ドラゴンの倒し方
翌朝。
日本時間、午前七時。
配信開始を知らせる通知が世界中へ一斉に飛んだ。
画面に最初に映ったのは、深層の森林でも、巨大な魔物でもなかった。
湯気を立てるスープだった。
《きた!》
《おはよう!》
《待ってた》
《朝飯からかよw》
《昨日のワニは?》
《海外勢起きてるぞ》
《Good morning from USA》
《深夜だけど来た》
配信開始から一分も経っていない。
それでも視聴者数は凄まじい勢いで増えていく。
絢香は焚き火の前に座り、昨日仕留めた双頭鰐の肉を薄く切っていた。
「おはようございます。昨日の残りを使って、まず朝ご飯にします」
《残り(十数メートル)》
《一生食えるだろ》
《朝からワニ》
《うまそう》
友丸はカメラの外で朝食を食べている。
「撮影者さん、味どう?」
「美味しいよ」
「昨日もそれしか言ってなかったわよね」
「美味しいから」
「食レポ向いてないわね」
《知ってた》
《撮影者さん食レポ能力ゼロ》
《戦闘と撮影に全振り》
簡単な朝食を済ませ、二人は野営道具を片づけた。
午前七時半。
森林区域へ入る。
昨日までとは明らかに違う環境だった。
地面へ差し込む光は少なく、巨大な木々が何重にも頭上を覆っている。
魔素濃度もさらに高い。
それでも二人の足取りは変わらなかった。
絢香が前。
少し離れて友丸。
手持ちカメラは今日も友丸が担当している。
魔物は何度も現れた。
絢香だけで倒せるものには友丸は手を出さない。
戦闘を撮影し、邪魔になったものだけ小型ナイフで処理する。
昨日と同じだった。
やがて木々が減り始める。
空が見える。
そして森を抜けた瞬間、配信画面いっぱいに別世界が広がった。
「ここから砂漠ね」
見渡す限りの砂。
森林との境界を一本越えただけで、環境が完全に変わっている。
《すげえ》
《いきなり砂漠!?》
《異界ほんと意味分からん》
《境界どうなってるんだ》
二人は砂漠へ足を踏み入れた。
しばらくは何も起こらなかった。
だが――。
友丸が突然止まる。
「来るよ」
「どこ?」
「下」
直後。
砂漠が爆発した。
《!?》
《うわあああ》
大量の砂が噴き上がる。
その中から現れたのは、三十メートル近い巨大な魔物だった。
節のある長大な身体。
硬質な外殻。
無数の脚。
地上へ半身を出しただけでも、周囲の景色が一変するほど巨大だった。
そして再び砂へ潜る。
「面倒なのが出たわね」
絢香が大型ナイフを抜いた。
友丸はカメラを構えたまま聞く。
「手伝う?」
「お願い。私一人でも倒せると思うけど、時間かかりそう」
《撮影者さん参戦》
《三十メートルあるぞ》
《一人でも倒せる絢香さんも大概》
《ここから二人か》
砂が盛り上がる。
二人は左右へ分かれた。
巨大な魔物が絢香の足元から飛び出す。
絢香が跳ぶ。
外殻へ大型ナイフを叩き込む。
硬い。
浅い傷しか入らない。
だが、その一撃で魔物の動きが絢香へ向いた。
その瞬間。
友丸が懐へ入る。
小型ナイフが外殻の隙間へ突き刺さった。
一撃。
二撃。
魔物が暴れる。
友丸は離れる。
カメラは――絢香を捉えたまま。
《待て》
《戦いながら撮ってる》
《昨日から思ってたけどどうなってんだ》
絢香が別の節へ刃を入れる。
友丸が反対側。
二人で交互に攻撃を重ねる。
やがて巨体が砂の上へ崩れ落ちた。
「やっぱり二人だと早いわね」
「一人だと面倒だったね」
《感想軽すぎ》
《三十メートル級だぞ》
《撮影者さんが戦闘参加すると処理速度おかしい》
二人は何事もなかったように先へ進んだ。
砂漠を抜けるまで、さらに数時間。
そして――また世界が変わった。
白。
一面の雪だった。
《は?》
《砂漠の次が雪原?》
《温度差どうなってんだ》
《これが深層か》
友丸が白い息を吐く。
「寒い」
「ここよ」
絢香は携帯端末を確認した。
今回、日本政府から依頼された場所。
目的の品が確認されたのは、この雪原だった。
「何探すの?」
「花」
「花?」
「氷でできた花」
友丸が周囲を見る。
雪しかない。
「見つけにくそう」
「だから頼まれたのよ」
氷花。
極めて高濃度の魔素環境で、ごく稀に形成される特殊な植物性物質。
見た目は半透明の氷そのものだが、植物に近い構造を持つ。
錬成薬の素材として非常に価値が高く、研究では幅広い病への効果が期待されていた。
確認例そのものが少ない。
「最低三輪。できれば五輪欲しいって」
「見つけるまで帰れない?」
「三輪見つけるまでね」
「帰りたいな」
《始まった》
《撮影者さん帰りたがりすぎ》
《政府案件なんだから頑張れ》
二人は雪原を探し始めた。
それから一時間ほど経った頃。
最初に異変へ気づいたのは友丸だった。
カメラがゆっくり上を向く。
「絢香」
「何?」
「何か来た」
遠く。
白い空の中に、巨大な影があった。
翼。
長い尾。
四肢。
影が急速に大きくなる。
《え》
《ちょっと待て》
《ドラゴン?》
《嘘だろ》
それが雪原へ降り立った。
轟音。
雪が爆発するように舞い上がる。
やがて白煙の向こうから現れた巨体を見て――世界中のコメント欄が一瞬止まった。
四十メートル近い。
青白い鱗。
巨大な翼。
長い首。
鋭い爪。
ビルがそのまま生き物になって動いている。
そう錯覚するほどの圧迫感だった。
絢香も立ち上がる。
「……氷竜?」
海外からのコメントが爆発した。
《ICE DRAGON》
《RUN》
《GET OUT OF THERE》
《逃げろ!》
《数年前に北欧異界で確認されたやつじゃないか!?》
《世界でも数十体しか記録ないぞ》
情報が次々と流れ込む。
絢香がコメントを読む。
「海外の人たち詳しいわね」
報告例は極端に少ない。
だが、過去に交戦記録はある。
《爪に気をつけろ!》
《直接当たらなくても斬られる》
《風圧が刃になる》
《尻尾もヤバい》
《海外Aランクのタンク三人まとめて飛ばされた》
《重傷者出てる》
《ブレス食らったら終わり》
《一瞬で凍るぞ》
絢香は氷竜を見上げる。
少し考えた。
「私一人でも……多分勝てるかな」
《多分で戦うな!》
《逃げろって》
《勝てても怪我するぞ》
「でもブレス寒いし髪乾かすの面臭いから」
友丸を見る。
「撮影者さん、よろしくね」
《は?》
《…………》
《え?》
《よろしくじゃない》
《撮影者さんに投げた!?》
《いや無理だろ!》
《四十メートルあるぞ!?》
友丸がカメラを構えたまま氷竜を見る。
「俺?」
「私は花探すから」
「そっち優先?」
「政府の依頼だもの」
絢香は本当に雪原へ視線を戻した。
《待て待て待て》
《絢香さん!?》
《撮影者さん一人置いていくな》
《海外ニキが全員逃げろって言ってるぞ》
友丸には見えていない。
手持ちカメラには配信コメントを表示する機能がない。
「しょうがないな」
右手にカメラ。
左手に小型ナイフ。
それだけ。
友丸は氷竜へ向かって歩き始めた。
《装備それだけ!?》
《せめてカメラ置け!》
《撮影しながら行く気かよ》
氷竜が吠えた。
翼が広がる。
次の瞬間、巨大な爪が振り抜かれた。
友丸から数メートル離れた雪面が、一直線に裂ける。
見えない斬撃。
二撃。
三撃。
友丸は走る。
身体を傾ける。
斬撃が脇を抜ける。
跳ぶ。
足元が裂ける。
《避けてる!?》
《見えてんのか》
《カメラ全然揺れないんだけど》
一気に距離を詰めた。
氷竜が身体を回転させる。
巨大な尾。
まともに受ければ、人間など簡単に吹き飛ぶ。
友丸は避けなかった。
空いた左腕を出す。
衝突。
轟音。
雪が爆発した。
《撮影者さん!?》
《直撃した》
《終わった》
だが。
カメラは止まっていない。
映像も乱れていない。
友丸は尾を受け止め、その勢いを利用するように身体を動かしていた。
次の瞬間。
画面から氷竜の姿が消える。
空。
雪原。
翼。
映像が高速で切り替わる。
《何が起きてる》
《速すぎ》
《カメラ追いついてない》
友丸は氷竜の背中にいた。
左手の小型ナイフを振り下ろす。
一撃。
二撃。
三撃。
速い。
あまりにも速い。
映像では腕の動きすらほとんど捉えられない。
氷竜が暴れる。
巨大な翼を広げる。
友丸は構わない。
鱗の隙間。
同じ箇所。
何度も刃を突き込む。
氷竜が咆哮した。
首を振る。
翼が雪を巻き上げる。
それでも友丸は背中から離れない。
さらに連撃。
そして――。
巨体が傾いた。
《え》
氷竜の脚が折れる。
四十メートル近い巨体が、ゆっくりと雪原へ倒れていく。
ズズズズズン――!
地面が震えた。
雪煙が数十メートルの高さまで舞い上がる。
静寂。
《…………》
《倒れた?》
《嘘だろ》
《何が起きた》
《撮影者さん生きてる?》
雪煙の中から友丸が歩いてくる。
カメラはまだ右手にある。
左手には小型ナイフ。
「終わったよ」
少し離れた場所で氷花を探していた絢香が顔を上げる。
「早かったわね」
《早かったわねじゃねえよ》
《なんで普通なんだよ》
《ドラゴンだぞ!?》
《世界で数える程しか確認されてないんだぞ!?》
絢香がようやく倒れた氷竜を見る。
「どうやって倒したの?」
「背中」
「背中?」
友丸は小型ナイフを軽く振って、付着した血を落とす。
「下級龍種なら、背中に乗って鱗の隙間を何度も刺せば大抵倒せるよ」
世界中の視聴者が固まった。
《下級?》
《今下級って言った?》
《ICE DRAGON IS LOWER CLASS?
《大抵って何》
《他にも倒したことある言い方だぞ》
《誰だよ撮影者さん》
さらに別の部分へ注目する者もいた。
《待って》
《映像見返してる》
《戦闘中ほとんど手ブレしてない》
《尻尾受けた時もだぞ》
《どういう腕力してんだ》
《というか何でカメラ片手で氷竜倒してんだよ》
友丸は当然、その騒ぎを知らない。
カメラを絢香へ向ける。
「花あった?」
「一輪見つけた」
「あと二つ?」
「最低ね」
「じゃあ探そう」
二人とも、まるで何事もなかったかのように氷花探しを再開した。
背後には、世界でも数例しか確認されていない氷竜の死骸。
配信の向こうでは世界中が大騒ぎ。
その温度差だけが異常だった。
やがて――。
「あった」
二輪目。
さらに三十分後。
「こっちにもある」
三輪目。
合計三輪。
政府から求められた最低数を確保した。
絢香は専用容器へ慎重に収納する。
「これで依頼終了ね」
「帰れる?」
「帰れる」
友丸が露骨に嬉しそうな声を出す。
「よかった」
《氷竜倒した時より嬉しそう》
《帰宅が最大の報酬》
《撮影者さん本当に何なんだ》
絢香が立ち上がる。
そこで視線が、倒れている氷竜へ向いた。
数秒。
じっと見る。
友丸には嫌な予感がした。
「……絢香?」
「これも持って帰りましょう」
「なんで?」
絢香の目は完全に料理人になっていた。
「氷竜、美味しいのよ」
《食ったことあるの!?》
《そっちもおかしい》
《ドラゴン食う気だ》
「特に夏」
絢香は満足そうに頷く。
「冷やして食べると最高なの」
「今冬だけど」
「夏まで保存するのよ」
「これ四十メートルあるよ」
「お願い、撮影者さん」
「嫌だよ」
《最後までこれw》
《氷竜より撮影者さんがかわいそう》
《食材扱いされる氷竜》
結局、持ち帰る部位を選ぶことで話はまとまった。
絢香が胸元のカメラへ向き直る。
「ということで、今回の政府依頼は無事終了しました」
その時点で表示されていた数字を見て、さすがの絢香も一瞬言葉を失った。
同時接続者数――二千万人超。
日本だけではない。
世界中から人が集まっていた。
《撮影者さんの正体教えて》
《氷竜どうやって倒したんだ》
《もう一回リプレイしてくれ》
《下級龍種ってどういう意味?》
《政府絶対この人調べるだろ》
《次の配信いつ?》
絢香はコメントを眺め、それから友丸を見る。
友丸は氷竜の前で、持ち帰る肉をどう切り分けるか考えていた。
本人だけが何も知らない。
「……今日はここまでにします」
《ええええ》
《まだ見たい》
《撮影者さん出して》
《次回も二人で頼む》
「それでは皆さん、長時間ありがとうございました」
少し間を置く。
「また次の配信で」
配信終了。
画面が暗くなった。
その瞬間からだった。
切り抜き。
SNS。
海外掲示板。
ニュースサイト。
異界専門メディア。
世界中へ、雪原での数分間が拡散され始めた。
――正体不明の撮影者、氷竜を単独討伐。
――武器は小型ナイフ一本。
――戦闘中も撮影を継続。
――「下級龍種は背中を何度も刺せば大抵倒せる」と発言。
そして何より。
同時接続者数、二千万人。
東京異界の深層で行われた一つの配信が、その日、世界中の異界関係者を騒がせることになる。
中心にいた本人だけは――そんなことになるとは、まるで知らなかった。




