鈴蘭 四
境に滞在して二日目。杏寿は朔乃介と手分けして犯人探し及び穴探しを継続していた。
傍に紬師である朔乃介がいない為、境東で調達した包丁を太ももに携えていた。なんでも境は包丁の老舗が多く、杏寿達が住まう外の世界でも流通している。故に武器としても使えると灼司からのお墨付きだ。
そして今日もまた鹿の仮面をつけながら授業で教わった妖術を駆使して捜索する。路地裏、民家の庭、使われていない物置小屋。探してみるが手掛かりは見つからない。
(無いな。穴は常に開いている状態じゃないのかも)
妖術については朔乃介が詳しいので連絡しようとニシキに手が触れようとした瞬間だった。
「何してるの?」
幼子の無垢な問い掛けだった。しかし杏寿に声を掛けている可能性は低い。
なぜなら今、杏寿は視認遮断術式を施している。今まで誰にも見つかっていない。なのでただの幼子に見つかるわけがないのだ。
「屋根に乗っていると危ない」
と、慢心していた時間が終わった。この辺りで屋根にいるのは杏寿しかいない。
観念した杏寿は幼子がいるであろう下を見下ろす。そこには白い四つ身着物を身に纏い、布地には鈴蘭の花が咲き誇っている。黒い髪に映える金の刺繍が施されている絹の布はリボン結びで添えられている。
身なりから境西に住まう住人でないことはよく分かる。明らかにお嬢様だ。
そんなお嬢様が杏寿の妖術を見抜き、声を掛けてきた。無視しても良かったがお付きもつけずに一人でいる事に疑問が浮かんだ杏寿は術を解いて屋根から降りた。
「私の事、見えちゃったんですか?お嬢さん」
「他の人は見えない?」
「私に気づいたのはお嬢さんが初めてですよ~」
「へぇ」
全くもって少女の表情筋が動かない。動いているのは口だけだ。
杏寿が敬愛する小春でさえ表情の動きが乏しいが、それ以上に動かない。透き通った白い肌や大きな桃色を帯びた瞳も相まって人形に見えてくる。
暗闇の中で見る朔乃介も怖いが、そんな朔乃介と張り合えるくらいには不気味だ。
「狐さんは何してたの?」
「狐?」
「だって狐の耳と尻尾がついてるから。狐さんなのに鹿さん。変なの」
「…思ったこと全部言うね。びっくり」
少女の言葉に苦笑いを浮かべるが杏寿の内心は生まれた疑問に戸惑っていた。
狐に思い当たる節があった。しかし出会って名前も知らない少女の言うことを信じるのは安直すぎる。
「逃げた方がいい」
少女は杏寿から目を逸らすことなくハッキリと告げた。
「逃げる?何で?」
「お爺様は狐も探しているから」
「お爺様…お嬢さんの?」
「うん。葛の葉姫様をずっと探しているの」
杏寿の脳裏にある言葉が過ぎる。それはかつて灼司達と狐狗狸さんの話をしていた時のこと。
『呼び出すのは狐狗狸じゃなくて葛の葉姫だったんだけどね』
蓮真が確かにそう言っていた。葛の葉姫は人間に化けた狐であり、安倍晴明の母親とされている。
この少女は晴前教に関係があるのだろうか。いや、葛の葉姫の名前が出ただけで晴前教に結びつけるのは安易か。
「お嬢さんに聞きたいことがあります」
「なに?」
「お嬢さんは晴前教を知っていますか?」
「晴明様のお話?」
「そうですよぉ。大人から晴明さんの話、聞きました?」
「うん」
少なくとも境で育った妖は晴明様なんて言わない。安倍晴明は妖の敵だったから。
晴前教の崇拝対象は安倍晴明。少女が零した葛の葉姫も関係しているが晴前教は狐に関連する人間を探しているということなのだろうか。
「私は散歩をしていました。お嬢さんは何をしているんですか?」
「蝶を追いかけてたらここにいた」
周りを見渡すが蝶は見当たらない。ついでに住民も。
どこから来たのか分からないが住民が誰も声をかけなかったのが不思議である。こんなに身なりから金を掛けられている人間が一人でいるのに。
杏寿は一応、白夜軍の兵士として少女から目を逸らして悩んでみる。ここで境西のお役人に引き渡すべきなのだろうが…。
(ま、晴前教について聞けること聞いてからでいいか)
と、結論を出し、少女を見直したがそこに少女はいなかった。いつの間にか、視界の隅に移動してしゃがみ込んでいた。
少女がどのようにしてここまで来たのか、杏寿はよく理解した。幼かった杏寿でもこんなに大人から離れたことは無かったのだが。
杏寿は少女の隣にしゃがみ込み、視線の先を見流。そこには飛蝗の亡骸をせっせと運ぶ蟻がいた。こんな自然の摂理が少女の目には面白く映っているのだろうか。
「虫が好きなんですか?」
「うん。外に出ないと見られないから」
「部屋の中にも虫はいると思いますけど。蜘蛛とか」
よくナーシャが台所や掃除中に悲鳴を上げている。驚いて駆けつけると大体、虫に脅えながら追い払おうと箒を振り回しているのだ。
虫は旅には付き物だったので杏寿は特に何も感じなくなってしまった。時に食べることもあったくらいだ。慣れない方が無理である。
「いない。私以外、生きている生物はいない。部屋には私しかいないよ」
「何にも?」
「何にも」
「つまんないですね」
「うん、つまんない」
バッタの亡骸が蟻の巣に運ばれるのを眺めた少女は蟻の行列から顔を上げ、杏寿の顔を見た。また少女の大きな瞳に杏寿の姿が映る。
「鹿さん、私の名前言ったら鹿さんの名前言ってくれる?」
「いいですよ」
「京極実澄」
「いい名前ですね。私は栗花落杏寿です」
「杏寿さん」
「はい、杏寿さんです」
名前を名乗り、共に自然の摂理を眺めたからか実澄の警戒心が瓦解したらしい。杏寿としては晴前教の情報を引き出すには都合がいいもで勝手に瓦解してくれて有難い限りだ。
この好機を逃すわけにはいかない。杏寿は穴探しを中断し、実澄の相手をすることにした。
そして邪魔が入らぬように改めて遮音術を施す。これで他人には杏寿と実澄の姿は見えないし話し声も聞こえない。
「実澄さんのお爺様はどうして葛の葉姫を探しているんですか?」
「私が完璧じゃないからって言ってた。だからホンケになれないんだって」
「ホンケ?」
ホンケとは本家のことを言っているのだろうか。だとしても実澄が言っていることが理解しきれない。
何故、実澄が何において完璧でないのか。それが原因で本家になれないとは何なのか。
晴前教について聞こうとするが実澄から出てくる返答はどこか斜め上。そもそもこんな幼い少女が杏寿の質問の意図を読み取って答えること自体が高望みというもの。ゆっくり探りを入れるしかない。
「杏寿」
「何でしょう?」
「逃げた方がいい」
「そういえばさっきもそれ言ってましたね。何でですか?」
「杏寿が怖くて泣くから」
「怖くて泣く?どういう——」
理由を問おうとしたが杏寿は言葉を切り上げ、実澄を抱えて前方へと跳躍した。滑るように飛んだせいか、上手く着地ができず、杏寿が身を犠牲にする形で転がった。
顔を上げ、蟻の行列を見ていた場所を見るとそこには刀を振り落としている老人がいた。顔の皺とシミが目立つ老人の腰は曲がっておらず、構えて振り下ろしたであろう刀は杏寿がいた位置にあった。
殺意、そうでなくても明確な襲撃である。杏寿は実澄を後ろに隠し、包丁に妖力を流して構える。
ギリギリまで気づけなかったことに悔やむ暇ない。老人はゆっくりと杏寿達を見据え、口を開いた。
「実澄、こちらに来なさい」
「お爺様…」
老人と視線が交わったことで杏寿は思い出した。昨晩、ウルシュが見せた写真に写っていた老人だ。
しかも教祖の側近と言っていた。つまり実澄の祖父であり、実澄は晴前教の核に近い場所にいるということ。
(連れ去るか…?)
人質として実を連れ去るのもありだが、境では問題を起こすなとかの子に釘を刺されている。
少し振り返って実澄の様子を見るが俯いたまま何も言わない。祖父の元へとも動こうとしない。
「実澄」
再度、名を呼ばれるが実澄は何も答えない。それどころか、小さな手で自身の着物を掴んでいる。
まるで行きたくないと示しているようだが、口は一文字に結んだまま。
しかし不思議なもので杏寿の背に隠れている今が一番人間の子供らしい。
「来なさい、実澄。帰るぞ」
「…はい」
ついに実澄は祖父の言葉に頷き、杏寿から離れて祖父の元へ歩いて行ってしまった。
杏寿の背から出てきた実澄を叱責するわけでもなく、祖父は無言で実澄の顔に白いベールを掛けた。
そして引き摺るように実澄の手を取って歩き出した。表情一つ変えなかった実澄が振り返り、僅かに揺らいだ布の隙間から助けを求めるような表情を浮かべていた。
どうすればいい?ここで実澄を連れ去った方が良いのか。だが晴前教は完全に犯罪組織と認定されたわけじゃない。
犯罪者や討伐対象でない限り、兵士は武力制圧をしてはならない。上から保護命令が出ない限りしてはならない。独断の保護は連れ去りとして犯罪に見なされる。
すると祖父は立ち止まり、振り返って再び杏寿を見た。
「二条、あの女はお前が連れて来なさい。さすれば晴明様もさぞお喜びになられる」
刹那、祖父の前に大きな黒い穴が現れ、そこから一人の男が出てきた。
穴から出てきた男と入れ替わるように祖父と実澄は穴の奥へと入り、その姿を消した。
やはり穴を通じで晴前教は移動していた。加えて境西は晴前教と繋がりがある。この事実を今すぐ持ち帰って朔乃介達に伝えねばならない。
理性ではそう考えられるのに本能が目の前の事実を受け入れられずにいた。
二条。杏寿はその名前を知っている。——耀の手を取り、あの家から出ていく原因にもなった男。
「お前が日本に帰って来てからずっと見ていたよ杏寿。僕の天使。フランスにも行ってたんだろ?どうだった?僕が教えたフランス語は使えたかい?」
「な、んで…」
「何で?運命だからだよ。たとえ、友の悠史に縁を切られようとも貴族世界から追い出せれても…僕たちは共にある運命なんだ」
鍵をかけたはずの部屋に無理やり入り、抵抗した杏寿を殴り、ベットに押さえつけたあの時より身長は伸び、貴族の身なりではなくなっている。
面影や特徴的だった癖でうねっている髪はそのままに大人になったようだった。
耀に共に旅をし、強くなった今なら二の舞になるわけがない。そう思っていても刻みつけられた恐怖は杏寿の呼吸を乱していく。
二条幹夫。忘れたかった男の名前だ。
幹夫は少しずつ杏寿に近寄る。まるで杏寿に拒否されることなんて微塵も思ってないようだ。
「顔をよく見せてくれ。大きくなってもお前は美しいままだな」
「やめて…触らないで!」
「ははっ、懐かしい。昔もお前は照れてそんなことを言っていたな。お前も僕と同じように懐かしんでくれているのか…可愛いなぁ」
手汗と震えで包丁がカランと音を立てて地面に落ちる。
落ちた包丁は即座に幹夫に投げ飛ばされ、拾えなかった。逃げようにも足がすくんで動けない。
吐き気と恐怖が杏寿の体を支配していき、仮面が涙で濡れていく。なんて情けない。情けない情けない情けない。
そして幹夫は一つ手を鳴らし、杏寿の体を妖術で拘束する。あの夜もそうだった。妖術で杏寿の体を拘束されていた。
益々あの夜を思い出し、胃から胃液が込み上げてくる。頭が重くなっていき、視界に自分の足が映る。
「顔を上げろ、杏寿」
後頭部にある仮面の紐の結び目が解かれ、仮面が地面に落ちる。
僅かに残った理性による抵抗として杏寿は俯き続ける。思い出したくもないのにどうして見なくちゃならないんだ。弱いままの自身に涙が零れた。
幹夫の手が伸びてきた刹那だった。
「俺の相棒に何やってんだ、テメェ…!」
聞こえた朔乃介の声と共に幹夫は吹き飛ばされ、近くの田んぼに顔から突っ込んでいった。
朔乃介の顔を見上げる間もなく、杏寿は抱きかかえられてしまった。
急いで幹夫から離れる為か、朔乃介は妖力を全身に巡らせて走り出す。
「逃げ切るまで冷えると思うが我慢してくれ」
そう言った朔乃介の顔は見えないが言われた通り、朔乃介の周りの空気が急激に冷えていく。
漂う冷気は冷たいはずなのに身震い一つ起きない。不思議と寒いと感じられないのだ。
フランケンシュタインの怪物のように大きな手が杏寿の体をしっかりと抱きしめる。
「大丈夫だ」
何が、とは聞けなかった。
だが杏寿は大丈夫に縋るように朔乃介の大きな体に顔を埋めた。今は朔乃介に顔を見られたくない。
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