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22❀ 酔っ払い



 夜も更け、あたりの空気がじわじわと濃く沈んでいくなか、私は次第に落ち着きを失っていった。母が帰ってこない。

 スマホの画面を開き、朱里とのトークを呼び出して、文字を打ち込む。


 《今日は行けない》


 ただそれだけの短い一文が、白い画面の中にぽつりと浮かぶ。

 早く伝えてあげたほうがいい。しかし、迷いではなく、何かを決定すること自体の重たさが指先を止めさせていた。


 そうこうしているうちに、十一時半になった。

 玄関の鍵が回る音がして、母がふらつく足取りで入ってくる。頬を赤く染め、吐息に甘い酒の匂いを混ぜながら、やたらと上機嫌に腕を伸ばしてこちらへ歩み寄ってくるその姿は、妙に幼さすら感じさせた。こんなに酔って帰ってくるのは久しぶりだ。いや、もしかしたら、はじめて見るかもしれない。


「待っててくれたの~? ひさはほんとにかわいいね」


 ママの口調が、わずかに崩れていた。普段の無駄のない語尾の締め方とは、まるで違っている。

 そこに漂う、どこか輪郭のぼやけた甘さが、私を少しだけたじろがせた。

 肌に触れると、表面は冷えているのに、内側にはじんわりとした熱がこもっていて、その不安定な温度が妙に生々しく指先に残った。

 このひとが、あのママなのだと、少しだけ信じられなかった。


 崩れた姿を見てはいけない気がして、なのに目が離せなくて、心がぐらぐら揺れる。私は小さく息をつき、そっと肩を支えながら寝室へと誘導する。


「……もう寝たほうがいいよ」

「分かった~」


 重たい体を支えながら、ゆっくりと寝室へ向かうその途中、ママがぽつりと口を開いた。


「……ねえ、ほんとに、なにかあったんじゃない?」


 足が一瞬、止まりかける。


「なんかいいことあった? 元気そうだから」


 今日の朝も、似たようなことを言っていた。

 でも、同じ言葉を二度もかけてくるなんて――ママには珍しい。


「……なにもないよ」


 できるだけ無表情で返すと、ママは赤く火照った顔で、まぶたを長いこと閉じていた。私は彼女が寝てしまったのかと思った。


「……ママ?」

「……あれ、私なにしてた?」


 ふっと頭を揺らしながら、ママが口にする。なんだ、ただ酔っぱらっていただけか。きっとそうだ。そう思うことにした。

 ベッドに横たえると、ママはそのまま緩やかに背を丸めた。


「……メイク、落とさなくていいの?」

「ん~」

 ママにはもう、私の声が届いていないようだった。私は安心して、すぐに立ち去ろうとした。

 でも、薄暗い部屋の中、メイクが残ったままの顔がシーツに沈んでいるのが、どうしても気になった。


 美しさを持つ者が、それをないがしろにする行為が許せなかったのかもしれない。


 私はいったん階段を上がり、自分の部屋の引き出しからクレンジングシートを手にして、また静かに戻った。

 仰向けになった顔にそっと手を添え、目元からやわらかく拭いはじめる。じっと動かずにいると、アイシャドウが溶けだしているような気がした。しばらくして手を引くと、まぶたの形が、シートにそのまま移った。

 化粧を落としたママのまぶたには、ほんの少しだけ、くすみがあった。線の薄い顔立ちは、どこかあどけなくもあり、ふとした瞬間に老いたようにも見えた。


 わたしは少し動揺したが、黙ってシートを取り替える。


 何枚目かになるころには、ママはすっかり深い眠りに落ちていて、こちらの手の動きにもまったく反応を見せなかった。

 照明を落とし、静かに扉を引き寄せる。

 そのとき、ポケットの奥にしまっていたスマホが、小さく震えた。


《どう~?》


 朱里からの短いメッセージだった。手早く返信を打ち込む。


《もう出れそう》

《おっけ~! これから出るね。たぶん、十五分くらいで着くと思う。みなみ野台公園の前だよね?》

《うん》と返すと、間を置かずに、いつもの、喜んで跳ねるウサギのスタンプが送られてきた。


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