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第99話 橘尚哉は聞いている。

 夏祭りが終わってから数日。


 季節は少しずつ夏の終わりへ向かっていた。


 放課後。


 いつもの帰り道。


 駅へ向かう道を、二人で並んで歩く。


 付き合う前から何度も歩いた道。


 けれど今は少しだけ違う。


 隣にいることが当たり前になっていた。


「そういえば」


 六花が言う。


「尚哉くんって、子供の頃どんな子だったの?」


 尚哉は少し考えた。


「普通」


「絶対嘘」


「なんでだよ」


「普通の人ほど、自分のこと普通って言うんだよ」


「じゃあ普通じゃない奴は何て言うんだ」


「知らない」


 六花は少し笑った。


 尚哉も少しだけ笑う。


 それから少し考える。


「別に、本当に普通だったと思う」


「うん」


「親もいたし」


「うん」


「学校も行ってたし」


「うん」


「友達もいたし」


 六花は黙って聞いていた。


 尚哉は少しだけ視線を空へ向ける。


「でも」


 言葉が続く。


「なんか、家にいても家にいる感じはしなかったかもな」


 六花は尚哉を見る。


 尚哉は少し考えながら話していた。


「父親も母親も忙しい人だし」


「……」


「別に仲が悪いわけじゃない」


「うん」


「ただ、あんまり話さなかった」


 淡々とした声だった。


 責めるわけでもない。


 恨んでいるわけでもない。


 ただ事実を話している。


「だからかな」


 尚哉が言う。


「将来とかもあんまり考えたことなかった」


「将来?」


「ああ」


 尚哉は苦笑する。


「何になりたいとか」


「やりたいこととか」


「そういうの」


 六花は少しだけ驚いた。


 尚哉らしいと思った。


 でも少しだけ寂しいとも思った。


「誰かに期待されたことも、あんまりなかったし」


 その言葉が胸に残る。


 六花は何も言わなかった。


 軽々しく返したくなかった。


 しばらく沈黙が続く。


 風が吹く。


 駅へ向かう人たちが横を通り過ぎていく。


「六花は?」


 尚哉が聞いた。


「ん?」


「子供の頃」


 六花は少しだけ足元を見る。


 答えようとして。


 少し迷った。


 でも。


 今なら話してもいい気がした。


「…私ね」


 小さく息を吐く。


「お姉ちゃんがいたんだ」


「三つの海で"みつみ"って言うの」


「そうか」


 短い返事。


 六花は寂しそうに笑った。


「優しかったよ」


「うん」


「何でも出来て」


「うん」


「私の憧れだった」


 少しずつ言葉が出てくる。


 今まで誰にもあまり話さなかったこと。


「でも」


 六花は空を見る。


 夕暮れの色が少しだけ薄くなっていた。


「亡くなった」


 尚哉は何も言わない。


 ただ聞いている。


「私が6年生の時に、海で」


「……」


「私だけ助かったの」


 六花は少しだけ笑った。


 上手く笑えているか分からなかった。


「今でもね」


 小さく続ける。


「お姉ちゃんとの楽しかった思い出を思い出そうとすると」


「うん」


「最後にあの日が出てくるの」


 尚哉は黙っていた。


「お姉ちゃんの事は忘れたくないのに」


 六花は少し俯く。


「思い出そうとすると苦しくなる」


 言葉にすると不思議だった。


 ずっと胸の奥にあったものが少し軽くなる。


「だから私…」


 少し笑う。


「お姉ちゃんみたいになろうとしてたのかも」


 頼まれ事を断れないこと。


 頑張り過ぎること。


 誰かを優先してしまうこと。


 全部。


 どこかで三海を追いかけていたのかもしれない。


 話し終わる。


 二人の間に静かな沈黙が落ちた。


「あはは、ごめんね」


 六花は言った。


「重かったよね」


「いや」


 尚哉は首を振る。


 それ以上は何も言わなかった。


 駅へ向かって歩き出す。


 二人の間に沈黙が続く。


 六花は少し不安になった。


 言わなきゃ…よかったかな。


 そんなことを考えた時だった。


「六花」


 呼ばれる。


 顔を上げる。


 尚哉は前を向いたまま。


 少しだけ気まずそうな顔で。


 何も言わずに手を差し出していた。


 六花は目を瞬く。


「……」


 尚哉は視線を合わせない。


 ただ。


「帰ろう」


 そう言った。


 不器用に。


 いつも通りに。


 六花は少しだけ笑った。


「うん」


 そっと手を重ねる。


 尚哉の手は温かかった。


 優しい言葉はなかった。


 慰めもなかった。


 でも。


 今はそれで十分だった。


 手のひらから伝わる温度が、


 言葉よりずっと多くのことを教えてくれる気がした。


 六花は少しだけその手を握り返す。


 尚哉は何も言わない。


 けれど離さなかった。


 夕暮れの帰り道。


 二人は並んで歩く。


 少しだけ過去を知った。


 少しだけ相手を知った。


 そして前より少しだけ、


 相手が愛おしくなっていた。


 橘尚哉は聞いている。

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