第五十五話……機械仕掛けの皇帝
聖帝国暦六四五年四月上旬――。
帝国軍の戦線は、各方面で崩れつつあった。
アーヴィング大公国軍の攻勢は激しく、帝国艦隊は星域ごとに押し返されている。
防衛線は次々と突破され、その矛先はいよいよ皇帝直轄領――第一総管区へ迫ろうとしていた。
敗北の余波は、宇宙空間だけでは終わらない。
艦隊戦で制宙権を失えば、次に起こるのは地上の崩壊である。
「うははは! 奪え、奪え!」
「そこの小娘、逃げるなよ! たっぷり可愛がってやる!」
軌道上の帝国艦隊が潰走すると、惑星の支配階級は護衛部隊とともに宇宙へ逃亡する。
残された都市に秩序など存在しない。
そこに降り立つのは――勝者である大公国軍の兵士たちだった。
いや、兵士と呼ぶにはあまりにも粗暴な集団である。
建物は焼き払われ、倉庫の食料は略奪される。
女も、財産も、そして命さえも戦利品だった。
泣き叫ぶ声が惑星を満たす。
だが、その地獄は偶然ではない。
そもそもアーヴィング大公国軍は、純粋な正規軍ではなかった。
軍旗の下に集まったのは、宇宙海賊、傭兵、ならず者――ありとあらゆる武装勢力である。
統制は弱い。
だが、その代わりに数があった。
それこそが、帝国第三総管区の防衛網を力任せに食い破った理由だった。
――そして今。
帝都ネオ=ベルゼブブ。
帝国総軍作戦室の巨大スクリーンには、敗北の報告が次々と表示されている。
「閣下、援軍要請が止まりません!」
情報参謀が声を張り上げた。
「各星系から救援信号が殺到しています!このままでは第三総管区全体が――」
作戦室の中央に立つ男は、静かに腕を組んだ。
帝国総軍作戦部長。
クライツ上級元帥。
「……まぁ、事情は分からんでもない」
低い声が響く。
「だがな」
彼はスクリーンを一瞥した。
そこには、炎に包まれた惑星都市の映像が映し出されている。
「いま勢いづいている反乱軍と、正面から矛を交えるのは得策ではない」
軍人としては冷静な判断だった。
だが、参謀たちの顔は曇る。
「焦土作戦とは――」
クライツはゆっくり言葉を続けた。
「我慢がもっとも大切なのだ」
作戦室は沈黙に包まれた。
誰も反論できない。
焦土作戦――。
侵攻してくる敵軍を自領深くに引き込み、兵站を崩壊させるための戦略である。
理論上は極めて有効だ。
だが、その代償はあまりにも大きい。
焼かれるのは敵ではない。
帝国の都市であり、帝国の農地であり――
帝国の民だった。
「……」
参謀たちは言葉を失う。
そして、誰よりもその重みを理解しているのは――
他ならぬクライツ自身だった。
彼の目の下には、深い隈が刻まれている。
焦土作戦は成功する可能性が高い。
だが同時に、帝国の被支配階級に甚大な被害をもたらす作戦でもあった。
勝利のために、民を犠牲にする。
その決断の重さが、上級元帥の肩にのしかかっていた。
それでも――
彼は命令を撤回しなかった。
◇◇◇◇◇
「……な、なんだって!?」
通信越しに、ユリウスの声が裏返った。
ツーシームから届けられた報告――
荒鷲の金印を持つ少女を保護したという知らせは、彼の予想を遥かに超えていたのだ。
荒鷲の金印。
それは銀河聖帝国ノヴァにおいて、ただ一つの意味しか持たない。
正統なる皇帝の証。
そして、皇統の正当性を掲げて勢力を拡大してきたアストレア家にとって――
これ以上ない切り札だった。
「す、すぐに拝謁したい。準備を頼む!」
ユリウスはほとんど叫ぶように言った。
だが、その言葉をツーシームは軽く受け流す。
「いやいや、そう焦るなって」
落ち着いた声だった。
「実はね、どうも記憶障害らしくて治療中なんだよ。それに――」
彼女は窓の外の夜空をちらりと見上げる。
「坊ちゃんが動けば、隠れ場所がばれる可能性もある。機会はこっちで作るから、もう少し自重してくれないかい?」
通信の向こうで、しばし沈黙が続いた。
やがてユリウスが小さく息を吐く。
「……わ、わかった」
通信が切れる。
ツーシームはゆっくり椅子にもたれ、肩の力を抜いた。
「ふぅ……」
わずかな安堵の息が漏れる。
その横には――
例の少女が、静かにベッドで眠っていた。
まるで壊れやすい人形のように、微動だにせず。
「姉御」
部屋の扉が静かに開いた。
他の患者の診察を終えた医師が入ってくる。
もちろん、ただの医者ではない。
ツーシームの息がかかった闇医者であり、表社会では決して名前の出ない男だった。
「例の話は、なさったのですか?」
低い声で問いかける。
ツーシームは苦い顔をした。
「いや……さすがに言えないだろ」
彼女は安煙草を取り出すが、火をつける気にはなれなかった。
「次期皇帝の後継者が、機械仕掛けの人形だったなんてさ」
吐き捨てるように呟く。
「いったい誰だよ……こんな仕掛けを作ったのは」
医師は少女の手を持ち上げる。
小さな指に嵌められた指輪。
そこには、紛れもなく荒鷲の金印が刻まれていた。
「ただ」
医師は冷静に言う。
「この金印は遺伝子レベルで、少女の指の組織と融合しています」
彼は端末の検査データを表示した。
「人工的に後から装着したものではありません。極めて高度な生体融合処理です」
「つまり?」
ツーシームが目を細める。
「偽物の可能性は、ほぼありません」
ツーシームは腕を組み、しばらく考え込んだ。
「……うーん」
そして肩をすくめる。
「とりあえず、伝染病で隔離して治療中ってことにしておくかね」
煙草を口に咥えながら言う。
「しばらくは、誰にも会わせないよ」
彼女はベッドへ歩み寄った。
眠る少女の頬に、そっと手を触れる。
肌は驚くほど滑らかだった。
人工皮膚とは思えないほど繊細な感触である。
精巧すぎる。
まるで本物の人間のようだった。
ツーシームはしばらくその顔を見つめる。
そして、ぽつりと呟いた。
「……お前さん、一体何者なんだい?」
眠る少女は答えない。
ただ静かに呼吸を続けていた。
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