明の続きも忘れないで!!》
友丸は端末を見下ろした。こはくへの挨拶に交じって、質問が次から次へと流れてくる。
「聞きたいことが山ほどあるのは分かった。順番に――」
「もう一回、いい?」
隣では、こはくが二本の指を立てて待っていた。
友丸は一度カメラを見てから、こはくへ頷いた。
「……もう一回だけな」
「こはく参上!」
《三回目w》
《撮影者さんも止められない》
《よし、これで説明が聞けるな》
三度目の決めポーズが終わり、友丸が口を開こうとしたところで、こはくが両手を上げた。
「まだあるよ!」
こはくはカメラのそばにいる友丸へ顔を向けた。
「次のも見せていい?」
「ああ。四人とも映るように、少し下がってくれ」
《四人?》
《ほかにも誰か来てるの?》
《こはくちゃんの説明、まだ終わってないんですが!》
こはくは後ろへふわりと移動し、胸の前で両手を組んだ。
「分身の術!」
周囲に、黒いモヤが三つ湧いた。
それぞれが横に伸び、頭と胴体、両手足の形を作っていく。頭の上には猫の耳があり、腰の後ろからは尻尾も伸びていた。
こはくの隣に、黒い人影が三人並んだ。
背丈も身体の形もこはくと同じだが、顔や衣装は見えない。全身が黒いモヤでできていて、腕や肩の輪郭がゆらゆらと揺れている。
四人とも、足は地面から浮いていた。
《増えたあああ!?》
《黒いこはくちゃんが三人いる!》
《本体と合わせて四人!?》
《魔法少女だと思ったら忍者だった》
《喋る、人になる、分身する。待って、順番に聞かせて》
「ちゃんと見えてる?」
「見えてるぞ。みんなも驚いてる」
「じゃあ、みんなでやるね!」
こはくが片手を腰に添え、もう片方の手で二本の指を立てた。
三人の分身も、一斉に同じポーズを取る。
「こはく参上!」
《また参上したw》
《分身にもやらせるのか!》
《分身まで指二本立ててるw》
《四人とも可愛いぞ!》
《これ、何回練習したんだろう》
友丸は端末から顔を上げた。
「今度は四人でやりたかったんだな」
「うん!」
こはくが元気よく頷く。
黒い三人まで揃って頷いたので、友丸は笑ってしまった。
「こはく、見せたいのはこれで全部か?」
「うん!」
「じゃあ、今日はここまでだな」
《えっ》
《ここまで!?》
《今、何て言った?》
こはくがカメラへ向き直り、両手を振った。黒い三人も、その横で手を振っている。四本の尻尾も、楽しそうに揺れていた。
「またね〜!」
《待て待て待て〜!!》
《人になった説明もまだなんですが!》
《喋れるようになった話は!?》
《分身は出して終わり!?》
《撮影者さん、一つくらい答えて!!》
《またね、じゃない!》
友丸が終了ボタンを押した。
画面が切り替わり、「配信は終了しました」の文字が画面に映りだされた。




