第八十七話……十七パーセント
帝国軍第二総軍艦隊旗艦ビシュヌ。
その艦橋には、前線からの勝利報告が次々に届いていた。
「第十七分艦隊、敵前衛を撃退!」
「第二十一分艦隊、敵偵察艦を鹵獲!」
「第五陣地重砲列、敵分艦隊旗艦と思しき艦艇を撃沈!」
情報士官たちの声が、艦橋の空気を明るくしていく。
戦術投影盤には、小惑星帯の各所で大公国軍の青い光点が押し返され、帝国軍の赤い防衛線がいまだ健在であることが示されていた。
今回、帝国軍はアーヴィング大公国軍の攻勢をあらかじめ読んでいた。
サーペント要塞を包囲すると同時に、その外縁に広がる小惑星帯を利用し、縦深防御陣地を構築していたのである。
航行不能宙域、機雷原、隠蔽砲台、重砲列、機動予備艦隊。それらを複雑に組み合わせた防御線は、実に三列に及んでいた。
攻撃側が第一防御線の一部を突破しても、すぐに第二防御線が現れる。
そこへ左右の小惑星陰から斉射が浴びせられ、背後の予備艦隊が退路を塞ぐ。
突破したはずの敵部隊は、たちまち袋の鼠となり、再び押し戻される。
地形を徹底的に利用した、組織的な防御戦術であった。
第二総軍司令官トラヴァース元帥は、戦術投影盤を無言で見つめていた。
局地戦では勝っている。
防御線も崩れていない。
敵は焦り、こちらは時間を稼げている。
普通ならば、艦橋の空気に合わせ、わずかに表情を緩めてもよい場面だった。
だが、トラヴァース元帥の顔は硬いままだった。
勝利報告が多すぎる。
それは、消耗もまた多いという意味である。
その時、補給本部長ガイアー少将が、青ざめた顔で艦橋へ入ってきた。
手には一枚の報告書が握られている。
「元帥閣下……補給状況について、ご報告がございます」
トラヴァースは視線だけを向けた。
「読め」
ガイアー少将は一瞬ためらった後、震える声で報告書を読み上げた。
「後方補給線より到着した物資量は、予定量の……十七パーセントに留まっております」
艦橋の空気が凍りついた。
トラヴァース元帥は、ゆっくりと報告書を受け取った。
数字を確認する。燃料、弾薬、予備部品、医療物資、冷却材、食料。どの項目も、予定を大きく下回っていた。
次の瞬間、元帥の怒号が艦橋に響いた。
「なんだこれは。私を馬鹿にしておるのかね!?」
情報士官たちの声が止まる。
ガイアー少将は額の汗をぬぐいながら、必死に頭を下げた。
「し、しかし、これは厳然たる事実であります。後方の輸送船団は、各所で襲撃を受けております。偽装船、宇宙海賊、所属不明艦による攪乱が続き、予定通りに物資を前線へ届けることができておりませぬ」
「十七パーセントだぞ!」
トラヴァースは報告書を握り潰した。
「この艦隊に、残り八十三パーセントを気合で補えと言うのか!」
誰も答えられなかった。
前線では勝っている。
戦術では勝っている。
兵士たちはよく戦い、陣地はよく機能している。
だが、艦隊は燃料なしに動けず、砲は弾薬なしに撃てず、艦は部品なしに修理できない。
トラヴァース元帥は、戦術投影盤へ目を戻した。
赤い光点は、いまも小惑星帯に強固な防衛線を描いている。
だが、その背後では、帝国軍の血管ともいうべき補給線が、静かに食い荒らされていた。
◇◇◇◇◇
補給報告から四時間が経過していた。
旗艦ビシュヌの艦橋は、もはや通常の作戦指令室ではなく、臨時の査問室のようになっていた。
各所から呼び集められた補給士官、会計士官、航路管理官、物資受領担当者たちが、端末や紙の報告書を前にして、顔色を失いながら照合作業に追われている。
通信記録。
輸送船団の航跡。
護衛艦の交戦報告。
物資受領書。
補給倉庫の在庫台帳。
それらが次々に戦術投影盤へ映し出され、情報士官たちが一つずつ確認していった。
たしかに、宇宙海賊や所属不明艦艇による後方攪乱は存在する。
輸送船団への襲撃もあった。
偽装船による物資強奪もあった。
航路上にばらまかれた通信妨害機雷により、幾つかの船団は予定航路を外れていた。
だが、補給艦隊には小規模ながら護衛艦艇も随伴していた。
予定量の十七パーセントしか届かない。
そのすべてを敵の攪乱だけで説明されることは、トラヴァース元帥には理解できなかったのだ。
「元帥閣下……確認が、おおよそ終わりました」
大量の報告書を抱えたガイアー少将が、青ざめた顔で進み出た。
彼の軍服は汗で濡れ、目の下には濃い隈が浮かんでいる。
トラヴァース元帥は、机に積み上げられた書類を一瞥しただけで言った。
「忙しい私に、それだけの紙束を読めと言うつもりか。結果だけ報告せよ」
「はっ」
ガイアー少将は喉を鳴らし、覚悟を決めたように口を開いた。
「結論から申し上げます。補給士官や現地商人のみならず、中央官僚、地方貴族、軍需商人を含む組織的な横領でございました」
艦橋の空気が止まった。
「……なんだと?」
トラヴァース元帥の声は、怒号ではなかった。
むしろ低く、静かだった。
それゆえに、周囲の幕僚たちは一層恐怖した。
ガイアー少将は額の汗をぬぐいながら、報告を続けた。
「長期戦用として前線へ送られるはずだった燃料、弾薬、食料、嗜好品、予備部品、医療物資の一部が、輸送途中で書類上だけ消費扱いにされております。実際には後方倉庫へ横流しされ、そこから大商人たちへ転売されておりました」
「軍需物資を、売ったというのか」
「はい。さらに一部は、地方貴族の私兵艦隊へ優先的に回されております。受領書には第二総軍向けと記載されていますが、実際の搬入先は別であります」
トラヴァース元帥は、椅子の肘掛けを握り締めた。
いかなる超兵器を前にしても怯まぬ男である。敵の艦隊が倍であろうと、未知の兵器が現れようと、彼は卓越した統率力と戦術で対抗する自信があった。
だが、味方の帳簿に刺された刃には、さすがに表情を歪めた。
「なぜだ」
その一言に、ガイアー少将は震える声で答えた。
「今回の戦いは、帝国の圧勝に終わるとの見方が強うございました。サーペント要塞包囲も順調。大公国軍は短期間で撤退する。中央の官僚たちは、そう判断していたようです」
「つまり」
「はい。長期戦用の物資は、最初から余剰品扱いされておりました。前線に届く前に転売しても、戦が短期で終われば問題にならぬと考えたものと思われます」
「ぐぬぬ……」
トラヴァース元帥の肩が怒りで震えた。
艦隊は勝っている。
兵士たちは戦っている。
防衛線は崩れていない。
それなのに、後方の机に座る連中が、戦争継続のための血液を抜き取っていたのだ。
その時だった。
「緊急通信!」
艦橋の通信士官が叫んだ。
「なんだ!」
怒りの冷めやらぬ司令部に、さらに急報が飛び込んでくる。
通信士官は一瞬だけ言葉を失い、それから蒼白な顔で報告した。
「惑星ペルーンより最終通信。地表防衛施設は全滅。地下要塞中枢区画も陥落。守備隊は降伏、または通信途絶とのことです。惑星ペルーン、敵の手に落ちたと推定されます!」
艦橋の幕僚たちに沈黙が広がった。
ペルーンは、大公国軍の後背へ打ち込んだ楔であった。
その楔が、折れた。
トラヴァース元帥は、握り潰しかけた報告書をゆっくりと見下ろした。
補給は届かない。
後方攪乱は止まらない。
そして、ペルーンは失われた。
前線では勝っているはずだった。
だが、戦況全体は、確実に傾き始めていた。




