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今年の大阪新町での遊郭対抗戦は天災の影響でちょっと開催できなさそうだ

 さて、昨年の遊郭対抗戦は伊勢で行い、今年は大阪新町でやることになっていた。


 しかし、今年寛文2年の5月1日(1662年の6月16日)に起きた寛文近江・若狭地震、または琵琶湖西岸地震が発生し、これの影響で開催時期は先送りされていた。


「俺はよく覚えてなかったが、結構やばい地震だったらしいな」


 これは近江若狭などの近畿地方北部を中心に発生した大地震で、午前9時から11時ごろにマグニチュード7.0程度の地震、午前11時から午後1時ごろにM7.5程度の地震の計2回の大地震が連続して発生し、これは場所によっては震度7に達し、周辺の広範囲な場所で5程度の揺れであったと言われ、京や大阪でも建物が倒壊したりするなどで小さくない被害が出ている。


 若狭から近江にかけては活断層が多数存在しているので結構、大地震の可能性があるのだな。


 その割には若狭湾には原発がいっぱいあったはずだが。


 それはともかく、運が悪いことに、この日は大雨であったが、二条城の御番衆小屋などが悉く破損、町屋が千軒余潰れ、死人200人余、伏見城も各所で破損したとされる。


 近江の佐和山や朽木谷で土砂崩れが起きて町が飲み込まれたりして、とくに朽木谷では朽木宣綱くつきのぶつなが圧死したと記録にある。


 更に被害の大きかったのは葛川谷で、大規模な土砂崩れなどにより約560人もの死者が出たうえに、崩壊した土砂が安曇川をせき止めて天然ダムを形成し、後にこのダムが決壊して下流にさらなる洪水被害をもたらした。


 この地震は大津、今津などの港町、膳所、彦根などの城下町にも大きな打撃を与えた、合わせて死者約1000人、倒壊家屋は約5000軒ほどであったと言われている。


 京都では愛宕神社や岩清水八幡宮が大きく破損、知恩院や祇園も破損、大阪でも大坂城が破損するほどの被害が出ているが、この地震の影響は近江、若狭、山城、大和、河内、和泉、摂津といった畿内だけでなく、丹波、美濃、伊勢、駿河、三河、信濃までの広範囲におよび、江戸でもちょこっと揺れた。


 もっとも江戸は小さな地震はよくあるので、大した騒ぎにはなってないが。


「やっぱ今年の開催は無理かな」


 特に若狭湾では歴史的な被害が残る津波の影響もあったようだ。


 そして秋には四国近辺は大干ばつに見舞われ、田はひび割れ、稲は枯死して収穫はゼロの場所もあったらしい。


 江戸では6月に日光の大谷川と稲荷川で大洪水が発生し、300軒余の人家を押し流し、死者300人余とされている。


 さらに9月に寛文日向灘地震が発生、これはM7.6と有史以来最大規模の日向灘での地震で、死者200名、家屋全壊3,800戸の甚大な被害があったと記録されているが日向や土佐沿岸に甚大な被害をもたらし、この影響は長崎にも出たようだ。


 もっとも俺は今年は忙しすぎておそらく俺自身が大阪まで行くのは無理だったから、行くとしたら三浦屋に任せるつもりだったけど。


 大阪新町もついてねえがこればかりはしょうがない。


 歴史にはっきり残るほどの大地震などがあちこちきたら、流石に予定通りとはいかねえからな。


「それにしても京や大阪なんかの遊女たちは大丈夫かね?」


 なんとか来年はちゃんと開催したいもんだ。

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