第五十七話……最終防衛線
聖帝国暦六四五年四月下旬――。
帝国総軍司令部。
その中枢に位置する作戦会議室にて、クライツ上級元帥は幕僚たちを招集し、戦局を左右する協議を開始した。
議長席には宰相ローゼンタールが着座し、文武の頂点として場を制している。
だが実質的に議事を主導するのは、作戦部長たるクライツであった。
「反乱軍の戦線は、既に過度に伸長している」
低く、しかし明確な声が室内に響く。
「――今こそ、反撃の時である」
「「おおッ!!」」
どよめきとともに、幕僚たちの士気が一気に昂る。
だがクライツは、その熱気を手で制した。
「……しかし、だ」
空気が一転して引き締まる。
「勢いに乗る反乱軍を、正面から受け止める部隊が必要だ。――志願する者は、挙手せよ」
「…………」
沈黙。
当然であった。
反乱軍は戦闘艦艇だけでも三千隻以上。補助艦艇や徴用船舶を含めれば、総数二万隻を超える膨大な軍勢である。
これを正面から受ける任は、事実上の“死地”に等しい。
「……まあ、出るまいな」
クライツは淡々と結論づけた。
「正面部隊はこちらで手配する。諸君は反乱軍の後背を遮断し、側面より圧迫せよ」
「「はっ」」
命令は即座に受理される。
既に方針は固まっていたのだ。
「――では、宰相閣下。私はこれにて」
「うむ。あとは任せよ」
短い応答を交わし、クライツは席を立った。
向かった先は、司令部深部に設けられた超光速通信室。
帝国の命運に関わる連絡は、ここから発せられる。
やがて、暗転していたモニターに像が結ばれる。
「――ご機嫌いかがですかな、ご老公」
「……ほう。軍人の仮面を被った政治家殿ではないか」
映し出されたのは、痩躯の老人。
年齢は優に百を越えていようが、その眼光には未だ衰えがなかった。
キスリング上級大将。
皇帝直轄の近衛艦隊および近衛地上軍を統括する、帝国随一の武門の長である。
「ご用件は何かな、作戦部長殿」
「単刀直入に申し上げる。反乱軍との戦いに、ご助力願いたい」
「これは異なことを」
老人は鼻で笑った。
「我が近衛は、先代皇帝陛下より皇室墓所の守護を命じられておる。軽々しく持ち場を離れるわけには参らぬ」
嘲るような笑みが、画面越しに浮かぶ。
しかしクライツは、わずかに肩をすくめただけだった。
「――こちらに、現皇帝陛下の勅命がございます」
提示された文書に、老人の視線が鋭く走る。
「……ふん。偽皇帝の命など、誰が従うものか」
即答であった。
だがクライツは一歩も引かない。
「――反乱軍は既に第一総管区に迫っております」
声色は静かだが、言葉は鋭い。
「この状況においてなお動かぬ武人が、いかなる評価を受けるか――ご理解いただけるかと」
「……くっ、小癪な」
老人は歯噛みした。
それが正論であることを、理解していたからだ。
やがて、長い沈黙の後。
「……よかろう」
吐き捨てるように言った。
「ただし、これは帝国のためだ。貴様のためではない」
「承知しております」
クライツはわずかに頭を下げた。
通信が切断される。
その直後――。
近衛艦隊。戦闘艦艇千隻以上。
帝国最精鋭の軍勢が、次々とワープ航法に入り、前線宙域へと転移を開始したのであった。
◇◇◇◇◇
アーヴィング大公国軍の先鋒は、ついに皇帝直轄領――第一総管区へと到達した。
長年、この宙域に敵影など現れることはなかった。
ゆえに最終防衛線として彼らの前に現れたのは――たった一つ。
小型の武装準惑星、ウイスパー。
だがこの宙域は、単純な戦場ではない。
周囲には激しい宇宙嵐が断続的に発生し、航行可能な空間は細く歪んだ回廊のように限定されている。
さらにその外縁には、重力と放射を撒き散らす恒星ナイトメアが横たわり、進路の自由を一層奪っていた。
――逃げ場はない。すなわち、突進するしかない。
「……なんだ、これが最終防衛線か?」
嘲る声が艦橋に響く。
「武装準惑星と聞いていたが……旧式の金属塊ではないか。
――一気に踏み潰せ!」
「了解!」
先鋒を務めるのは、若き地方貴族の子息たち。
功名心に燃え、「皇帝直轄領一番乗り」を競う血気盛んな連中である。
彼らは私兵の小艦艇を率い、隊形も半ば無視して突進を開始した。
その背後には、海賊、傭兵崩れ、流れ者の武装船団が雪崩のように続く。
統制なき大軍。
だが――勢いだけは本物だった。
迎撃に出た準惑星側の警備艦艇は、わずか四十隻。
数に圧倒され、散開しつつ準惑星内部へと後退する。
「ははっ、逃げたぞ!」
歓声が上がる。
先鋒艦隊の中心に位置するのは、ネルリンガー伯爵。
名目上の大将格ではあるが、この軍に統一された指揮系統など存在しない。
それでも、今この瞬間においては――その混沌こそが推進力であった。
「揚陸を開始せよ! 一番乗りは我らが貰う!」
命令と同時に、前衛艦艇から次々と揚陸舟艇が射出される。
無数の小艇が、獲物に群がる虫のように準惑星へと殺到した。
――その時。
準惑星ウイスパーの表層が、各所でゆっくりと開いた。
装甲板が滑るように展開し、その内側から――
対艦ビーム砲台、百門以上。
「――撃て」
閃光。
次の瞬間、宙域は白熱した光に埋め尽くされた。
直撃を受けた揚陸舟艇は、一瞬で蒸発し、あるいは炎の塊と化して四散する。
隊列は崩れ、爆発の連鎖が広がった。
「怯むな! 援護射撃を加えよ!」
ネルリンガー伯爵の怒号が飛ぶ。
即座に応じて、千隻を超える艦艇群が一斉に火力を解き放った。
ビーム、実体弾、ミサイル――あらゆる攻撃が、準惑星へと降り注ぐ。
装甲惑星ウイスパーのニッケル合金の装甲が剥がれ、砲台が次々と沈黙する。
外殻は裂け、内部構造が露出していく。
「押し切れるぞ!」
誰かが叫んだ。
それは錯覚ではなかった。
防衛火力は確実に減衰している。
そして再び、揚陸舟艇が突撃を再開する。
炎と残骸の間隙を縫い、準惑星へと取りつこうとした――その瞬間。
「……っ!?」
ネルリンガー伯爵の旗艦「トランプ」。
その艦橋の視界が、突如として“白”に塗り潰された。
光ではない。
――爆炎。
それも、常識外れの規模の。
次の瞬間、全センサーが悲鳴を上げた。




