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7. 争うこと ~Competing~ Ⅰ

※青年が言葉を話せるようになったため、ここからは一人称視点で物語は進んでいきます。

 これまで「彼」とされてきた人と、この章に登場する「僕」は同一人物なので注意してください。

 この音の意味を頭の中で理解するのに、僕はある程度時間がかかった。この音はある種の受け入れがたいものだった。左手に取り付けられたバヨネットのように、なぜ自分はそれを手にしているのか、なぜここに存在するのか分からないものとなっていた。自問自答を繰り返し、明確な答えを出せない状況に悶々としていた。仕方のなくなった僕は、結局無理矢理それを飲み込んでしまうという結論で全てを終わらせることにした。当然納得はいかなかったが、とりあえず霧払いが出来ただけ、僕は暗いダクトの中を徘徊する必要がなくなった訳である。強引なのは僕自身も分かっていたが、もう今の僕には深く考える余裕はなかった。

「どうしたの?」

 隣に座る彼女が声をかけた。僕らは街の大通りの片隅にあるベンチに腰かけていた。村の小さな公園にあるような錆がかった青いベンチだった。僕と彼女は行く道で目にしたアイスクリームショップでバニラアイスを買い、それをぺろぺろと舐めながら通り過ぎる街の住人たちをしばらくの間観察していた。今にも溶けそうなアイスと上流の川を見るような彼女澄んだ目。僕は、しばらく疑問に思っていたことを彼女に尋ねようと思った。疑問というのは彼女がここいるという事実についてである。自分は彼女の言うことに従い、窓の外を見た。それから見えないオートウォークに乗ってパラレルワールドを観光した。自分は街に辿りつき、感動の渦に吸い込まれるように街へと降り立った。そこからである。彼女はなぜか自分の隣にいた。笑顔で声をかけ、ついてくるようにと自分に言った。

 どうやって彼女はこの街に来たのだろう。彼女は確かにあのログハウスにいた。観光中も背後に人の気配は感じなかった。これも非現実的空間が生み出す特殊な現象なのだろうか。だとするならば、その不可思議な現象にについて彼女から話を聞きたい。まるで彼女は宇宙人のようだった。姿形は自分と同じでも、何か自分の常識を覆してくれるようなフォースが彼女の中に宿っているような気がした。自分が優位に立てる事柄など何もないような気もした。

「どうしたの?」

 もう一度尋ねてきた彼女に、僕はハッと我に返った。右手がやけに冷たい。視線を動かすと、溶けたアイスクリームが僕の左手に覆いかぶさっていた。僕はあっと驚き、咄嗟に右手を浸食するバニラをなめとった。彼女はそれを見てふふっと笑った。

「大丈夫? さっきから、何か考え事?」

 僕は何も答えず、視線を落とした。唇には僅かであるがバニラアイスが付着していた。

「心配ごとがあるなら私に打ち明けなよ。少しは軽くなるかもしれないよ」

 僕は左隣を直視することができず、しばらく考え込んだ。どうして彼女は見ず知らずの自分に怪しむことなく話してくれるのだろう。トンネルを抜けてから、彼女の家に辿り着くまでの経緯は不明だが、事実として彼女は赤の他人である自分を見つけ家に入れたのだ。その行為自体も驚きなのに、彼女はなおもこうして接し、自分との距離を縮めようとしてくれている。彼女は純粋な心を持っている。僕は思った。彼女の勇気ある行動に自分は答えなければいけない。ある種の「友達」と呼ばれる関係に彼女がなりたいと願うのなら、自分はそれに応じなければならない。単なる妄想と憶測でしかないが、とりあえず僕は自分の考えを信じてみようと思った。

「あの……」

 彼女は少し首を傾げた。

「すまないけど……。街を、案内してもらえないかな」

 僕はそう言うと大きな口でバニラを頬張った。顔の温度が上昇していくのがいやでも分かった。



「君はこの街に住んでいるの?」

「そう。出身は違うんだけどね。この街に来たのは一年前。引っ越してきたの」

「僕が寝ていた、あのヒノキの家は?」

「あれはおじいちゃんの家。街の生活に飽きた時にたまに行って気分をリフレッシュさせるの」

「名前は、なんていうの?」

「イデア。変な名前でしょう。お母さんが名付けたの」

「素敵な名前だと思うよ。ええ、と…… プラ、トンだっけ?」

「よく知ってるね。そう、プラトンの中心概念のひとつ。永遠不変の価値っていう意味があるの」

「やっぱり素敵な名前じゃないか。君のお母さんはどうやら物知りのようだ」

「そんなことないわ、やっぱり変な名前よ。ところで、あなたは? あなたの名前はなんていうの」

「実は…… 僕もよく分からないんだ。宝石の山を抜け出してから僕の記憶が始まっているから、それより前のことについては覚えていないんだ」

「宝石の山? どういうこと?」

「僕が旅を始めるきっかけとなった場所だよ。どうして宝石なのかは僕も分からないけれど」

「謎が多いってこと?」

「そうなんだ。僕の旅には謎が多すぎる」

「あなたの左手についている、その剣は?」

「これも、よく分からない。僕の旅を続けるために必要なものらしいんだけど……」

「謎のひとつってことね」

「そう、これも謎のひとつ」



 ストリートには多くの人が群がっていた。僕らは話をしながら、のんびりと通りを歩いた。僕らとも何か目的地があって、それを目指しているという訳ではないようだった。それば特に奇異な関係で行われているわけではなく、微妙に進行している関係といってよいものだった。僕らは歩き、そして考え続けた。

「もうすこしで夜になるね。今日はどうしようか」

「それって私のことじゃなくて、あなたのことでしょ。今日はどこに泊まるかとか、そういう心配じゃない?」

 僕は黙って頷いた。図星だった。

「ちゃんと言ってくれれば良かったのに。私は別に構わないよ」

「でも、やっぱり悪いよ。家には君の家族だっているんだろ。見ず知らずの自分がいきなり入ってきて、『泊めてください』なんて、さすがに許してくれるとは思えないな」

「大丈夫。あなたはきっと悪い人じゃないし、負けずに言い張れば、きっと両親も許してくれる」

「そんなにうまくいくかな」僕は首を傾げた。

「大丈夫よ。物事は大抵自分が思っているより案外簡単に進むものよ」

 僕は唇を少し尖らせ、ゆっくりと頷いた。彼女の言っている意味は、僕にははっきりと伝わってはこなかった。しかし自分がまだ知らない何か別の根拠があるのだろうと思い、僕はそれ以上の質問を止めた。謎に惑わされることにはいいかげん慣れていた。

 歩いている途中、僕は彼女のいる隣を観ながらさりげなく彼女を観察した。さりげなくだから僕の心の中に少々の悪気はあったわけだが、何よりも彼女のことをもっと知りたかった。出会いは偶然なものだが、ずっと一人で旅をしてきた僕にとって彼女との出会いはひどく刺激的なものだった。肉体的にも精神的にも全てにおいて僕の身体はすり減っている。そんな時に悪意も何も関係なかった。


 夕陽は地平線の下に隠れ、世界を照らしているのは街の灯りだけとなった。僕は微量な程度に身体が暖かくなっているのに気付いた。自然なものではないのに、なぜそんな現象が起こるのか、考えても仕方のないことだった。

「君の家まで、あとどれくらいなんだい?」僕は尋ねた。

「もうちょっと……かな。やっぱり、疲れちゃった?」

「ううん、そういうわけじゃないよ。ずっと歩いてきたから、早く足を伸ばしたいだけ」

 こめかみを掻きながら、僕はそういった。

「それって、やっぱり疲れてるんじゃない」彼女が指摘した。少し強い口調だった。

「いや、疲れてるっていうのはそういうことじゃなくて……」僕は慌てて言った。彼女に誤解されるようなことはなるべく避けたかった。

「まあいいわ。お話はこれくらいにして――― そろそろ目的地に着くころだから。あの角を右に曲がれば、私の家が見えてくるわ」

 彼女はそういうと人差し指を使って「向こう」を差した。僕は目をこらしてそれを確認した。ネオンサイン。黄金の光。水溜り。看板。スポットライトを浴びる通行人。その奥には確かに彼女の言う曲がり角があった。そしてその横道が一種のメインストリートであることは、この街の住人ではない僕でも見当が付いた。ふいに自分が、朱雀大路の前を牛車で横切る貴族のようになった感じがした。

「あそこの角を曲がれば…… 本当に着くんだね」僕は言った。

「家に着けば、あなたはようやく休むことができる。どう、うれしい?」

 彼女は尋ねた。その目線に僕はさりげなく合わせながら、僕はきっぱりと言った。

「僕に旅をさせた人が、もう歩くことはさせないと保証してくれるのならね」



 城壁を見るのは今回が初めてではなかった。最初の城壁を目にしてから、まだ一時間も経っていないような気がする。それは自分にとってこの上なく辛いことであり、同時にそれは勇気を試すようなものでもあった。自分が歩くことによって解決される何か。今までに考えても見なかったそれを、僕は考え始めたような気がした。

「これが、君の家なのかい?」

 僕は尋ねた。その声には当然の如く驚嘆の思いが入り混じっていた。

 彼女は微笑み、そして頷いた。

「やっぱり、そういうと思ってた」

 その声には少々の哀しみが込められているように僕は思えた。

「別に、君を軽蔑してるわけじゃない。思いがけないことにびっくりしてしまっただけなんだ」早口でそう言った。

「そういうわけじゃないの。私はただ、これを見た時のあなたの反応を知りたかっただけ」

「僕を驚かせようと?」

「うん。ごめん」

 彼女の言葉に僕は次に出る言葉が見つからなかった。口ではああ言いながらも、心の中では困惑の獣が山の頂に立って咆哮を繰り返していた。ショックと紛れもない現実に身体が揺れ動き、僕はそれを必死で抑えようとしていた。自分に潜む八百万の悪魔が血液の中を徘徊しているような気持ちになった。

 沈黙は数分と持たなかった。自分がしたことを悪いと思ったのか、彼女は申しわけなさそうな顔した。それから僕の右腕を掴み、口を開いた。

「いろいろ疑問があるでしょうけど、それは後で話すわ。とりあえず中に入って。私の話を聞いてほしいの」

 僕は彼女の目を見た。その目の奥には決意の炎が揺らいでいた。その赤褐色を目撃し、僕は思った。彼女との出会いは偶然ではなく必然ではないのか、と。自分を操る誰かがそれを知っているとしたら、僕は主人の命令に従わないロボットそのものだった。

 夜の街に浮かび上がる鮮黄色の城。冷たい風が僕の皮膚に鳥肌を立たせた。

「お願い。あなたにどうしても頼みたいことがあるの」

 僕は無言で頷いた。


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