逃亡ーウルの街六
扉を閉め、立ち去ろうとしたとき、後ろから、パタパタと必死で駆けてくる小さな足音が聞こえる。
「まって!!」
振り向くとそこには、息を切らしながら、追いかけてきた小さな女の子が立っている。
「どうした?」
「おにいさん!!ようへいさんなんでしょ!?」
「そうだ」
「わたしのぱぱもようへいさんだったってみんながいうんだ・・・。すごくつよくて、かっこよくて・・・。でも、ままのびょうきをなおすためくすりをとりにいったらなくなったっておしえてくれて・・・・。だから・・・・、だから・・・・」
ぎゅっと服の裾を握りしめながら、必死で何かを話そうとしていた女の子はついにぽろぽろと泣き出してしまった。
「落ち着け・・・。お前の父さんは傭兵だったんだな?」
「うん・・・」
「そして、強くて、かっこよくて、皆が憧れる自慢の父さんだったわけだ」
「うん・・・・、わたしあんまりぱぱのことおぼえてないけど・・・・。みんなが、ままもそういうんだ・・・」
「すごいな!羨ましい!でも・・・・そんな強くてかっこいいパパが、ママの病気を治すために薬を取りに行って帰ってこなかったか・・・?」
「うん・・・。ままは、かみさまのところでゆっくりやすんでるって・・・・ねえ!それってしんでるんだよね?」
「そうだな・・・」
「だから!いま、ままのことたすけれるひとがだれもいないの・・・」
しゃくりあげながら、必死で嗚咽を抑え、しどろもどろに話す女の子に、しゃがみ込んで頭を撫でてあげる。
「おにいちゃん!たすけてよ!!ままをたすけてよ!!おねがいだよ!!」
そのままわんわん声をあげて泣き出してしまった女の子をゆっくりと抱きしめる。
そのまま、泣き止むまで背中をさすっていると、泣き疲れて眠ってしまった。よほど疲れていたのだろう。
そのまま、ゆっくりとシエラのもとに届ける。
シエラは、扉のすぐ近くにいたようで、先ほどの話を全部聞いていたようだ。
苦笑いしながら、申し訳なさそうに眠る女の子を寝台の上に寝かせると、その寝顔を見つめたまま、ずっと沈黙している。
「あの子の言ったことは本当か?」
「ええ、本当のことですよ」
「旦那さんは・・・・死んだのか?」
「はい。夫は、月雫草を取りに行って、帰らぬ人となりました」
「そうか・・・」
見つめる背中はすでに諦めてしまったように小さく、そして、儚く、遠く見えた。俺は、それ以上何かを言うことはしなかった。
彼女も、俺に何かをしてほしいとは言わなかった。
無言の時間が続く。出ていけとは言われない。一緒にいてほしいとも言われない。もしかしたら、彼女の口から、願いを聞くことを待っていたのかもしれない。そしたら、もしかしたら、全部をなげうって、命がけの採取に向かったかもしれない。
ただ、何も言われなかった。
だから、俺は、こんなにも苦しむ二人の親子を、寂しい室内に残してその場を後にしてしまった。
ゆっくりと日が落ちた夜の街を歩くと、ひどく後味の悪い思いがした。
そのまま、にぎわう夜のスラムを歩くが、賑わいを見せるスラムの人々が、どこか寂しく、そして、遠くに見えるのは、俺の気持ちのせいかもしれない。
見上げる月が、こんなにも青白いとは今の今まで気付かなかった。
ゆっくりと雑多な路地を抜け、宿に着いた。
ひどく疲れた。足が重い。すぐにでも寝台に横になりたかったが、恐らく眠気はやって来ないだろう。
闘いの後のような倦怠感が全身を覆っているにもかかわらず、しんしんと、頭が冴えわたっている。
ぼんやりしながら、カウンターを抜けようとしたとき、宿の入り口にいる女性に声をかけられる。
「ずいぶんと遅かったね・・・。ご飯はまだだろう?」
「ああ、そうだな・・・」
不思議と腹の減りを感じなかった。それでも、夕飯を食べねば、力が出てこない。明日のためにも、食べるべきだ。
「連れの男の子はさっき部屋に持っていったら食べていたよ・・・。あんたの分も部屋に持って行こうか?」
「ああ、そうしてくれ・・・」
そのまま立ち去ろうとしたとき、呼び止められる。
「ちょっと・・・・待ってくれないかい・・・?」
ひどく言いづらそうだ。
「なんだ?」
「この街はね・・・・。皆、お互いに支え合って生きているんだよ・・・。だから、すぐに伝わっちまうんだけれどもね・・・・。あの娘を助けてやってくれないか?」
それがシエラのことだとすぐに分かったのは、ずっと彼女のことばかり考えていたからだろう。
何も言わない俺に、女性は縋り付くように頼み込む。
「お願いだ!!あんたたちが竜血花を持ってきてくれたことは街のみんなが知っているんだ・・・。皆、あの娘には死んでほしくない・・・・。ただ、こんな事、頼める奴がいないんだよ!!名の知れた傭兵を雇う金もない・・・・。高価な薬草を買う金もない・・・・。皆その日暮らしで必死に生きている・・・・。それでも、何とかみんなで貯めた金がある!それを全部払ってもいいから!あの娘を助けてやってくれ!!」
頭を下げながら、血を吐くように頼み込む女性に、それでも返す言葉がない。
「お願いだ・・・。もう・・・時間がない・・・・。縋る物も・・・・、頼る物もないんだよ・・・・」
ぽろぽろと涙をこぼしながら、必死で頭を下げる女性に、ぼそりと告げる。
「俺たちは・・・。そんなにすごい人間じゃない・・・」
そのまま、俺は部屋へと向かう。
後ろからは、抑えきれない嗚咽の声がずっと聞こえてきた。それは、俺が扉を閉めるまで、耳に残り続けた。
部屋に戻ると、シリウスはすでに寝台に横になっていた。
眠っているようだ。音を立てないように、腰を下ろし、運ばれてきた野菜のくずを煮込んだぬるいスープと、固いパンをゆっくりと喉に流し込む。
味がわからない。
食事を終えると、急に眠気が襲ってきて、そのままその日は眠りに落ちた。
翌日朝起きると、珍しいことにシリウスがすでに起きだしていた。
いや、寝起きで頭がよく働かなかったから気付かなかったが、すでに日が昇り、室内を明るく照らしているため、どうやら俺が寝過ごしたようだ。
急いで起きだし、身支度を整える。
シリウスは先ほどから何も言わない。
重苦しい空気の中で、少ない荷物をまとめ、俺たちは部屋を後にした。
カウンターの女性は、うつむいたまま何も言わずに鍵を受け取る。
宿を出ると、フェイルがいた。
「待たせたか?」
「いや・・・・。大丈夫だ・・・・。行くか・・・」
フェイルがくるりと背を向け歩き出した。
道行く人々が俺たちをちらりと見ている気がした。
後ろめたいからだろうか、こんなにも街を歩いていて、窮屈に感じたことはない。
そのまま歩いていくと、目の前に大きな川が見えてきた。
そこには大小さまざまな船が停泊している。
「ここから湖に行くのか?」
「ああ、あの湖には、何本もの川が流れているからな・・・・」
「どこで身元を改められるんだ?」
「船を見ろよ。船首に旗が掲げられているだろう?」
指さす先を見ると、そこには船の舳先に、一本の柱が立てられ、どの船にもその柱の上に、旗が掲げられている。
様々な模様、色で描かれた旗は、川岸を埋め尽くす船の一つ一つに施されており、風を受け、一斉にばたばたと同じ方向に流れているので、整然として、美しかった。
「あの旗を事前に登録しておくんだ・・・。そして、あの旗を掲げていない船に、衛士が船で乗り付けて、身元を改める。だから、船を持っている奴らはみんな盗まれないように必死だ」
「なるほどな・・・。でもそれだと、偽造できるんじゃないか?」
「それも同じだ。偽造した旗を掲げていた者は、捕らえられるんだ。船で川を下って湖に入るところで必ず検問がある。そこで、一つ一つ確認されているから、よっぽど上手に偽造しない限りは捕まるだろうな」
「じゃあ、うまく偽造すれば逃れられるのか?」
「そんなに簡単にはいかないさ。なにせ、偽造された人間も、管理不足っていうことで、罰金が科されているから、皆偽造されないように、必死に図案を複雑にするんだよ」
どうりで、すべての旗が、カラフルで、そして趣向を凝らした図案が施されているはずである。
案内された船の近くには、すでにニールとアンネがいた。そして、グラントとその仲間の男たちも見送りに来ていた。
だが、シエラとルシカの姿がない。
だからどうということはないが、それでも一抹の寂しさを感じながら、近づいていく。
近づく俺たちを見て、アンネとニールが声をかけてきた。
「来たか・・・・」
「じゃあ、この船に乗ってください。僕が責任をもって向こうの「迷いの森」まで運びますよ」
「ありがとう」
グラントが重たい口を開いた。
「なあ・・・俺が言えた義理でもないが・・・・。もう行くのか?」
それは別れを惜しんでいるからなのか?しかし、シエラのことがあるからだろう、素直に受け取れない。
「ああ・・・」
そして、あいまいな返事しかできない。
「そうか・・・。若いのを付けるから、気を付けて帰れよ・・・」
手を差し出され、握り返したら、ぎゅっと抱きしめられた。
相変わらず力強い。
「じゃあ、お別れも済んだところだから、船に乗ろうか」
目の前の船は、決して小さい船ではない。むしろ、ニールと俺とシリウスと、そしてグラントが連れてきた数人の男たちが乗り込んでも、余裕があるだろう。
大きな帆を三枚ほど張った船底のずんぐりした中型船だ。
板を伝って、ニールが乗り込んだ。
次いで、シリウスが飛び乗る。俺も、膝に力を込めて、ぐっ、と飛び上がろうとしたその時、後ろのほうがにわかに騒がしくなった。




