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今夜は2話連投します。1/2
「──……ねぇ、ルドラン」
「なんだい、僕の格好いいお姫様?」
「……っ! だから、そういうこと言うのルドランだけだから! ──じゃなくて! 仮にも貴族のお嬢様にあんなこと言っちゃって私、不敬罪で捕まらないかしら……それに、職場に何かされたら──」
今更、声が震える。
後悔はしていない。
不敬罪で罰せられたとしても、自分がしたことが自分の身に返ってきただけだ。
でも、もしもジュリアが言ったように、役場さえどうにかできるような力があの男爵にあったとしたら──娘のお願いに甘い顔をする父親だったとしたら? あの言葉通り、役場がつぶされてみんなが職を失い、笑顔を失ったとしたら──それでもタリアは後悔しないと言いきれるだろうか。
「大丈夫。役場は国の持ち物だから男爵ごときがどうこうできるものじゃないよ。それに、あの女が言っていたような噂や不敬罪に関しても心配はないよ、これっぽちもね」
ルドランはぎゅっと、震えるタリアの肩を抱き寄せた。
「これっぽちも?」
「うん。これっぽちも」
ルドランの言葉は断定的で少し不思議になる。
だが、肩の手は温かくて、優しい。
タリアを勇気づけるためだけに言っているのではない。噂や不敬罪に関して心配ないというのは、彼の本心からの言葉なのだろう。
そして、タリアを見つめるルドランの目に浮かんでいるのは、紛れもない愛情だった。
たとえどんなことになろうと、きっとこの人は側にいてくれる──そう信じられる目。
タリアはやっと少し肩の力を抜いた。
「……熨斗つけてあげるはちょっと言い過ぎだったかしら」
「ちっとも。それに、あの男はまだ懲りてないと思うよ。さっきも絶対何か言ってくると思ってたんだけど、意外と大人しくしてたな、あいつ──」
そういえばリュシーは、ほぼ一言も喋っていなかった。
始終不機嫌そうにタリアたちを睨みつけていただけだ。
貴族の前だから我慢していた?
対面を気にするリュシー。その彼ならば有り得ることだが……それにしても、浮気疑惑をかけられて否定もしないのは妙な感じがする。彼は、クズ男だけど馬鹿ではない。否定しなければ自分の身が危うくなることくらいはわかっているはずだ。
以前の彼ならばそれに加えてタリアに嫌味のひとつでも言っていたはず。
ルドランの見た目が変わったことも、要因の一つとしてあげられるかもしれない、とタリアは思った。
前髪をあげたルドランは、タリア的にはリュシー以上のイケメンに見える。リュシーは浮気を正当化するようなクズ男だが、審美眼においては優れている。だから、リュシーがそれをわからないはずがないとタリアは思う。
彼は商家の出だ。三男だから商会を継ぐことはないはずだが、商人気質は確実に受け継がれていて、明らかに分が悪い賭けには乗らない。
ジュリアが普段のタリアの見目を貶したように、リュシーも彼の見目を貶すつもりだったということは十分あり得る。だが現れたルドランは自分以上の好青年だった。当てが外れて憮然としているようにも見えた。
だが、本当にそうなのだろうか。
何だかリュシーの沈黙が不気味だった。
「……ルドラン」
「ん?」
「お手洗いって、どこかわかる?」
色々な不安を紛らわそうとしてワインを口にしたが、ちょっとばかり飲みすぎたらしい。
それに、ジュリアたちからは離れたが、さっき騒ぎを起こしたタリアたちは依然として注目を浴びていた。つかの間でもいいから、どこか人目のない所へ行きたかった。
「お手洗い? 会場にいるメイドに聞けばわかると思うけど……一緒に行こうか?」
そうだった。さすがにルドランも初めて来る会場のお手洗いまで把握してるわけがない。
「ううん、大丈夫。ちょっと行ってくるね」
「……やっぱり心配だから、会場の出口までついて行ってそこで待ってるよ」
「うん、ありがとう」
「はぁぁぁぁ……」
タリアはため息をついた。
「もう、いっそのことパーティーが終わるまでここにいたい……いちゃダメかなぁ……」
屋敷の中をバタバタとしていたメイドさんを捕まえて、お手洗いの場所を聞いた。ついでに化粧直しをしたいのだと言えば、何と化粧室とお手洗いがついた個室を案内された。さすが貴族だ、ただの化粧室がタリアの自室より広い。
タリアは今、休憩用に用意された長椅子に腰をかけていた。
「頭もドレスも重いし──……一番気が重い!」
さっきの一件も多分に影響しているが、周りの視線が痛くて重い。精神的に限界だ。
ジュリアが「平民女」と連呼していたから、タリアが平民であるということは、周囲に認知されたと言ってもいいだろう。その話が主催者である男爵の耳に届くのも時間の問題だ。そうなればきっと、タリアたちは会場から追い出されるに違いない。
しかも、会場の視線を集めているのは、何もその件だけではなかった。
「あれは……あの眼は……まさに肉食獣!」
会場入りした時から、ルドランは目をつけられていた。
ジュリアとのやり取りでタリアが平民だとわかり、貴族のお嬢様方のやる気にますます火がついたらしい。
平民でも(実際は貴族だが)これほどのイケメンならば──ジュリアの言ではないが──側に侍らしたり遊び相手にするのにちょうどいいと思われているのだろう。
貴族のお嬢様に憧れたこともあったが、憧れと現実の乖離に戸惑っている。
お嬢様というものは、綺麗なドレスを着て美味しいものを食べて、穏やかに笑って暮らしているのだとばかり思っていた。
しかし、パーティーに参加してジュリアや他の貴族の女性を見るに、その考えを改めざるを得なかった。
彼女たちがルドランを見る目付きは、かつて役場の受付に顔のいい男が現れた時の同僚たちのそれにそっくりだ。あの時はある一人に頼み込まれて受付を代わったが、熾烈な争いに巻き込まれなくてよかったと、心底思ったものだ。
その一点においては平民も貴族もないのだな、と変に感心してしまう。
イケメンな素顔を晒して、色気をだだ漏れさせているルドランは目立つ。
タリアをエスコートしているとはいえ、現状夫婦でもなければ婚約者でもないのだ。もし、ルドランが綺麗な令嬢にダンスに誘われたとしても、断る理由はない。その時、タリアはどうするだろうか。笑顔で彼とその令嬢を送り出すのだろうか。
「やっぱりそれは嫌だなぁ……」
このモヤモヤした気持ちは独占欲だろうか、執着心だろうか、それとも──。
(これは、ヤキモチ──なのかな?)
自分の気持ちが、自分でもわからない。
このモヤモヤが、自分のものを取られたくないという独占欲からくるものならば、子どもと一緒ではないか。
好きかと問われれば好き、なのだろう。しかし、タリアのその『好き』は、はたしてルドランのそれと同じ好きだろうか?
考えれば考えるほど、よくわからなくなる。
「──でも、そろそろ戻らなきゃね」
タリアの相方は今頃、なかなか帰ってこない彼女を心配しているだろう。そんな彼の様子を思い浮かべて、彼女は苦笑した。
会場であのギラギラとした視線を浴びているだけでも、体力がガンガンに削られていく。できることならば戻りたくはないが、彼を連れてきたのはタリアだ。
タリアには、彼の身の安全を守る義務がある。
タリアが側にいないこの機会を、肉食獣たちが逃すはずもなく、今頃はお嬢様方に囲まれているに違いない。
「あぁ……戻りたくない……肉食獣、ほんと怖い……」
──コンコン。
タリアが椅子から腰を浮かせたその時、扉をノックする音が聞こえた。
「あ、はい! すみません、今出ます!」
そうだ。すっかり化粧室を占領してしまっていたが、他にも使いたい人がいるだろう。
そう思ってタリアが、扉を開けて一言謝ろうとしたら──。
「お客様、大丈夫ですか? ご気分が優れませんか?」
心配そうな顔を覗かせたのは、先ほどここまでの案内を頼んだメイドだった。
「あ、だ、大丈夫です!」
「顔色が悪いようでしたので、様子を見てくるようにと言付かりまして……口直しにお水をお持ちしましたので、よろしければどうぞ」
さっと差し出された銀の盆の上に、水の入ったグラスが置かれていた。
「すみません、助かります」
タリアはお礼を言って、グラスを手に取った。
その瞬間、ふわっと香ったのは柑橘系の香り。
(レモン水かしら?)
ただの水にも香りがついているなんて、貴族っぽい。タリアは変な感心をしながら水を一口飲んだ。。
「ひっ! 何これ、にがい!」
思わず顔をしかめる。
「えっ……も、申し訳ございません! 水だと言われお持ちしたのですが、何か手違いがあったかもしれません。すぐに新しい水をお持ちします!」
メイドの顔がさぁっと青ざめる。
「あー、んー……少し喉がイガイガするけど大丈夫。多分大丈夫ですよ。お気になさらず」
すみません、すみませんと、エンドレスで頭を下げている女性の姿を見て、決まりが悪くなる。そもそも貴族じゃない自分は、こんな風に頭を下げられる身分ではないのだし。
「そろそろ会場に戻ろうと思っていたので、声をかけて下さって助かりました」
「本当にすみませんでした……会場までご案内しましょうか?」
「だ、だいじょうぶ。ぜんっぜんっだいじょうぶです」
おかしい。
イガイガするだけではなく、何だか喉に力が入らない。舌ももつれるのだ。
「あ゛ー……」
「お客様、やっぱり顔色悪いです! 誰か呼んできます!」
焦ったメイドがバタバタと化粧室から出て行くのが聞こえた。
「はっ……はっ……」
声が出ないばかりか、そのうち呼吸すらしづらくなってきて、焦るタリア。
立ち上がらなければと思っても、身体中が痺れて力が入らない。腕どころか、指の一本も持ち上がらない。
(息がくるし……何これ……どういう状態?)
浅い呼吸を繰り返すタリア。
突然身体を襲った症状に動揺するが、思考は自由にできるようだ。
(まず、落ち着いて……)
痺れのせいで自由に身体が動かせないだけで、幸いまだ命の危険は感じない。
恐らく、というか十中八九メイドが持ってきたあの水が原因だろう。故意か事故かわからないが、あの中に何か良くないものが混ざっていたのだ。
呼吸がしづらいのも、混入した何らかの成分もしくは薬物によるのだろう。
しばらく浅い呼吸を繰り返していたタリアは、やがて細切れに空気を吸い込み始めた。
(たくさん吸って……吐いて……)
昔、祖父が言っていたのだ。人間の身体にはある程度の毒ならば、浄化できる力があるのだと。ただ、普段はその力の大部分が眠っているからできないだけで。
タリアの祖父は戦場にいた経験があるらしく、毒矢を受けた時に対処するあれこれを話してもらったことがある。毒を盛る予定も盛られる予定もなかったタリアはその時、話半分に聞いていたのだが。
(お腹の辺りに〝気〟を溜めるんだっけ……)
藁をもすがる思いで目を閉じて集中すると、お腹の辺りに熱を持っている場所が感じられた。多分そこが祖父の言っていた『毒を浄化する力の源』なのだろう。全身の血液をなるべくそこへ送り込むように、ゆっくりとした呼吸を意識して繰り返す。
──ガチャ。
タリアが目を閉じてその動作を繰り返していると、入口の方でドアを開ける音がした。
走り去ったあのメイドが医者でも呼んできたのだろうか?
「タリア」
(──ルドラン……? ううん、この声は……)
──カチャッ。
鍵を閉める音──?
「お前が悪いんだからな」
(ああ、この声はリュシー──……)
今や鉛より重い、目蓋を押し開ける。
果たしてそこに立っていたのはリュシーだった。
次話完結です!




