鈴蘭と茉莉花の身請けの日
前作の外伝で書いたものを加筆修正したお話です。
鈴蘭と茉莉花も権兵衛親方に身請けされ遊女を引退しました。
さて、三河屋の専属職人になり俺の無茶ぶりに答え続けたかいもあり、権兵衛親方は鈴蘭と茉莉花をようやく身請けできるだけの金である600両、(およそ6000万円)を貯めることが出来た。
「ようやく、二人を身請けできるようになったか」
「ああ、親方にはずいぶん頑張ってもらったからな。
まあこれからも頑張ってもらうんだが」
「まあ二人のためにも頑張るしかねえよな」
そして鈴蘭と茉莉花の姉妹は、遊女商売を続けながら、桜と同じように花嫁修業を地道にしていた。
ただ、遊女としての華や芸事については、天性のセンスの差なのか妹の茉莉花のほうが上だったが、地に足を付けた花嫁修行については、今まで妹の面倒を見てきたこともあって、鈴蘭のほうがやはりまともな感覚を持ってるようだ。
「買い物をするときは、ちゃんと質を吟味して必要な物をちゃんとした値段で買わないとダメだよ」
鈴蘭が茉莉花にそう言っている。
「そうかな~?」
茉莉花にはいまいちわかっていないようだ。
普通の遊女は、遊郭にいる間は手紙などで客を引きつける技術や芸事の華やかさをいかにして磨くかにかかりきりで、炊事洗濯などの家事を覚える機会はないのだから、まだマシなはずなのだが、それでも金銭感覚の狂いを正すのは難しい。
特に小さい頃から遊郭に入ればなおさらだ。
「金については、鈴蘭が全部面倒見たほうが良さそうだな」
鈴蘭が苦笑しながら言う。
「そうでやすなぁ」
21世紀の風俗嬢でも月に60万円くらい稼いでいて、ある程度金をためて風俗を引退した後に昼職で働いては見たものの、事務職では月給が20万円以下だったりして生活ができないと、結局風俗に戻って来ることも少なくない。
自分が着る服を買うことすらないということは、俺の見世の遊女ではないのだが、高い服を毎日取り替えて着ないといけないような格子太夫に、金銭感覚を求めるのも難しいのではあるんだがな。
年季開けした桜と一緒になった清兵衛のように、遊女を本妻にする男もいないわけではないが、大見世の格子太夫のような遊女は基本的には妾枠だ。
いままで客にチヤホヤされていた遊女が、商売人の妻になって客におべっかを使うのも難しいものがあるからな。
もちろん遊女達は読み書きソロバンに加えて、手紙の書き方を遊郭からしっかり教え込まれたので、江戸からちょっと離れた田舎の商人達は小見世や切見世の遊女を女房にして、一緒に働くものも少なくはないんだけど、榊原高尾のようにきちんと側室として大名の領地経営などに関われた遊女は他にはいなかったりもする。
まあ、権兵衛親方はすでに立派な工場長だし、実際の家事は女中や下女を雇ってやらせることも十分できるんだろう、家の中のことは正妻が全て管理し他の家とのやり取りなどもせねばならない。
そのあたりは鈴蘭がやって、茉莉花は愛想を振りまいていたほうが面倒事は起きない気がする。
やがて、身請け、つまり二人が遊女をやめる日が訪れた。
桜のような年季明けや藤乃のような引退と違い、身請けで吉原を離れる際には盛大に宴席を行い、遊女も派手に着飾って身請けを周りに触れて回るのだ。
もっとも、今回の身請けはどこぞの大名様や大商人ではないからそこまで派手ではないけどな。
「楼主様、今まで大変お世話になりやした、わっちらを救っていただいたご恩は一生忘れやせん」
「お世話になりやした」
三河屋はもちろん関係する見世や見世の遊女や下女・従業員などに赤飯と鯛飯を振る舞い、揚屋で権兵衛親分と鈴蘭・茉莉花で盛大に宴会を開いてから花嫁道中になる。
「鈴蘭、茉莉花、おめでとう」
「あい、楼主様ごきげんよう」
「ごきげんよう」
鈴蘭と茉莉花は犬張子の置かれた輿に乗り、花嫁行列で権兵衛親方の家と別邸に向かう。
嫁入り道具として文房具・化粧道具・料理道具・裁縫道具や衣装を箪笥や長持にいれて運ぶ。
権兵衛親分は家の門前に篝火を焚きながら、桜と清兵衛が男女が餅をついている。
臼に入った柔らかい餅に杵を突き立ててこねる餅つきはその見立てから性行為を意味しているらしい。
嫁ののった輿ごと家の祝言の間の中にかつぎ入れられると、いよいよ祝言になる。
場所は床の間付きの座敷で高砂の尉と姥の掛け軸を床の間に掛け、鶴亀の置物を飾った島台を置き、鈴蘭・権兵衛親分と三三九度の杯事の立会人として俺と茉莉花が立ち会い行うのだ。
三々九度の盃を嫁が先に婿が後にかわし、その後色直しとなって婿から嫁へ色直しの衣裳を贈り、鈴蘭は白装束を脱いで赤地の豪華な刺しゅうの衣裳などと着替えた。
お色直しが終わればつきたてのもちを使った雑煮が出て酒つまみで宴を行う。
「鈴蘭、茉莉花、今までいろいろあったと思うが幸せになってくれな」
鈴蘭が半泣きで俺の声に答えた。
「あい、わっちらは幸せです」
茉莉花も笑顔で答えた。
「わっちもお姉ちゃんと一緒にいられて幸せですや」
そして俺は権兵衛親方に言う。
「これからもよろしくな、二人のためにも」
権兵衛親方は深くうなずいた。
「ああ、わかってるぜ」
鈴蘭と茉莉花が引退するのは三河屋としては痛いとも言えるが、いずれは必ず引退するのだし彼女たちが早く幸せに暮らせるならそれに越したことはないよな。