異世界転生
俺はとあるサイトで小説を書いている。
高校二年生。坂田歩。日曜日でまだ朝の十時だと言うのに、パソコンのディスプレイと睨めっこをして、黙々と文字を打ち込む己の姿はさぞ、滑稽だろう。
しかも、この行為に誰も評価をくれないのである。このサイトでは『異世界転生されて、ハーレムになって無双する』というものが流行りで、ランキング上位は大体、それを占めている。
だから俺も書いている。別に書きたくはないのだけれど、兎に角、評価が欲しいのだ。だが、十三部まで来て、ブックマークが二人と言うこの悲しさは誰にぶつければいいだろうか。
現実世界で何も出来ない奴が異世界に転生されて、何が出来るって言うんだよ。
俺は深い溜息を吐いた。
そして気分転換に下へ降りた。
両親は滅多に帰ってこない。仕事の詳細を聞いたこともない。いつも訊こうとは思うんだけど、そう思ったときには消えている。
世界中を回っているということだけは知っている。だから、帰ってくるのは稀で、正月やクリスマスでさえ帰ってこないときがある。しかし、毎月、膨大な金額が銀行に振り込まれるので生活には苦労しない。
言っちゃ悪いが、帰ってきたら、帰ってきたで、鬱陶しい両親なのである。
「あっ。臭い」
「俺が入ってきた瞬間、言うのやめてくれませんかね」
俺の妹――名を坂田由美と言う。中学二年生。反抗期なのか、俺に暴言を言う習慣あり。ツインテールに結った髪と鋭い目つき。ツンデレだと信じたい。
「臭いのは間違いなくあんたよ」
「せめて遠まわしに言ってくれよ」
俺は髪を掻いて、ソファに腰掛ける。因みに、由美は食卓に座っている。
「琴音は?」
坂田琴音。中学三年生である。生意気で俺のことを揶揄う習性あり。しかし、それもまだ可愛いと思うことができる。反抗期真っ只中でもおかしくないのに、そんな状態なのが少し心配。肩まで伸びた髪とちらりと見える八重歯。羞恥心が無いのか、俺の前に下着姿で出てくることもしばしば。
「まだ寝てるんじゃない?」
「飯食ってるとき、眠そうだったからなぁ。じゃあ、若葉は?」
坂田若葉。小学六年生である。天真爛漫な笑顔。純粋無垢な性格。幼い顔。俺にとっての最高の癒しである。小学六年生にもなって、甘えてくるのに少し抵抗を覚えるが、俺はこのままでも構わないと思っている。ほかの二人に比べて、髪の毛が長い。
「ほら、噂をすれば何とやら。琴音が来たわよ」
寝ぼけた顔で、眠そうな目を擦りながら琴音が居間に登場した。
「良く寝れたか?」
「むー。寝れたわけないじゃん。目覚まし時計十一時にセットしておいたのに、十時になってさ。何か降りて来ちゃった」
「そんなこと言いながら、俺の膝を枕にするの?」
琴音はソファに座って、数秒で崩れ落ちた。
「こんな駄肉でも枕になるでしょー」
「そんな単語聞いたことないけど、何か色々、否定されてる」
「そうだよ。癌になっちゃうよ、癌に」
由美が訳の分からないことを言う。何故、癌になるのか。
「もう、癌でも何でもいいよ。おやすみ」
琴音の語尾は弱くなって、深い眠りに誘われたようである。
「なに? 俺は病原菌か何か?」
「そうよ」
淀みない顔で兄の悪口を肯定する辺り、流石、我が妹の由美だと思う。
「じゃあその妹も病原菌だね」
「違うわよ。妹じゃないし」
自分に不利益なことは全部否定する辺り、流石、我が妹の由美だと思う。
「ちょっと。俺、身動き取れないんですけど」
しかし、もう琴音は夢の中だ。
「兄貴が動けなくても、困る人なんていないから大丈夫でしょ。動けば困る人が沢山いるけど」
「じゃあ動く」
俺は上半身をくねらせる。
「何してんの」
妹の冷徹な反応に俺の羞恥心が沸き上がる。顔に熱が迸った。
「あー。ずるいんだ。琴音お姉ちゃん、お兄に膝枕してもらってるー。いいなぁ。私もしてもらいたいしー」
そう言いながら居間に入ってきたのは小学六年生の若葉である。
え? 今、俺のこと視界に入ったの? 凄くね?
「残念ながら俺の膝は占領されておりますので」
「ねー。するのー」
子供のように駄々を捏ねる姿はどう見たって小学六年生に見えない。
「じゃあ、由美の膝が空いているぞ」
「やだぁ。お兄ちゃんの膝じゃなきゃ嫌だ」
「何よ! その勝ち誇った顔は! 別にいいわよ」
「そんなこと言ったてなぁ」
しかし、目の前の幼女は譲る気はないようである。モテる男は大変だね。まったく。
唐突に若葉の強請る声が止まった。かと、思うと俺にぐいっと顔を近づけて来た。
「じゃあキスしてよ」
「はぁ?」
「キスしてくれたら、いいや」
俺は何故か由美を見た。由美は怪訝そうに眉を寄せている。無邪気に笑う幼女にどう対応したものか――俺は完全に当惑していた。
「逃げろ」
俺はそう言って、膝に琴音が寝ていることも忘れて、駆けた。
「あっ。逃がした」
と言う声が後方から聞こえたが、気にせず部屋に戻った。
「ふぅ。大丈夫かな、琴音」
そんなことを言いながら、俺はパソコンを立ち上げる。
例え、底辺作家と言えども意地がある。これを続ければ、いつかは人気が出るんじゃないか、という少しばかりの希望がある。
だから筆を止めない。
「ああ、なんか眠いな」
文字の羅列を見ていたせいか、単に寝不足なのか、瞼が重い。
「ハッ」
起きると、そこは別世界であった。
なんだここ。
西洋風の建物が続いていた。右も左もそんな住宅が建っていて、俺はそのど真ん中の道で寝っ転がっていた。
「は? 何処だここ」
「勇者様」
後方から透き通るような声が聞こえた。
振り向くと――美女が居た。
触れば抜けて落ちてしまうのではないかと思う程に、繊細な金髪。目は蒼く、まるで心を見透かすようである。肌は綺麗で、白く、日光を受け付けないようであった。
そこまで考えて、俺はどこかデジャヴを感じた。
「勇者様? どうなされました?」
どうやら、勇者様とは俺のことらしい。
「は? 俺?」
刹那、大きな地響きと、それに伴って耳を劈くような音が轟音した。そして町全体が影に覆われた。
なんだよあれ。
俺の目の先には一つ目で、鬼のような形相をした巨大な怪物がいたのである。俺は無意識のうちに地面へと膝から崩れ落ちていた。
「勇者様の力ならあんなのを倒すのは容易です。転生時、神にもらった力を使って下さい」
神? 神ってなんだよ。なに、俺は転生されたの?
状況の把握が追い付かない。ひどく混乱している。
「わけがわからんから。やばいって、あれ。なんだよあれ」
というか、まず何処だよここ。お前誰だよ。俺は部屋に居て、パソコンを立ち上げて――どうしたんだっけ?
俺は怪物に背を向けて、走り出していた。
「勇者様!」
後方から声がするが、俺は勇者様じゃないし。関係ない。
「どけよ。どいてくれ」
人の波をかき分けて、俺は逃げた。
「勇者様!」
なんだよ。なんだって言うんだよ。
「うぉぉぉぉぉぉぉん」
怪物が咆哮した。
「あああああ」
つられたわけじゃないけど、なぜか俺も叫んでいた。
怪物のそれは耳に直接何かを呼びかけるようで、そして途轍もなく五月蠅くて。
俺は転んだ。
「いてー。なんだよ、これ。何なんだよ」
これは夢だ。きっと夢だ。絶対に夢だ。
「勇者様! どうなされたのですか。昨日はあんなに張り切っていたのに」
「たぶん、君が探しているのは俺じゃないよ。人違いだよ」
「何を言っておられるのですか。早く立ち上がって下さい。このままだと、皆、アレに殺されます」
これが夢なのなら。というか、そう信じなければ割り切れないのだけど。
これが夢なのなら。あんなの簡単に倒せるだろう。というか、そう信じろ。夢なら死ぬことはない。
震える足を伸ばして、立ち上がる。
「よっしゃ。こ、こいや」
ダメだ。怖え。
「勇者様。では、引き出しのキスを」
「へ?」
素っ頓狂な声を出した瞬間、少女の顔はすぐ近くにあって、唇に暖かい感触が伝わってきた。
「なっ」
「さ、頑張って来てください」
俺は数秒、思考と動きが停止していた。しかし、漲る力に俺は我に返った。
「なんだこれ」
全身に力が沸き上がるような感覚。なんだこれ。
「勇者様の力を引き出したのです。昨日、説明しませんでしたか?」
怪物を見る。何だか、さっきまで大きく見えた怪物がちっぽけに見える。
いける。
「っしゃ。いくぞ」
俺は逃げてきた道を今度は怪物に向かって走っていった。そして地面を蹴った。
「わああああああ!」
尋常じゃないぐらいに跳び上がって、怪物の顔と並んだ。
「なんだこれ。怖ええええ! やば、やっば」
下を見ると、人が小さく見える。怪物の大きな一つ目が俺をぎょろりと睨んだ。
瞬間、左手に力が集中した。新鮮で、妙な気持だ。
「うおりゃああああああああああ!」
怪物の顔が近くに迫る。
これは夢だ。これは夢だ。これは夢だ。
怪物に向かって左手を斜め振る。どうしてか、そんなことしたのか分からない。だけど、そうするのだと。何故か分かっていた。
禍々しいほど、黒く、巨大な刀の形をしたモノが怪物の首を切り落とした。
「はぁ?」
それは豆腐を切るような感覚で、本当に容易に切れた。
いつの間にか地面に降り立っていて、先程の少女が駆けてきた。
「勇者様。やりましたね」
その笑顔、天使の如しである。
「はぁはぁ。君の名前はなんて言うの?」
今、訊くタイミングじゃないだろうと、訊いてから思った。
「私ですか? 昨日も言ったじゃないですか。今日の勇者様おかしい」
フフ、と少女は可愛く笑った。
「私の名前はリアスです」
リアス? 何処かで聞いたような。
「あっ!」
「ん? ああ・・・」
寝ちまったのか?
朦朧とする視界にパソコンの光が染み込んでくる。
画面には『投稿しました』と赤い文字が浮かんでいる。
「は? 何を投稿した? は?」
見てみると、俺の書いている転生無双系が更新されていた。
それと同時に感想が届いていた。
『折角、楽しみにしていたのに。なんだこの糞展開は。無双ってタグつけんじゃねえよ』
初めて貰った感想がこれである。
「なんのことか意味が分からない」
更新された内容を見ると、主人公は一つ目の怪物に最初は怯えるも、結局は最強のチートで倒していた。
これって・・・。
「気味悪いから完結済みにしておこう」
俺はまた同じ失敗を繰り返していた。しかし、それと同時に新しい物語のことを考えていた。