一章 どこかの夢の中
記憶というものは往々にしてひどく曖昧だ。
思い出そうとすればするほど、するりと腕をすり抜けてしまう。そのくせ、それが必要でないときに限って、昨日の出来事のように鮮やかに浮かび上がる。
私は記憶能力に、大きな欠陥がある。
いや、私の場合は記憶なんてものではないかもしれない。
記憶ほど色彩豊かではないし、現実に寄り添ってもいない。
あえて言うなら…… 何かの残りかす、だろうか。
思い出そうとしても思い出せない。しかし、忘れてはいけないことだけは確実な、そんな「誰か」が私の傍にいた。
私はどこかの部屋でベッドに横たわっていた。まず聞こえたのは、無機質な機械音。次に、窓ガラスさえも突き破ってしまうほどの蝉の鳴き声。ぼやけた視界がゆっくりと明瞭になっていくのに従って、染め上げたように真っ白な天井が網膜に刺さるように映った。
その「誰か」は、ベッドの横のパイプ椅子に座っていた。
ずっと俯いている。ひどく痩せているようで、頬がこけていた。顔の輪郭は分かるのに、一つ一つのパーツが極めてぼんやりとしていて、無理に目を凝らすと全体が崩れてしまう。
だから焦点を合わせずに見るしかないのだけれど、そうするとはっきりとは分からない。
この人は誰なのだろう。
ひどく胸が締め付けられた。自分がひどい罪を犯したように感じる。それこそ、何度首をはねられようがおかしくないほどの罪を。コルセットでぎゅうぎゅうに胴体を締め上げられているみたいだ、と考えてそんな場合ではないのにおかしくなる。
コルセット?私は英国の貴族ではない。
薄っすらと笑って、「誰か」の方に身を寄せようとして。
ようやく私は、自分の体から伸びている無数のチューブに気づいた。
ぎょっとして、シーツの上に川のような流れを作っているそれらを眺める。一本一本がとても長いうえに半透明で、中を黄色い液体が流れ落ちていくのがはっきりと分かった。
自分の体に異物が入り込んでくる。
瞬間、全身の毛が逆立った。
「っ…… !」
気持ち悪い…… !
力任せに飛び起き、チューブを引っ張る。びっしりと巻かれている包帯を解き、チューブを固定するテープを肌と共に破り、血管に突き刺さる針を抜こうとした。
抜けない。
いくら力を込めてもびくともしない。
抜けない。
黄色い液体は針から血管に注入されていく。
抜けない。
液体は血管の中を血液と共に巡り、やがて脳へ辿りつく。
抜けない。
脳に液体が染み込んでいくにつれ、私は帰り道を失っていく。
抜けない…… !
私は甲高い声を上げ、腕を振り回す。破れた肌から血が溢れ、シーツに、壁に、天井に、大きな染みをつくっていく。
暴れれば暴れるほど針は皮膚に深くめりこみ、鋭く光る。
私は段々息が上がってくる。肌を剥かれ、内臓を直接バーナーで炙っているかのような熱さを感じる。汗が頬を滑り落ち、手の指が、体が十分に動かなくなってくる。息ができなくなって体を折って咳き込み、咳がまた喉に詰まって、息ができなくなる。
熱い。苦しい。熱い。苦しい。熱い…… !
「たす…… け、て…… 」
「誰か」に向かって必死に腕を伸ばした。いつの間にか皮膚はどす黒くなり、ぼろぼろに崩れていた。指も血と肉が混じりあい、一本一本が団子状に固まっている。こんな手で何かを掴めるはずがない。それでも私は助けを求めて、案の定指はいつまでたっても何も掴めなくて。
「誰か」は手を差し伸べてくれなくて。
そこでいつも目が覚める。




