第四十九話……忠臣の選択
聖帝国暦六四五年一月初旬――。
新年を迎えたこの日、アーヴィング大公から伯爵に叙せられたユリウスは、大公主催の新春の宴に参列していた。
広大な祝宴の間には、金糸を織り込んだ絨毯が敷かれ、天井からは祝祭用の宝珠が柔らかな光を降らせている。
長卓には山のような料理と香り高い酒が並び、貴族たちは杯を掲げて笑い声を交わしていた。
だが、その笑顔の裏で、誰もが戦況の行方を気にしている。
帝国は割れ、戦は終わっていない。
宴もたけなわとなった頃、ユリウスは静かに名を呼ばれた。
大公の控室へ――と。
重厚な扉の向こうは、宴の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
暖炉の火が揺れ、壁にかかる星図が赤く照らされている。
ソファに腰掛けたアーヴィング大公は、杯にも手を伸ばさず、思案に沈んでいた。
「……のう、アストレア伯よ」
低い声で、大公が口を開く。
「いまだにグラストヘイム要塞は落ちぬ。このままでは、わが大公国の威信にも関わる。如何するべきであろうか?」
その言葉には、苛立ちと焦りが混じっていた。
要塞が持ちこたえている事実は、敵味方双方にとって象徴的な意味を持つ。
ユリウスは一歩前に出て、静かに答えた。
「もはや、帝国中央からの援軍が来ないことは明白にございます。これ以上の流血は無益。降伏を勧告すべきかと存じます。――よろしければ、その役目、私が務めましょう」
一瞬、暖炉の薪が弾ける音だけが響いた。
「うむ……」
大公はゆっくりと頷く。
「敵将カタコンは、帝国でも名高い忠臣だ。説き伏せるのは容易ではあるまい。だが……他に適任もおらぬ。何とかしてほしい」
「畏まりました」
短い返答だったが、その内には覚悟が込められていた。
これは単なる使者ではない。
戦を終わらせるか、さらに長引かせるか――その分岐点に立つ役目だ。
こうしてユリウスは、新年の祝宴を後にした。
華やかな灯りを背に、彼が向かったのは戦火の残る宙域である。
アーヴィング大公国の国境宙域を越え、前線へ。
そして、グラストヘイム要塞包囲軍を率いる前線指揮官――ハルダー元帥のもとへと赴くことになったのであった
◇◇◇◇◇
アーヴィング大公国第一艦隊旗艦「オクトパス」。
艦橋は低い電子音と計器の光に満ち、戦場特有の緊張が張り付いていた。
ユリウスは、前線指揮官ハルダー元帥と向かい合っていた。
歴戦の元帥は、細めた目で若き伯爵を値踏みする。
「……ほう。では伯爵様が、かの老将を説得してくださると?」
「左様にございます」
短いが、揺るぎのない返答だった。
「まぁ……格式高いお方のほうが、私のような庶民出よりは信用もありましょうな」
ハルダーは肩をすくめ、通信士へ目を向ける。
「よろしゅうございます。敵方へ交渉申し込み、ならびに交渉中の休戦を提案いたします」
その命令が下された瞬間、砲撃の準備をしていた艦砲が沈黙した。
要塞側からも応答があり、戦場は奇妙な静けさに包まれる。
激戦の舞台であった要塞内では、両軍の衛生兵が交錯し、傷病兵の体に医療標識が次々につけられていく。
つい先ほどまで互いを殺し合っていた者たちが、今は黙って担架を運んでいた。
ユリウスは高級将校用の連絡艇に乗り込み、損傷だらけのグラストヘイム要塞の宇宙船用桟橋へと降り立った。
(……凄惨な戦場だ)
内殻の剥き出しになった通路を進むと、腐敗した肉の匂い、焼け焦げた金属、生乾きの血の臭気が一気に鼻を突いた。
思わず布で口元を覆う。
壁には即席の包帯で止血された兵が座り込み、天井からは赤い警告灯が絶えず点滅している。
敵兵の案内で司令部区画へ入ると、ようやく目隠しが外された。
そこに立っていたのは、背筋を伸ばした厳めしい老将だった。
軍服は擦り切れ、だが胸の勲章だけは鈍く輝いている。
「……ユリウス伯爵ですな?」
「左様にございます。カタコン上級大将殿。お初にお目にかかります」
「挨拶など不要じゃ」
老将は鼻を鳴らす。
「どうせ降伏勧告であろう? ご苦労なことだ」
「はい」
ユリウスは一歩進み、静かに言葉を選んだ。
「もはや帝国政府は偽帝を立て、その正当性も失われております。忠義を捧げる対象ではないのではありませんか?」
「戯言を……!」
カタコンは眉を吊り上げ、怒気を露わにする。
「ワシは六十年、帝国の禄を食んできた。今さら節操なき振る舞いなど出来るものか!!」
張り詰めた沈黙。
その中で、ユリウスは一礼した。
「……では、お人払いを」
「ん? 何じゃ?」
「少々、内密の話を……」
老将はしばし考え、やがて手を振った。
「皆、下がれ」
カタコンの幕僚たちが退室すると、部屋には二人きりとなる。
「……で、なんじゃな?」
カタコンは口の端を歪める。
「ワシを殺しても、要塞は落ちぬぞ」
その言葉に、ユリウスは微動だにしなかった。
「カタコン閣下。もし私が、正当なる皇帝を即位させたいと申したら――如何なさいます?」
「……うん?」
「内密ですが、私はそのために動いております。どうか、そのためにご協力いただけないかと」
老将は、しばし黙り込んだ。
やがて、重く息を吐く。
「……良い話じゃ。だが、ワシは多くの兵を死なせた。その責任を、どうしても免れぬ」
その瞬間、ユリウスは懐から一通の証書を取り出した。
「もし私にお味方いただけるなら――兵士たちの安全はもちろん、死傷兵の家族への補償も、我がアストレア伯爵家が全責任を負います」
誠意ある補償額面に、老将の目が見開かれた。
「……なんと……それほどの条件を出されて、降伏せぬなど、将としてあり得ぬ……」
「では」
ユリウスは、静かに問いかける。
「お味方いただけますかな?」
カタコンは、深く頷いた。
「うむ。朽ちかけた老骨ではあるが――よろしく頼む」
こうして、グラストヘイム要塞は降伏した。
そして、要塞守備隊の兵たちの多くは、帝都へ戻ることを望まなかった。
彼らは老将と共に、アストレア伯爵家の私兵として、その傘下に入る道を選んだのであった。




