第四五.五話 ひつまぶし【丹羽長秀】
◆天文十五年(一五四六年)七月中旬 尾張国 那古野城 丹羽長秀
あの不思議な人が那古野から消えて、もう四か月が過ぎた。昨年の暑い盛りに、殿があの人を連れてきてから、殿も尾張もずいぶんと様変わりしたものだ。
『お前ならできるはずだ。お前は麒麟児だ。お前は米五郎左と呼ばれ、織田家には欠かせぬ武士になるのだ』
あの人には随分と褒められたな。もちろん悪い気はせず、励みになった。殿の格別の信頼を一身に受けていたあの人に、わたしも追いつきたいと願い日々精進していた。
『この鉄砲は、日の本の戦のあり方を変えるぞ。否。おれたちが変えるんだ。お前も鉄砲の使い方をうまく覚えれば、あの権六(柴田勝家)に匹敵する強さを発揮できるのだ』
あの人を見習って必死に鉄砲も覚えた。その甲斐があって、今は鉄砲衆を率いて那古野勢の一翼を担うまで、鉄砲という武器の強さと弱さ、効果的な使用法を熟知している。
『これは殿に必要な南蛮渡りの「はりせん」という道具だ。さすが万千代だな。素晴らしいぜ』
あの人は殿にとても信頼されていて、殿と恋仲であっても不思議でないくらい仲が良かった。なのに、あの人は全く鼻にかけるようなことはせず、驕り高ぶることもなかった。
『お前は、絶対におれに負けぬぐらい殿に信用されるのだ。おれのらいばるになる男だぞ』
らいばるという言葉は、おそらく南蛮の言葉であろうが初耳だった。だが大体意味は分かる。もちろん悪い気はしない。
男のわたしが惚れ惚れするくらいなのだから、殿があの人に惚れ込むのも大いに納得できる。
時折、不思議なことをいう人だった。
『よいか、五郎左。猿のような顔の男は信用してはいけないぞ。その男はお前を利用するだけだからだ』
知り合いに猿顔の男はいないし、誰のことを指しているのかさっぱり不明だった。だが、あの人のいうことは、たいてい当たっていることが多い。猿顔には注意しよう。
いろいろな物をあの人に頼まれて作ったな。ぱんつなる殿の下着を頼まれたのには驚いた。
結果、殿にも『さすがは五郎左であるな。比類なき心地よさじゃ』などと褒めていただいたし、たくさんの褒美も頂いた。
今年の春、あの人がいなくなる前に、またもや指示があった。
『夏の土用のころには体力が落ちるゆえ、うなぎ料理を作るのだ。「ひつまぶし」という。きっとお前なら殿が喜ぶひつまぶしを作れるぞ』
あの人がいたころは、とても仕事がやりやすかった。殿も屈託ない笑顔をみせていることが多く、癇癪を起こす事もほとんどなかった。
やはり、恋仲ともいえるあの人がいないからだろう。最近は殿も大変気落ちしていて、浮かない顔つきのことが多い。
『ひつまぶし』なる料理で、また素敵な笑顔を見せてほしいものだ。
あの人の指示が書いてある紙を見てみよう。料理の指示書を『れしぴ』と呼ぶらしい。
――うなぎは死んでから捌くと毒が出るゆえ、難儀ではあるが生きたまま目打ちでうなぎの目を突き刺し、まな板に固定すべし。塩をうなぎに振ると滑り難くなるであろう。
――これまた難儀ではあるが、うなぎを三枚に捌いて骨は念入りに焼くべし。甘い酒に味噌たまりと砂糖を入れて、焼いたうなぎの骨を入れて煮るべし。これを『たれ』という。
うなぎはぬるぬると掴みどころがなく、れしぴどおり実行するのに、当初は非常に難儀した。まだまだ精進が足りないな。
――おろしたうなぎは五寸(一五センチ)ばかりに切り、並べて串を打つべし。串を打ったうなぎを極めて弱めの炭火で焼くべし。半刻(一時間)以上かけて念入りに焼くべし。
――焦げ目が少しついたら、たれをうなぎに塗りさらに念入りに焼くべし。たれとうなぎの脂が炭火に落ちて食欲を誘う香りがするであろう。
確かに、たれとうなぎの脂がシュッと炭火に落ちて、食欲を誘う香りが辺りに漂よってくる。これはたまらぬ。ある種の拷問であるな。
――たれが焦げ付かぬ程度に焼いたら、火からうなぎを離せ。これを『かば焼き』と呼ぶ。
――お湯に鰹節を入れて少し煮立たせ、味噌たまりと塩を少し入れよ。これを『出汁』という。出汁も味見をするのだぞ。旨さと塩気で美味になるように加減せよ。
なるほど、出汁だけでも旨いものだ。
――葱と青紫蘇と海苔を刻んでおけ。また、山葵をすりおろしておくのだ。これらを『薬味』と呼ぶ。
――小さな櫃に温かい炊いた飯を入れておけ。かば焼きを長さ一寸(三センチ)ばかりに切り分け、櫃に入れて炊いた飯とよく混ぜ合わせよ。
はいっ! かば焼きを混ぜ合わせました。とても良い香りがします。
――まずは、櫃のうなぎ飯を四分の一ほど取り分け、食べよ。
「これがうなぎであるか。うなぎとは程よく甘く美味であるのじゃ」殿もにっこりとご満悦の様子。ほっと肩の荷が下りた気がする。さすがあの人のれしぴ。殿が喜ぶのも当然だ。
――次に櫃のうなぎ飯を、新たに四分の一ほど取り分け、薬味を混ぜ合わせ、食べよ。
殿も「うなぎ飯に、新たな爽やかな香りも加わっていて、これもまた捨てがたいのじゃ」と美味しそうに舌鼓をうつ。
ううう。わたしもひつまぶしを食べたくなってしまったぞ。
――さらに、櫃のうなぎ飯を新たに四分の一ほど取り分け、薬味を乗せ、その上に温かい出汁を注ぎ食べよ。
殿も「湯漬けのようであるが、湯漬けと違い、このうえなく美味であるのじゃ」と大喜びの様子だ。
――最後の四分の一のうなぎ飯は、気に入った方法で食べよ。
殿は最後のダシを注いだ食べ方が気に入ったようだ。
「さすが、五郎左であるな。ひつまぶしは美味であって、ワシもたいそう気に入ったのじゃ。左近と一緒に食べたかったな」
全く殿の仰るとおりです。わたしもあの人から、まだまだ教わりたりないことがたくさんございます。早く那古野に帰ってきてください。お願いします。
――殿のお気に召したならば、織田屋食堂で『織田家御用達ひつまぶし』として売るのもよいぞ。『精力体力向上に並々ならぬ効果』と称して、七〇文(七〇〇〇円)から百文(一〇〇〇〇円)でも売れるはずだ。
料理としては、とても高額な価格になるが、織田屋食堂で売り出してみよう。わたしも気になる女子と一緒に、ひつまぶしを食べたくなったぞ。
さすがあの人の料理だ。殿も久方ぶりにみせる素敵な笑顔で、だいぶ気力が満ちてきた様子。
殿に元気になっていただく他の手段といえば、殿が前に仰っていた湯の出る泉だろうか。飛騨(岐阜県北部)の下呂なる地に湧く、湯の出る泉にお連れすれば、さらに殿の気持ちが上向くかもしれない。
諜報衆の多羅尾四郎右衛門(光俊)殿に聞いてみよう。もしかすると、いつも準備の良いあの人が、既に四郎右衛門殿に指示している可能性もあるだろう。
次話、囚われの左近のもとに意外な人物が訪れます。
2/8(土) 20:00 更新予定。
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里見つばさ




