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私が書き終えた、大好きな悪役令嬢の話  作者: 夜凪 蒼


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第0話「唯一のよりどころ」

※本作には、ネグレクト(育児放棄)・虐待・生死に関わる描写が含まれます。つらい状況にある方は、無理のない範囲でお読みください。



『断罪の日、アリエスは笑っていた。』


目を閉じると、いつでもその一行が浮かぶ。私の一番好きなお話の、最初の一行。


天井のシミを数えるのが、夜の習慣だった。


14個。いつ数えても14個。それ以上でも以下でもない。この部屋に変わるものは何もない。


窓の外で蝉が遠くで鳴いている。夜なのに暑い。扇風機は先月から動かなくなって、窓を開けても風がこない。隣の部屋も、台所も、しんとしている。


お母さんは帰ってきていない。今日も。


枕元のスマホが光った。


「今日も一日おつかれさま。明日もがんばる」


お母さんのSNS。なんでか私のスマホに通知がくる。消し方がわからないから、そのまま。


100人以上がいいねを押してる。「頑張るシングルマザーの鑑」ってコメントがついている。


……ここに帰ってきてないのに。


見なきゃよかった。でも見てしまう。この通知がくるとき、お母さんがどこかにいるってわかるから。


今日も夕飯はなかった。


そういえば昨日もなかった。前に食べたのはいつだっけ。学校があるときは給食があったけど、夏休みだから関係ない。


お腹が空いているのかどうかも、最近はよくわからなくなってきた。


……なんで私は生まれてきたんだろう。


前にお母さんに聞いたことがある。小学二年生のとき。返ってきたのは「うるさい」の一言だけだった。


お父さんがいた頃は、ごはんの匂いがする部屋だった気がする。テーブルに私のお皿があって、「いただきます」って声がした。それくらいしか覚えてないけど。お父さんはいつの間にかいなくなった。


今はただ、ここにいるだけ。

14個のシミと、薄い布団と、充電器に繋がれたスマホだけの部屋に。


画面を開く。


いつものアプリ。いつもの小説。スクロールの一番上に、あの言葉がある。


そこから始まるお話を、私はもう何回読んだかわからない。最初に断罪の日のアリエスを見せて、それから時間は前に戻る。あの人があの日までどうやって歩いていくのかを、ずっとついていく。それでも飽きない。


アリエスが好きだった。


なんでかはうまく言えない。冷たいのに、ほんとは冷たくないところとか。みんなに嫌われても折れないところとか。私にはそういうのが全然ないから、読んでると少しだけ大丈夫な気持ちになれる。


「どうしてこんなに強いのかな」


声に出すつもりはなかった。でも唇が動いていた。


画面の中のアリエスは答えない。当たり前だ。アリエスはお話の中の人で、私はここにいる。天井に14個のシミがある、何もない部屋に。


そして、いつも同じところでスクロールが止まる。


このお話は途中で止まっているから。


作者さんのコメントが一行。


「ここから先、うまく書けなくて止まっています。

 アリエスのこと、忘れないでいてください」


読むたびに胸がきゅっとなる。


忘れないよ。忘れるわけない。


アリエスだけだった。何度も読み返して、少しだけ大丈夫になれるのは。


目を閉じる。


まぶたの裏にまだ画面の白い光が残っている。


体が重い。指先が冷たい。夏なのに冷たい。お腹の奥がずっと鈍く痛んでいたのが、それも遠くなっていく。


なにか変だ、と思った。


でも体が動かない。目を開けようとしたけど、開かない。


怖い。


怖い、と思ったのに、声が出ない。


そのまま、なにもわからなくなった。



気づいたとき、私は石造りの廊下に立っていた。


次話:「この子のこと、しっている」

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