夏のような冬と秋のような春
暖かい冬至を終え、大みそかになっても、トワは目覚めなかった。
例年どおりでは、あるのだが……。
どうやら「今年度の冬至の前に起きる可能性もゼロではない」というアルミラの言葉は外れたようだ。が、彼女の別の予想のほうは的中した。
冬に海開きが始まったのだ。
まるで北半球と南半球が入れ替わったかのような状況である。反対に、南半球に位置する国々は……現在、寒い季節を過ごしているらしい。
おまけに一月に入り、台風がいくつか発生し、日本にも上陸した。
セミが鳴きだし、蚊が飛び交い、汗が流れ、もう完全に七月の空気である。
……と思っていたら、すぐに二月。より暑くなり、台風も増えた。
「玉山せんぱい、ちょっと面白いものを見に行きませんかっ」
「今さら『ちょっと』や『そっと』のことでは驚いたりしねーけど」
「目的地はお楽しみです。わたしについてきてください!」
篝屋にさそわれるまま、俺は自転車で少し遠出した。
暗い昼に外出したので、足もとに明るい影ができる。前方を走る篝屋の自転車もそうだが、ペダルをこぐたびに車輪内部の放射状のスポークが回転し、光の模様をくるくると変化させる。
道のところどころに設置された屋根の下を通り抜けていく。おかげで、真っ暗闇に飲まれることはない。
また、自転車には新型のライトが付いている。
従来のライトをそのまま使っても闇を飛ばすことしかできない。
対して最近外国で開発された、凹面鏡の集光を利用したライトであれば、横に光を放てる。これを取り付けることが、夜間もとい昼間走行における努力義務となっている。
(今年に入って、政府が未成年者等に無償配布した)
「着きました、せんぱい。ヒマワリ畑です」
近くの駐輪場に自転車をとめる。カゴにヘルメットを入れ、俺は、そのヒマワリ畑の広がる、くぼ地の近くに歩いていった。
広さは、一ヘクタールほど。見渡すと、黄色いヒマワリが大量に咲いていた。
果たして俺は驚いてしまった……。
もちろん、ヒマワリが満開なことには「まあ四季が入れ替わったんだから、こうなるわ」としか思わない。
驚いたのは、花の向きだ。
「全部……真上を向いている……!」
どのヒマワリの大輪も茎に対してほぼ直角に交わっている。それぞれの花が、真下に光を発生させる。より背の低いひまわりは、より背の高いヒマワリのほうに、少しかたむく……。
「……太陽が沈んだあとは周囲のすべてが明るくなるから、光の空間の多い真上に花を向けているってわけか。なんか大きいタンポポにも見えるな」
「面白がっていただけましたか」
背後から、セーラー服の……明るいシルエットが伸びてくる……。
篝屋の光と重なって少し輪郭を失った、自分の光を目に入れて俺は答える。
「確かに、ちょっと心臓が、はねた。……ホラーだぜ」
三月からは、秋の季候。
当然、桜は咲かない。花粉症も、はやっていない。
四月から、だんだん涼しくなってくる。
(アルミラが世界の明暗を入れ替えてから、一年が経過したのか)
エイプリルフールの前半では……「きょうも世界は戻りません」というフレーズがネットにおいて広がった。
午前零時以降は、「今の状況は全部ウソだったんじゃないか」と書き込む人が相次いだ。
途中、「一日も早く世界が戻ってほしい」という主張と「世界はこのままのほうがいい」という主張とがぶつかり、さまざまな分野の有名人を巻き込んだ一大論争に発展した。
議論は平行線に終わった。
どちらが正しいか……そんな答えは得られなかった。
五月も、やはり例年の十一月としか思えない気温。
去年の秋にとれなかった野菜や果物、農作物は、この「春」に無事、収穫と相成った。
季節が六か月ずれただけ。みんなは今の生活に適応してきた……。
いっそのこと、カレンダーを半年くり上げてはどうかという案も出てきた。
が、現状、その案に関しては反対意見のほうが多い。
「今の世界に順応しすぎてしまったら、もう戻れなくなるかもしれません。また……みんな、『ひょっとしたら、あしたにでもすべてが元どおりになるんじゃないか』と期待しています。こよみの調整をおこなわないのは、人類にできる、世界に対する最後の抵抗だと思います」
篝屋テルハは、そう分析した。
「昼夜の呼称を入れ替えるという案が立ち消えになったのも、同じ理由ではないかと」
そういえば、去年の八月あたりに、そんな話もあったか……。
まだみんなは、秋の季候であるにもかかわらず三月から五月を春と呼ぶ。暗い昼と明るい夜に、あまんじている。
ただし、明るい夜を夜と呼び続けるのは、いまだに星が夜空にひっかかっているからだと思う。
光が闇に変わっても、黒が透明に奪われても……。
ずっと星空がきれいであり続けたため、対する瞳が惑ってしまったのだ。




