10
ちょっと長めです。上手く切れなかった……。
馬車を降りたタリアの目の前いっぱいに広がったのは、ででんと構えた大きな邸宅だった。
「えっ……何ここ……どこ?!」
ここまで大きな建物は街中で見たことがない。ということは、きっとここは郊外だろう。
実際に行ったことはないが、郊外には貴族用の高級住宅地があると聞いたことがある。
「お嬢様、こちらへどうぞ」
呆然としているタリアは、そのまま大人しく手を引かれて建物の中へ足を踏み入れた。
茫然自失としていたため、邸宅の中に入ってからの記憶はやや曖昧だ。
タリアは、大きな玄関扉から中に入るや否や、にこやかな仮面を貼り付けたメイドたちに囲まれた。
逃げ出さないようになのか、両側から腕を取られてどこかの豪華な部屋に連れてこられた。
そして、あっという間に裸に剥かれて、浴室へ放り込まれた。浴室へはメイドたちも付き添い、そこでも隅々まで磨かれた。髪も身体もいい香りの泡でふわふわと洗われ、全身くまなく花の香りのオイルが塗り込められ、ツヤツヤのピカピカだ。
今までの人生で一度でもこんなにツヤツヤのピカピカになったことがあっただろうか、いやない。
何もかもが想定外の出来事に、もはや脳が考えることを放棄していた。されるがままだ。
「……ウェイゴールド……ウェイゴールド……やっぱり聞き覚えないなぁ……もしかして人違いじゃないのかな?」
執事(仮)の言葉を反芻するタリア。
髪はいい匂いの香油でしっとりしている。
湯上り後、ふわふわのタオルで水分を拭き取られ、肌に触れただけで上質とわかる夜着を引っ被せられた。
メイドたちは散々タリアを磨き上げ終えると、大きなベッドに置き去りにして部屋を辞して行った。
タリアはそのまま豪奢なベッドに横になって考えた。
(布団がふかふかだ……)
いや、そうじゃない。そこじゃない。
枕元では香のようなものが炊かれていて、香りを吸い込むと何だか気持ちが落ち着く気がする。
(いい匂い……)
「じゃなくて!」
あの執事(仮)は「タリア様ですか?」と声をかけてきた。明らかにこちらを知っているかのようだった、タリアには覚えがないのに。
メイドたちは時々タリアの意志を確認するだけで、ほとんど口をきかなかった。しかも、慌ただしく動き回る彼女達に、事情を尋ねる暇がなかった。
執事(仮)の姿は、ここへ連れられてきた時以来見ていない。
ベッドの上をゴロゴロと転がりながら、タリアは更に考える。
部屋の奥に設置されているこのベッドは一人で寝るには大き過ぎる気がする。
更に、よく磨きあげられた身体、用意された薄めの夜着、これらが意味するところは──。
(まさか……そういうお仕事?!)
どこかで知らない間に、何故か偉い身分の人の目に止まって、愛妾になるために連れてこられたとかだろうか。
(そんな──……)
タリアはその想像に震える。
何の心の準備もない。
きっとあの扉から、脂ぎったウェイゴールド何某と名乗る中年男が入ってきて「ぐひひ……かわゆいのぉ」とかやるのだろう。
──やるのだろうか?
やらないにしても、愛人とかそんなのは嫌だ。
恋人に振られた(振った)とはいえ、タリアだって人並みに恋愛もしたいし結婚願望もある。
長年恋人だったリュシーの愛人ですら考えられないのに、知らない男の愛人なんて真っ平ごめんだった。
(よし、逃げよう。逃げなきゃ…………)
そう思いながらも、身体は重くて動かない。やがて瞼が降りてくる。
(布団がふかふか過ぎるのがいけないのよ。寝ちゃダメだってば……扉がダメなら窓から……)
すやぁ……。
そうしていつの間にか寝落ちていた。
「お嬢様、朝ですよ」
聞きなれない声がして、タリアはガバッと身体を起こした。
(自分の部屋じゃない! そして──誰……?)
にこやかにしかし有無を言わさずに掛布団を剥いでくるのは、メイドさんだった。この有無を言わさないところが昨日の執事(仮)とものすごくそっくりだ。
その瞬間に思い出した。あの、人畜無害そうな執事の皮を被った男にここまで連れてこられたのだ。
そしてタリアの抵抗も虚しく、掛け布団は全て剥ぎ取られた。
(……あぁ、お布団が──!)
とても言葉では言い表せないほどふかふかな布団だった。ふかふか布団さん、夢のような寝心地をありがとう。何だか身体も軽い気がする。帰ったら、自室の布団もちょっといいのに買い換えよう。
しかし、今考えるべきことはそれじゃない。
昨日、訳がわからないままこの邸宅に連れてこられて──逃げようと思ってたのに、どうやらタリアはふかふか布団の魔力(?)に負けて、うっかり眠ってしまったらしい。
(よく考えたら、こんな状況で熟睡しちゃったとか……女としてどうなの?! 貞操の危機より眠気が勝つとかホントありえないんだから……)
幸い、昨夜は何事もなかったようだった。
中年男がぐへへと言いながら入ってきた形跡はない。タリアは安堵した。
ぐぅ~……。
ほっとしたらお腹が鳴った。
(ぎゃあああ──恥ずかしいっ!)
気まずくて顔を覆うタリア。
でも、聞いて欲しい。
タリアが悪いわけじゃないのだ。昨晩は仕事後すぐに拉致されたから、晩御飯を食べていないのだ。悪いのはどう考えても、人の良さそうな顔をして人の話を聞かない、ゴーイングマイウェーなあの執事だ。
タリアがなおも顔を覆っていると、メイドさんは微笑みながら告げた。
「お食事のご用意は済んでおりますが──こちらでお召し上がりになりますか? それとも食堂の方をご利用でしょうか? 若様は食堂でお嬢様をお待ちですが……」
「ふぁい?!」
タリアは思わず手を解いて聞き返した。
「若様……ですか?」
「はい」
「ひょっとして私をここへ呼んだ人、ですか?」
「はい。左様でございますが……?」
「行きます、食堂!」
「では、お召し物を用意致しますので、先に着替えましょう」
「はいっ!」
ぐぅ~……。
力を込めて返事をしたらまたお腹が鳴って、赤面しきりだった。こんな時くらい自重しろ、腹の虫──。
案内された食堂をドキドキしながら覗いてみると、何と食卓には見知った顔が座っていた。
「ル……ルドラン?!」
「おはよう、タリア。よく眠れた?」
「もしかして、私をここへ連れてきたのはルドランだったの……?」
タリアは、首を捻りながら訊ねた。
「え……そうだけど、パーティーの前日に迎えに行くって言ってなかったっけ?」
「何も……何も聞いてないわよっ!」
安心したら足の力が抜けてへなへなと座り込んでしまった。
「えっ……タリアどうしたんだ?!」
その様子に驚いたらしいルドランは、ガタンと席を立つとタリアの側に駆け寄ってきた。
「ごめんなさい、色々ホッとしたら力が抜けちゃって──」
差し出された手に掴まりながら、タリアは立ち上がる。そして、昨日の出来事を手短に説明した──少しだけ非難を込めて。
「そうか……僕が伝えるの忘れてたんだな……すまない、突然連れてこられてびっくりしただろう?」
「まぁ……びっくりはしたけど。あなたでよかったわ」
「中年親父じゃなくてがっかりした?」
「……ばか」
「あはは、本当にごめん」
「でも、ルドラン。あなた一週間以上も職場に来ないで、一体どうしてたの?」
タリアは、疲労の色濃いルドランの顔を見上げた。
ボサボサの頭はいつものことなのかもしれないが、やや頬がこけたような気がする。
それに、さっきはよくわからなかったが、近づいて見ると服もヨレっとしている。
「あぁ、ごめんね。さっき帰ってきたばかりなんだ。ちょっと臭うかも……」
「えっ……」
「冗談だよ。シャワーは浴びていたけど風呂に入る時間があんまりなくてさ。まぁとりあえず飯にしようか。座って、タリア」
タリアはルドランに手を引かれて食卓の席についた。
「もしかして、僕のこと心配してくれてた?」
「え……えっと、同僚を心配するのは当然じゃない?」
「ちょっと長めに休暇申請出したつもりだったんだけど、思ったより長引いちゃったんだ。心配かけてごめんね?」
「──っ! 思ったより元気そうね」
首を傾げて覗き込んでくるルドランから、思わず目を逸らした。
「──とても……心配したわ」
「嬉しいな」
ぽつりと零すと、ルドランは本当に嬉しそうに言って笑った。
そして、タリアは口に出して初めて自覚した。
そうか、自分はこの人のことが気になっていただけでなく、心配だったのだのか。
「『職場の知り合い』から『友人』くらいには昇格できそう?」
だって、この人のことばかり考えていた。
知り合って幾ばくも経っていないというのに。
リュシーのことも頭に浮かばないほどに。
『男の傷は男で癒す』
初対面の時に言われたことを体現したかのようで恥ずかしくなるタリア。何だか今更照れてしまって、顔があげられない。
そんなタリアに、ルドランは優しげな視線を向けていた。
それから、二人で食事をしながらこの一週間の事を話した。
実は親戚に頼まれて、普段から騎士団の手伝いをしているそうだ。基本的に役場とは被らない夜の仕事が多く、最初は軽い副業のつもりだったとルドランは不本意そうにボヤいた。
ここ最近は騎士団の仕事が忙しく、役場の方も休みがちになっていたらしい。
その代わり、ルドランの給料は騎士団の方から出すことで、上の方は合意していること。
なるほど、職場で寝てばかりいても上司に何も言われないのも頷ける。
ふと、役場の仕事を辞めていっそのこと騎士団に所属すればいいのではないかと思って、話を振ってみた。
役場の仕事は安定しているとはいえ、国家予算で運営されている騎士団に比べると格段に給料が安い。略して格安だ。
騎士団の給料は、もちろん危険手当なども含むのだろうが──タリアからすれば、高給取りになれる可能性があるのに、それを棒に振ること自体が理解できなかった。
しかし、彼は首を横に振った。
「見てわかる通り、僕は貴族の子息だけど三男だし、貴族としては出来損ないみたいなものでね。貴族としての責務を果たすよりも、街で働いている方が気が楽なんだよな。でも、ある人が『貴族として生まれたからには、その責務を果たす義務がある』ってしつこいから、仕方なく騎士団の仕事を請け負っているんだ──家は継がないから別に名誉とかも必要ないんだけどね。身体を動かすのは嫌いじゃないんだけど、騎士って柄じゃないんだよな……まぁ、それ以外にも色々と理由はあるんだけど……」
そう言って、いつかも見たような大きな欠伸をした。
『見てわかる通り』
と言われたが、貴族然とした邸宅の中でこの食堂で席についていなければ、誰にもわからないのではないだろうか。
今の彼は、髪はボサボサで服はヨレヨレである。平民でもここまで何もかもヨレヨレの人間はいない──と思う。
普段は騎士団の宿舎で一人暮らししているが、パーティーの準備のために実家へ戻って来たのだそうだ。
「さて、腹ごしらえも終わったことだし、ぼちぼち準備といこうか」
「準備──?」
「マウラ、頼んだよ」
「かしこまりました」
「──っ?!」
突然真横に姿を現したメイドに驚いて、ちょっと口が開きっぱなしになったのは許しい欲しい。
チョロすぎタリアさんの巻でした。冬の朝はおふとぅんからなかなか出られませんよねって話でした。
明日も夜の更新です。
話も大分終盤です。頑張って完結させよう、うん……。




