10,本気
「え、あれ……!」
梓が声を上げる。目の前に立つ渚の様子が、先ほどまでとは一変しているのだ。
残虐な行為とは独立しているかのように変わらなかった笑顔は消え、逆に今は、おおよそ「感情」と呼ばれるものから喜楽だけを抜いたような、冷酷な表情を見せている。笑顔を際だたせていた美貌も、今はかえって人形のような無機質さを与えており、彼女をより恐ろしく見せていた。
「こっからがこいつの本領なのかもな……」
啓太が呟く。
「苦しんで、」
渚が低い声で言う。その瞳に映る亅模様はぎらぎらと強い光を放っている。
「苦しんで、苦しんで、苦しんで、苦しんで、苦しんで、苦しんで……、それから死ね」
突然、床に突き刺さっていた刃が何カ所かに集まっていき、長い鋼の柱になった。
「何する気……?」
瑞紀が身構える。……と、その柱が蛇のようにうねり出す。
「何だあれ、本当に鋼か……!?」
やがて細長く伸びて鞭のようになったそれは、勢いよく啓太たちに向かって放たれた。
「くッそ……!」
3人は攻撃をかわそうとするが、鋼の鞭はまるで意志を持っているかのように彼らを追う。
「ッてェ!……何だこれ!?」
啓太の腕を掠めた鞭はささくれ立っており、その鋭利な刃が彼の肉体を抉った。
「……高いんだ……!」
梓が呟く。
「えっ?」
瑞紀が問い返す。
「あの子魔力は特別大きくないけど……、支配能力は凄い高いんだ……!」
「上級魔族だったってことかっ!?」
啓太が叫んだ。
「いや魔力は高くないから……。俗に言う『準上級魔族』だよ……!」
「うざい。黙ってくんない?」
渚が不機嫌そうに言う。と同時に数本の鞭が梓に向かってとぶ。
「うッ……!」
攻撃を避けきれなかった梓は、その1つを腹に受けて床に転がされた。
「梓ッ!」
啓太と瑞紀が彼女の元に駆け寄るが、そこにさらに鞭が打たれる。
「うぐッ……!」
「ぐゥッ……!」
梓を庇った2人は剣だけでそれを受けることができずに、身体に傷を負った。
「啓太ッ!瑞紀ッ!」
梓が叫ぶ。
「……どうする?逃げるか?」
啓太が瑞紀に問う。少し呼吸を乱しているが、わざと戯けた調子で言う。
「無理だね。それより、何とか勝つ方法ない?」
瑞紀も気丈を装ってそう返した。しかしそこに再び鋼の鞭が振られる。
「いッ……!」
2人の傷ついた体を、さらに血液が伝う。
「いいよっ!私は大丈夫だよッ!」
梓はもう1度叫ぶ。
「うっせえ。お前弱いじゃんか。俺の後ろにいろ、馬鹿」
啓太が彼女を振り返って笑う。
「梓考えてよ、あの子に勝つ方法」
瑞紀も、息を荒げながらも笑う。
「違う……、違うよっ……!」
梓は自分を庇って戦う2人に向かって呟く。
(そうじゃない……!それじゃあ、何も変わらないっ……!)
梓は、守られてばかりの自分を打ち破るために剣を取ったのだ。それなのに今の彼女は、以前の彼女と何にも変わっていない。
(私だって……、私だって、戦うんだっ……!)
顔を上げた梓は、気が付いた。自分と、啓太・瑞紀との位置関係が先ほどの作戦の時と同じなのである。
(違うのは、私と瑞紀の役割……)
すぐに梓は、1つの決断を下すに至った。
「……啓太、瑞紀、」
2人は渚と対峙したまま、顔を少しだけ梓に向ける。しかし鋼の鞭は止まるはずもなく、彼らを容赦なく攻撃する。
「守ってくれてありがとう」
いくつもの鞭が啓太たちに集中して打たれたその瞬間を狙って、梓は渚に向かって走り出した。
「なっ……!?」
「梓っ……!」
2人も後を追おうとするが、鞭による攻撃で身動きがとれない。
「あんたに何ができるの?」
渚は冷たい視線を梓に向ける。と同時に彼女に向けても鋼の鞭を放つ。
「うッ、ぐゥッ……!」
梓はそれを剣で防ごうとするが、長い鞭の力に押し負けて壁に叩き付けられた。
「ただの魔族が。調子乗んな」
渚は無感情に言う。
「うっ、あァッ……!」
巻き付いた鞭が梓の身体に食い込む。
「う……、まだッ……!」
梓はその鞭を握る。
「……!」
梓の身体の周りが炎に包まれる。
「私は魔族だッ!」
炎は大きくはないが、徐々に激しく燃え上がっていく。そして鋼の鞭は、彼女が力を加えると千切れてしまった。
「炎の……、魔族なんだッ!」
梓は再び、渚に向かって走り出す。
「うざい。死ね」
渚はさらに鋼の鞭を放つ。
「うゥッ……、ああァッ!」
鞭は梓を激しく打つ。しかし巻き付いてもすぐに引き千切ぎられてしまうため、彼女を止めることはできない。無論、鋼の鞭で打たれて梓もダメージがないわけではないが、前に進もうとする意志を挫くほどのものでもなかった。
「ぐ……!」
梓はとうとう渚の前までやってくると、彼女に向かって剣を振り下ろした。当然のように渚の前には鋼の盾が形成されるのだが、今の梓の炎はその盾をも歪ませていく。
「来るなッ……!」
渚は鋼の鞭を、梓の体中に巻き付けて彼女の動きを止めようとする。
「こんなのッ!」
梓の炎はさらに激しく燃え上がり、その炎は青く変色していく。
「梓ッ、やめろッ!」
啓太が叫ぶ。青い炎の中で梓の姿は揺らぎ、消えてしまいそうに思われた。
魔族は魔法を使うことができる人種だが、その能力以外は人間と同じである。魔法を使い続ける内に、身体がある程度その力に慣れるということはあるが、あまりにも強い力を扱い慣れていない魔族が使えば文字通り「身を焼く」ことになるのだ。
「私だって戦えるんだッ!」
梓を束縛している鋼の鞭は、彼女の身体に深く食い込みその肉を断たんとばかりに彼女を締め付けているが、青い炎によって溶け始める。
「ッ!」
鎖を断ち切った梓が、渚を囲う鋼のドームに剣を叩きつける。ドームはあっさりと内側に向かってぱっくりと割れた。
「これで終わ……」
次の瞬間、鋼の鞭が鋭利な刃となって梓の胸を貫いた。
「そんなに早く死にたいなら……、死ね」
渚が息を切らしながら言う。実際のところ、彼女にとって精一杯の反撃だった。
「梓ァッ!」
啓太と瑞紀が叫ぶ。青い炎は、幻のように消えた。
「さよなら、馬鹿な魔族」
渚は倒れる梓を見下して言う。
「……さよならは、お前の方だっ!」
梓は倒れずに、そのまま渚に向かって剣を突きだした。
「ッ!?」
その剣は鋼のドームが再形成される前に渚の右脇腹に突き刺さった。
「あァッ……!」
渚は小さく悲鳴を上げると同時に倒れた。そして同時に、彼女の魔法の全てが解かれる。
「……やった……」
続いて梓の体も、傾いていった。