第1話:閑古鳥の店と新しい刺激
静かだ。実によろしくない方向で静かである。
「……ハァ」
俺——バルドは、手にした布で木製のグラスを磨きながら、本日何度目になるか分からない溜め息をついた。
元Bランク冒険者。引退後のセカンドライフとして開いたこの酒場『サケ』は、開店から一ヶ月が経とうというのに順調な右肩下がりを記録していた。原因は明白だ。資金不足で借りた物件が、スラム街と下町の境界線という極めて微妙な立地にあるせいだ。
まともな市民は近づかず、寄ってくるのはスラムの物好きなならず者ばかり。
唯一の客である元・ごろつきの頭目ヴォルクたちが、店の奥の卓で死んだような顔をしてポーカーのカードを繰っている。
「いらっしゃいませ……! お客様、お飲み物のご注文はいかがでしょうか……?」
そこへ、フロアから控えめな——しかし地響きのような低音ボイスが聞こえてきた。
うちのウェイトレス、グリゼルダ(15歳・オーク族)だ。
190センチの巨体に豊かな肉体美、そして見事な豚鼻と小さな牙。スラム街で身寄りもなく途方に暮れていたのを「力仕事が得意なら」と俺がスカウトしたのだが、問題はその圧倒的な圧威であった。
「ヒッ……! いや、あの、ビールで、いいです……!」
「かしこまりました。ただちにお持ちいたしますね(にっこり)」
丁寧にお辞儀をしただけなのだが、巨体と強面の圧迫感のせいで、客の男は「粗相をしたら首を折られる」とでも言いたげに青ざめて震えている。
「グリ、無理に笑おうとしなくていいぞ。落ち着け」
「すみません、マスター……。私、また怖がらせてしまって……」
気まずそうに豚鼻をひくひくさせるグリを見て、俺は苦笑した。
悪気ゼロの優しい子なのだが、見た目の威圧感だけで接客難易度が上がっている。これでは酒が進むはずもない。
(……このままだと本気で路頭に迷うな)
何か、客が夢中になるエンタメが必要だ。カードの駆け引きに疲れた連中が、頭を空っぽにして没頭できるような娯楽。
頭に浮かんだのは、前世の記憶だった。
社畜サラリーマン時代、会社帰りに毎晩のように吸い込まれていたあのホール。
けたたましい効果音、眩い光、そしてレバーを叩く瞬間の緊張感。
(パチスロ、打ちてぇな……)
一度閃くと、居ても立ってもいられなくなった。
前世で身体に刻み込まれたあの快楽回路。幸い、俺には冒険者時代に培った雑多な知識と、ガラクタの山がある。
俺は店の奥の倉庫へ向かい、部屋の隅に転がっていた『宝箱』を引きずり出した。
冒険者時代に「何かに使えるかも」とダンジョンの戦利品や、ジャンク屋から集め、同僚から「ゴミ箱」と嘲笑された思い出の品々だ。
ゴサゴサと埃っぽい箱を漁り、奥底からコードがいくつか伸びた重厚な黒い金属球を取り出す。
「あった……これだ」
『Aランク・ゴーレムの核』。
古代遺跡で拾った代物で、本来なら城塞を単機で防衛する大型ゴーレムの頭脳(制御中枢)になる最高級品だ。高等な並列演算、条件分岐、確率処理……言葉は悪いが、こんな小さな球体にオーバーテクノロジーが詰まっている。
「よし、こいつの並列演算能力を全部『完全確率抽選とリール滑り制御』に回す」
世の魔導士が知ったら狂乱するであろう用途の無駄遣いだが、俺にとっては背に腹は代えられない。
数日後、腐れ縁のドワーフ職人ガルムを拝み倒し、鉄と木を組み合わせて作った特製の仮筐体を持ち込んだ。
ゴーレムコアを組み込み、魔法陣でリールの超高速モーターとバックライト、制御ボタンを接続する。
何百回もの滑り検証と、出玉率の調整。数週間の監修で高くついたが、この世界初のスロット1号機——『ゴーゴー・スライム』が完成した。
「……で? なんだいマスター、その不気味な木箱は?」
翌日、カウンターの脇に設置された筐体を見て、ヴォルクが眉をひそめた。
「パチスロだ。メダルを入れてレバーを叩き、ボタンを押して図柄を揃える遊びだよ」
「はあ? なんだその回りくどい遊び。カードめくる方が早ぇよ」
ヴォルクだけでなく、他の客も失笑した。
「マスター、暇すぎて頭がおかしくなったか?」「そんな箱で遊ぶくらいなら酒をくれ」と散々な不評ぶりだ。グリも「これは……どうやって使うのでしょうか?」と首を傾げている。
俺は溜め息をついた。
まあ、経験したことがない人間に言っても伝わらないか。
「まあいい。じゃあ、俺が打つか」
俺はカウンターからメダルの箱を引っ張り出し、その中から3枚を投入口へ入れた。
「おいおい、マスター自ら遊んでどうすんだよ」というヴォルクの呆れ声を無視し、俺は意識を研ぎ澄ます。
手に伝わる、ベットボタンと、金属レバーの感触。
前世のホールで、幾度となく味わったあの作法。
「ふぅ……」
ガコン!
そして、運命の右ボタン。
ポン。
……はい、不発。
出目は「スライム・スライム・雑草」。
一回転で当たるほど甘くは設定していない。
完全確率とはいえ、そう簡単にフラグが引っかかるわけもない。
「おいおいマスター、さっきから一人で何をやってんだ?」
遠巻きに見ていたヴォルクが、酒杯を片手に半笑いで声をかけてくる。
他の客たちも「マスターの奇行が始まった」と呆れ顔だ。
「……まぁ見てろって」
俺は返事もそこそこに、淡々と次のメダルを入れる。
レバーを叩き、ボタンをテンポよくポポポンと叩く。
無音の数秒。外れ。
次も外れ。さらに次も外れ。
百ゲームほど回しただろうか。コイン皿から手持ちのメダルが着実に減っていく。
ゴーレムコアの無駄遣いとはいえ、機械としては完璧な挙動だ。
ウェイトの待ち時間も、ボタンの引っかかりもない。
ただ、俺の引きが悪いだけだ。
(……そろそろ天井を疑いたくなるな)
苦笑しながら、手元に残った最後の3枚を投入口へ滑り込ませる。
ガコン、とレバーを叩いた。
——その瞬間だった。
カコォン……!
甲高いが、決して派手すぎない金属音がひとつ。
筐体左上の隅に埋め込んだ控えめな魔導ランプが、じわりと青白く発光した。
「……よし、取れた」
俺は静かに息を吐き、右ボタンを狙って押した。
ズドン、と音を立てて中段にスライム図柄が綺麗に並ぶ。
ジャラジャラジャラ……。
払い出し口から、控えめな金属音とともに二十数枚の銀メダルが払い出された。
前世の大手ホールのような爆音もド派手なイルミネーションもない。ただ、静かな店内にメダルの重みある音が響いただけだ。
だが、ずっとカードを繰っていたヴォルクの手が、ぴたりと止まった。
「……おい、マスター。今、なんか光ってメダルが出てきたぞ」
「ああ。これが『ボーナス』だ。確率を引けば、こうやってまとまってメダルが手に入る」
俺は皿に溜まっていくメダルを掌ですくい上げ、チャリンと音を立てて見せた。
「で? そのメダルは何に使うんだよ。」
「ここで使える」
俺はカウンターの端を指さした。
「このメダルは1枚につき銅貨1枚で買える。で、増えたメダルは『1枚=小銅貨1枚』として、そのままこの店の酒代や料理の支払いに使える。……あるいは」
俺は引き出しから大銅貨の袋を取り出し、カウンターに置いた。
「そのまま現金に『換金』して持ち帰ってもいい。メダル100枚で大銅貨5枚だ。手数料は取らん」
「……あ?」
ヴォルクの目が、わずかに細くなった。
「つまりなんだ……その箱で遊んでメダルを増やせば、酒がタダで飲める上に、現金に換えて帰れるってことか?」
「確率通りにいけばな。当然、負けてメダルを全部失うリスクもある。ただのギャンブルだよ」
俺は増えたメダルの中から3枚を取り出し、再び投入口へ入れた。
「まあ、ボロボロのカードのイカサマに怯えるよりは、機械相手に運を試すほうが健全だと思うがね」
レバーを叩く。リールが滑らかに回転を始める。
ヴォルクは手元の酒をグッと飲み干すと、歩み寄ってきてカウンターに大銅貨を数枚ジャラッと置いた。
「……マスター。そのメダルってやつを、試しに30枚くれ」
静かな熱が、スラムの小さなバーにじわりと伝染した瞬間だった。




