②
「おい、起きろ」
ガンッ、と大きな物音にビクリ、としながらユイナは目を覚ました。
音のした方を見やれば、鉄格子の向こうに見た覚えのある男がいた。
ああ、夢の人。
そう認識した途端、ハッと気がついた。
目が覚めたのに、夢が終わらない。
「暢気なものだな。この状況で俺の気配に気が付かず寝ていられるとは」
嘲笑混じりに言われるも、ユイナにとってはどうでもよかった。
この悪夢が夢じゃないとわかってしまったことが一番の衝撃だった。
銀髪の男の命令で、騎士の一人がユイナを連れてある部屋へと押し込まれた。
どうやら尋問を始めるらしい。
銀髪の男が目の前に座り、その後ろに厳つい顔をした体格のいい髭が野性味を上げている騎士と深い翠色の髪を持つ、爽やかな顔立ちの騎士が立っていた。
ユイナの後ろにも二人ほど騎士が立っている。
唯でさえ、部屋自体が石造りになっていて息苦しいというのに、一つの部屋に六人とは窮屈で、男五人の厳しい視線にユイナは既に耐えきれない程の緊張を強いられていた。
「昨日も言ったが、貴様、どこの者だ」
どこの者って昨日答えたじゃないですか、と答えようとしたが、ユイナは声が出なかった。
怖くて怖くてどうしようもなく不安で。
恐怖が声を奪った。
「黙り込むつもりか」
低く唸る声にユイナの恐怖を煽る。
「さっさと話せ!」
ガッと胸倉を掴まれた瞬間、何かがプツンと切れた気がした。
「いやああああああああああ!!!!」
ガタガタッと音を響かせ、ユイナは椅子から転がり落ちた。
「いやあ!いやあああ!やだああああ!知らない!知らないの!もうやだなんでこんなとこにいなきゃいけないの!私を家に返して!!夢なら醒めてよ!!!やあああああ!!!」
パニックを起こし始めたユイナに後ろにいた騎士二人がユイナを拘束した。
「触らないで!いや!いやあ!!あっち行ってよ!離してええええ!!!」
腕や足をがむしゃらに動かしながらユイナは泣き叫びながら、抵抗した。
黙れ、動くな、と騎士達に押さえつけられるがユイナは力の限り叫んだ。
銀髪の男達は呆気に取られていた。
暗殺者がこのように涙を流し喚き叫ぶなど聞いたことがない。
しかも拷問ではなく、尋問で。
さらにはまだ尋問のじ、まで進んでもいない状態なのだ。
あっさりと目の前の騎士二人に拘束されている様子を見ると、どうにも暗殺者とはかけ離れた存在に思えてくる。
どうにかこの喚き泣く女を黙らせようと昨日と同じく剣の切っ先を女の首元へと向けた。
「殺されたいのか」
冷たく言い放てば、ピタリ、と女は喚くことをやめた。
それでも涙は止まらないらしく、ボロボロと目から零させながら虚ろな瞳でこちらを見上げた。
「死んだら、帰れる?」
一同が息を呑んだ。
この娘は、何を言っているのだ。
一方、ユイナはもうこの場にいるのは御免だった。
この流れで行く限り、勘違いによる冤罪で拷問をかけられるのは予想が出来た。
これが夢ではないならば、それは死を超越する恐怖のなにものでもなかった。
拷問をかけられるくらいならば、この場でスパッとこの剣で殺された方がよっぽど楽なのではないだろうか。
もしかしたら、死ねば夢が醒めるかもしれない。
このまま恐怖で怯える現実を見るくらいなら、いっそ死に賭けてしまった方が何十倍もいい気がした。
初めて銀髪の男の瞳が戸惑うように揺れるのを見た。
この人もそんな顔するんだ、と死の直前に思うようなことなのか。
グッと上を向いて、さあ殺せと言わんばかりに首を曝け出し、目を瞑った。
小さな溜め息が聞こえ、急に拘束が解かれた。
驚いて目を開ければ、剣を鞘に戻した銀髪の男と目が合った。
険しい表情の代わりに、呆れたような表情をしていたが、反射的に顔を逸らした。
この人は、怖い。
「お前の言ってることはよくわからん。とにかくお前は普通じゃないってことだけはわかった」
嫌味を言われているようだが、ユイナは特に反応は返さなかった。
「お前、名前は?」
「……結那。真野結那です」
「何故、昨日の夜、俺の部屋にいた?」
「目が覚めたらそこにいたので、私にもわかりません」
「寝る前はどこにいたんだ?」
「自分の部屋にいました」
殺気立った室内から、先程のユイナの恐慌により気が削がれたのか、威圧感が消えていた。
何より銀髪の男の声が淡々としていたため、質問をされれば自然と言葉を返せた。
「お前の家はどこだ?」
「神奈川にあります」
「カナガワとはどこだ?」
「東京の隣ですよ」
「トウキョウとはどこだ?」
「あ、そっか。日本を知らないって言ってたんだからわからないですよね」
ぼんやりと昨日の銀髪の男との会話を思い出して口に出せば、全員の視線が厳しくなった。
銀髪の男も鋭い視線を寄越している。
「あの、ここはどこですか?」
「お前に質問を許した覚えはない。俺の質問に答えろ」
「ここがどこだかわからなければ、日本がどこにあるのかも説明出来ません」
先程泣き喚いてスッキリしたのか、反論が出来るくらいには気持ちが安定しているようだ。
銀髪の男は暫しユイナを睨むように見ていたが、ユイナは視線を逸らし、返答を待った。
「ここはディラシュレ王国の王都タリタス、お前が勝手に侵入したこの建物は王城だ」
黙って聞いていたユイナは笑いたくなった。
夢でしょ、と自問するが、夢じゃない、と自答する。
「俺はこの国の第一王太子、ライハルト・ハース・ディラシュレだ」
やっぱり夢だよ。
ユイナは大きく項垂れた。
「暫くここで過ごしてくれ。ほら嬢ちゃん入んな」
厳つい騎士に連れられ、辿り着いた部屋は普通よりも豪華な部屋だった。
「いいんですか?こんな立派な部屋を使用しても」
普通の部屋の四部屋分はあるだろう広さにふかふかのベッド、絨毯、テーブル、ソファー、クローゼットなど、一般人が使用するものとは到底思えない立派な部屋を充てがわれ、不安そうに騎士を見上げた。
「まあ、空いてるし。ここも一応貴族の牢屋みてぇなもんだからな。監禁用の部屋だな。ま、よかったな嬢ちゃん。普通殿下の暗殺なんか疑われたら牢屋で過ごすのが当たり前だからな」
「暗殺なんか企んでないですし、私こそ何でここにいるのかわからないんですから」
俯くユイナに無言で騎士は見下ろした。
一瞬の沈黙の後、騎士が「ああ、そうだ」と声を上げた。
「自己紹介がまだだったな。俺はディオン・マギード。もしかしたらちょくちょく顔合わせるかもしんねーからよろしくな」
「ディオンさんですね。真野結那です。私のことは結那でいいですよ。よろしくお願いします」
ぺこり、と頭を下げれば、おう、と一言返ってきた。
「じゃあまたなユイナ。くれぐれも逃げ出そうなんて考えるんじゃねぇぞ?」
人当たりの良いおじさん、ディオンはニッと笑った顔で、だけど最後に鋭い視線を向けながら去って行った。
ガチャリと外側からかけられた鍵の音を聞きながら、ユイナはどこに逃げればいいっていうの、と小さく溜め息とともに零した。
その頃、ライハルトはある人物を執務室に招き入れていた。
「ライハルト様、モーリス様がお見えです」
「通せ」
ライハルトの付き人であるセインがドアを開けると、質の良さそうなローブを纏った老人が部屋へと入ってきた。
老人といっても背筋を伸ばし歩く姿に隠居はまだ遠そうであることがわかる。
いつも穏やかなモーリスが真剣な顔つきでいることにライハルトの表情も真剣なものとなる。
「モーリス、どうした?」
「ライハルト様、昨夜何かございませんでしたかな?」
「昨夜か。まあ、あったが、何故だ?」
「何やら魔法の気配を感じましたので気になって参ったのです。何があったのですか?」
「俺の部屋に見知らぬ女が突如現れた」
昨夜、ライハルトが寝ていると、突然人の気配を感じた。
殺気ではなかったが、ベッドの側で横たわっていた女がキョロキョロと辺りを見回す様子を捉えながら、剣を首にあて、牽制したことを思い出す。
「女、でございますか」
「少女、といってもいいくらいの年齢だな。しかも妙なヤツなんだ」
「といいますと?」
「ここはどこだ、とか何で自分はここにいるんだ、とか言うんだ」
あの時は少し違和感があったものの用心のために暗殺者ということを念頭に置いて話をした。
少女、ユイナの涙を思い出し、思わず溜め息を吐きそうになった。
「なるほど。確かに妙ですな。魔法の気配に関しても、嫌な感じはしませんでしたが、初めて感じた気配だったので、私にもまだなんとも申せませんが。その少女に会わせて頂いてもよろしいですかな?」
「ああ、その方がいいだろうな。その魔法の気配というのもあの女の言動と何か関わりがあるのかもしれない」
もやもやとする少女の存在。
それは彼女がどこから来たのか、何しに来たのか、どうやってライハルトの部屋に入ったのか、全てが謎だったからだ。
出身地を聞けば聞いたことのない国名を挙げ、逆にこの国の名前を言えば、知らないと言われる。
ライハルトのこともわかっていないようだった。
しかも違う世界から来たのかもしれないなどとあり得ないことを言い出したのだ。
嘘を吐いているようには見えず、あれが演技だとしたならば、近い未来、この国が傾くかもしれない。
とりあえず、頭がイかれているとしか思えず、一先ず少女を落ち着かせようということで話を後に延ばしたのだ。
とにかく、モーリスの訪問はちょうど良かった。
まずは二人を会わせるのが先決だ。
先程恐慌を起こした少女の姿が目に浮かんだが、すぐに頭の隅に追いやった。
コンコン、とノックの音が聞こえたかと思うと、騎士が扉から入ってきた。
どうぞ、と騎士の言葉に後から続いて中へ入ってきたのは、銀髪の男、この国の王子だというライハルトと、長いローブを纏った高貴そうな老人だった。
ライハルトの姿を視認すると、ユイナは反射的に後退った。
ライハルトが近付くように歩を進めた分だけ、ユイナも後ろへと進む。
怪訝な表情をしたライハルトに「おい」と声を掛けられれば、体は硬直した。
「何故遠ざかる」
「いや、その」
貴方が怖いからです、とは言い辛く、視線を彷徨わせた。
最早ライハルトはトラウマになっていた。
「ライハルト様、彼女に何をされたのですかな」
「大したことはしてない」
大したことはしてない!?
驚愕の表情でライハルトを見れば、何だと言いたげな表情を返される。
顔を見るのも恐ろしくてすぐに視線は逸らした。
肩を蹴るわ、胸倉掴むわの暴行や、二度も殺そうと剣を向けた行動はこの世界では大したことではないらしい。
恐ろしい!やっぱり世界が違う!とユイナは帰りたい、と強く思った。
「とにかくそこに座れ」
指さされた椅子に、恐る恐る近付いて、先にソファーに座ったライハルトとローブの老人に倣って腰掛ける。
「ふむ。まだ微かながら気配はありますな。なんとも不思議な…。一体これは何の魔法か」
ジロジロと此方を見てくるローブの老人にユイナは居心地悪く、あの、と思わず声を掛けた。
「おお、これは失礼致しました。私の名はモーリス・デルンゼルト。よろしくお願い致します」
「真野結那です。それであの、私に何か?」
先程から珍獣を見るかのような好奇の目に晒され、また老人の魔法という言葉に好奇心を覚え、問いかける。
「ユイナ殿はどなたに魔法を掛けてもらったのですかな?」
「魔法を?」
「さよう。貴方には不思議な魔法の残留が見られる」
「魔法……」
この世界にはどうやら魔法が存在するらしい。
恐怖が一変、好奇心に変わった。
「モーリスさんは魔法が使えるんですか?」
確かに魔法使いみたいな格好をしている。
魔法が使えるのだとしたらなんて素晴らしいのだろう。
是非とも見たい。
そんな願望を込めてモーリスを見つめれば、モーリスは苦笑し、ライハルトからは呆れたような溜め息を吐かれた。
「本当に何も知らないんだな」
「うーむ、不思議な子ですな」
まさに珍獣を見てるかのような視線にユイナは眉を寄せた。
「魔法ってここでは当たり前なんですか?」
「当たり前だ」
ライハルトが溜め息のように返答する。
「この世界の人間は少なからず魔力を宿して生まれてくる。力の使い方は簡単なものは本能的に使うことが出来るが、複雑になってくると知識と技術が必要になってくる」
ぱちぱちと瞬きを繰り返すユイナはライハルトの話を聞き終えるとすごい、と感嘆を漏らした。
そんなユイナを怪訝な表情で見ていたライハルトにモーリスが穏やかな表情で提案をした。
「ユイナ殿は私に任せてくれませんかな、ライハルト様」
「モーリス?」
「ユイナ殿は武術に優れてはいないことはライハルト様にも分かるのではないですか?」
「それはそうだが」
ユイナの体つきは武術を扱う者のそれではない。
昨夜、実際に触った騎士達も言っていたし、武術を扱う者としてそれは一目瞭然でわかることだった。
「さらに彼女は魔力をお持ちでない」
驚いて振り向くライハルトと明らかに落胆するユイナの視線がモーリスへと注がれる。
「害はないかと思われますが、謎は色々残っております。暫く様子見ということで私の管理下に置きたいのですが」
昨夜妙な魔法の気配を感じたというモーリス。
確かに魔法絡みであれば、モーリスが適任だ。
彼はこの王宮魔導師として頂点に君臨する程の実力者。
何か事が起こればすぐに対処してくれることだろう。
此方としても願ってもない提案だった。
「頼まれてくれるか」
「勿論でございます。ユイナ殿もそれでよろしいですかな?」
当の本人をそっちのけで話を進めていたにも関わらず、最後にこちらの意思を伺ってくる。
ユイナの意思などお構いなしなことはわかっていたので、形ばかりの確認だった。
どうすればいいかなど考えられる状況ではないため、言われるがままに行動するしか他ない。
「よろしくお願いします」
そう頭を下げるユイナに、モーリスは満足そうに、ライハルトは無表情でその姿を見つめていた。




