15✿ あなたの鏡になりたい
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花びらをばらまくタイミングは、ちゃんと決めていた。
久乃ちゃんが扉を開けた、その瞬間。
春の風と一緒に、全部まとめて流れこめたらいいなって。――みんな、サプライズが好きでしょ?
公園の脇に吹き溜まっていた八重桜の花びらを、道すがら、ハンカチにそっと包んでおいた。これは贈り物なんだ、って、きれいなものを丁寧に選んだ。
どんなふうに会うのがいいか、ずいぶん迷った。でも、昔おんなじことをして、久乃ちゃんが笑ってくれたのを思い出したから、これに決めた。
可愛く登場することは、いつだって私の得意技だった。
アイドルをしていた頃、ファンの子たちが喜んでくれたあの感じを、ぎゅっと濃縮して、久乃ちゃんの前で再現しようと思った。
ほんの少し無邪気に、ほんの少しわがままに。ちょっと拗ねた声で名前を呼んだり、近すぎるくらいの距離で笑ったり。
そういうふるまいは、もう数えきれないくらいしてきた。
久乃ちゃんが喜んでくれるかは全然わからなかったけど、これしかできないから、これで行こうって。
花びらを浴びせて、くすぐったくなるような声で名前を呼んで、そのまま抱きしめてしまえば、きっと、久乃ちゃんは戸惑いながらも受け入れてくれる。だって、久乃ちゃんはとっても優しいから。そうだよね?
ほんとうは、すごく怖かった。断られたらどうしようって、ずっと思ってた。
でも思いのほか自然に、わたしはわたしを演じられた。
腰まで伸ばした髪を揺らしながら、階段を駆け上がるのも、久乃ちゃんの部屋に行きたがるのも、ぜんぶ、久乃ちゃんにもう一度、わたしを好きになってもらうための演出だった。
お化粧してあげる、って言ったのも、自分の求められた役割を差し出しただけ。
彼女はマスクを取ったわたしを見て、ちょっと悲しそうだった。強い嫉妬をしたわけでも、私のこと好きになっちゃったわけでもないと思う。たぶん、見てたのはわたしじゃなくて、『きれい』っていう概念そのもの。
久乃ちゃんもそういうこと考えちゃうんだって、少し寂しくなった。
でも、これはチャンスだって思った。わたしにも、久乃ちゃんにできることがある。
あの顔は間違いなく、もっときれいになりたい、そう思ってた。見た目を整えて、いちばん素敵って教えてあげる――それなら、わたしにだってできる。
メイクって、いい。ただ役に立てるから、それだけじゃない。
これって人を好きにさせる一番の方法だ。みんな、触られて、褒められると、すごく幸せになっちゃって、わたしのこと好きになっちゃうみたいだった。
メイクをしているあいだなら、触れることは自然なこととして許される。その距離の中で、少しずつ心をほどいてもらう。
綺麗にしてあげて、最後に「あなたは、可愛い」って言ってあげる。これなら、きっと久乃ちゃんは、わたしを好きになってくれるだろう。
そう思っていたのに。
いざ触れてみたら、わたしのほうが、だんだんおかしくなってきた。
久乃ちゃんの肌に指を置いたとき、予想以上にやわらかくて、あたたかかった。頬の輪郭をなぞると、その感触が指先から胸にまで染み込んでくる。
あんなに遠くにいたはずの人が、こんなふうに目の前で目を閉じて、無防備に触れられている。疑いもなく、身を預けてくれている。
そのことが、どうしようもなく、涙が出るほどうれしかった。
「……メイク、しないの?」
「あ、目開けちゃだめ! ……うーん、もうちょっと堪能させて。だって久しぶりなんだもん」
わたしが慌てて言うと、久乃ちゃんは不思議そうに小首をかしげ、でも目を開けないでいてくれた。
好きにさせるつもりが、いつのまにか自分のほうが好きになってしまっていた。わたしはくやしいような気持ちで、やっと手を引いた。
しばらくベースメイクをしていると、久乃ちゃんが口を開いた。
「なんで……うちに来たの?」
その言葉が聞こえた瞬間、心臓がきゅっと縮こまった。
手が止まる。ごく一瞬だけ。でも自分の中では、時間が止まったみたいだった。
久乃ちゃん、怒ってる? もしかして、ほんとに迷惑だったのかも。だって、いきなり来たもんね。わたしのこと久乃ちゃん、嫌いだったもんね。六年も経ってて、連絡もせずに押しかけて――ああ、もう、どうしよう。わたし、なにしてるの?
指先の感覚だけが、どうにか演技を続けていた。でも頭の中は焦りと混乱でいっぱいだった。
「うーん……」
時間を稼ぐように、わざとらしく首をかしげてみせる。久乃ちゃんは目をつぶってて、見えないのに。ぶりっ子な声を出すときは、なぜか体まで動いてしまう。
「……どうしても、久乃ちゃんに会いたくて。だから来ちゃった」
少し語尾を甘くして、目元もゆるめて、いつもの可愛いふうで言ってみる。
そうすれば、久乃ちゃんは、許してくれるかもしれない。そう思った。
けど、なんだろう。手応えが、ない。わたしの言葉が、表面をすべっていって、どこにも届いていない感じだった。
「だめだめ、まだ目は閉じてて」
慌てて、明るく笑いながら、会話を切り替えようとする。お願い、目を開けないで。わたしの不安いっぱいの顔を見ないで。
「でも、いきなりすぎるでしょ」
久乃ちゃんの声が、責めるように尖った。
わたしはなんでもいいから許してほしくて、一生懸命謝った。
「……ごめんね、ほんとうに。ちゃんと段階踏めばよかったんだけど、我慢できなかった」
ずっと連絡できてなくて、ごめんね。急に押しかけて、ごめんね。
――ごめんね。わたしになんか、ほんとは来てほしくなかったよね?
そしたら、許してくれたのか、彼女の声色は和らいだ。ほんとうに安心した。
それからまた少しメイクをして、もうすぐ完成って頃になって、わたしは切り出した。
「……ね、久乃ちゃん」
声を落としたのは、甘えるためじゃない。ここから先が、勝負だったから。久乃ちゃんのそばにいるための、わたしなりの交渉。
「こうやって、わたしに毎日メイクされるのはどう?」
なるべく軽く、でも特別感が伝わるように言う。
「わたし、久乃ちゃんの助けになりたいの」
本心だ。でも、下心もある。助ける、という形にすれば、そばにいることが許される。
わたしは、もう与える側としてしか、生きられない気がしてた。
リップのチップを、唇の中央にそっと乗せる。
可愛い、って言ってあげる。毎日、そうしてあげる。そうすれば、きっとわたしのことを必要としてくれる。
“あなたの鏡になりたい”――それは甘い台詞だったけど、ほんとうに、そうなれたらって思った。あなたの美しさを見つけてあげたい。
久乃ちゃんの目を見て、わたしは願った。どうか、断らないで。どんな形でもいい。そばにいさせてほしい。
でも久乃ちゃんはなんだかぼんやりしていて、わたしの言葉には全然反応してくれなかった。ああ、もうだめかなって思ったら、ふっと久乃ちゃんが口を開いた。
「……ねえ、朱里。お金に、困ってるの?」
「――えっ?」
久乃ちゃんの言ってることがぜんぜんわからなかった。なんでそんなこと聞くの?わたしそんなに卑しく見えた?
でもそうじゃなかった。
「助けたいし、朱里のこと、もっとちゃんと知りたいの」
そう言って、そっと手を握ってくれた。あったかくて、やわらかい手。わたしを値踏みするためじゃなく、責めるためでもなく、ただ心配してくれた。
うれしかった。でもうれしくって……なんか、情けなかった。だって、わたしが助ける側になるはずだったのに。綺麗にしてあげて、「大丈夫だよ、可愛いよ」って言ってあげるはずだったのに。
なのに、どうして、こんなふうに包み込むみたいな目で見てくれるの。
わたしのほうが、泣きそうになってしまう。
「もし、頼ってくれるなら……私、頑張るよ」
その言葉が、まっすぐ胸の奥に届いた瞬間、なにかがふいに、ほどけそうになった。
だめだ、って思った。このまま泣いたら、全部が崩れてしまいそうで――でも、目の奥がじんと熱い。顔がうまく動かない。笑おうとしても、うまく笑えなかった。
ねえ、なにそれ。ずるいよ。なんでそんなこと言うの、久乃ちゃん。あの頃、わたしのことなんて見向きもしなかったのに。
なのに今は、こんなにも、優しい。わたし、強くなって帰ってきたんだよ。それなのに、また昔の弱かった自分に戻ってしまう。
わたしは、無理やり口角を持ち上げた。
「もぉ〜〜、やだぁ、久乃ちゃんってば……」
わざと甘える声を出して、ゆっくりと久乃ちゃんの手を引き寄せた。
「わたしね……お金なんていらないよ?」
囁くように言いながら、彼女の頬に手を添える。
「ただ一緒にいたいだけなの。ね? ねぇ、だめ?」
唇が触れるくらい近づけて、朱色の熱を見せつけるように微笑む。愛されるためには、そういうわたしでいないといけなかった。
それでも力が抜けてしまって、わたしは久乃の肩に額を預け、観念したように目を閉じた。
「ただ、毎日、久乃ちゃんに……会いに来ても、いい?」
その声は、もう演技じゃなかった。すがるみたいな声だった。
すると、久乃ちゃんがゆっくりうなずいたのが、額越しに伝わった。
「……そっか。家に、帰りたくなかったんだね」
静かに、そう言った彼女の言葉が、胸にしみた。喉が震えて、目がぐっと熱くなる。わたしは涙を溢さないように一度だけ、鼻を鳴らした。
「もちろん。毎日でも、何度でも――来てよ」
その言葉が、なによりも、春だった。




