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英雄伝説ー奴隷シリウスの冒険ー  作者: 高橋はるか
傭兵時代
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逃亡―暗黒森林七

暗く、どこまでも続く崖の底は、まるで地の果てまで続いているのではないかと疑うほどにぽっかりと口を開け、深く続き、その先をうかがい知ることはできない。

 びゅううう!と覗き込む僕らの前髪を揺らすように、地の底から風が吹きあがってきた。

 常とは異なる、少しか細い風の音が、まるで地の底にとらわれた魔物の苦鳴のように聞こえ、思わず身震いしてしまったが、それは寒さだけのせいではなかっただろう。

 見上げた先、向こうの崖は、十メートル以上も離れており、一足飛びに飛び越えることができる距離では決してないだろう。

 「どうする?」

 セルバの言葉が、深い谷底に木霊し、消えていく。

 左右を見渡しても、崖はどこまでも続いており、向こう側に渡ることは至難のように見える。

 「どうもしないさ・・・、なぜなら貴様らは今、ここで死ぬか、もしくは大人しく捕えられるかの二択しかないのだからな」

 ぞくりとした―――。

 背中が粟立つような感覚を覚える。

不意に背後から膨れ上がったように現れた気配に、思わず、がばっと後ろを振り返ると、その男はいた。

 薄い月あかりの中でも煌く鎧は、どこまでも美しく、そして神々しい。

 美しい金の装飾を施された長槍を手に持ち、だらりと全身から力を抜きながら佇むその男は、この宵闇の中で、薄く、ほの蒼く発光し、どこまでも神秘的だった。

 息をのむような美しさだった。

 「ニコライ・・・・・」

 ローグが苦々し気にその男の名前をつぶやく。

 「そうだ。貴様を一騎打ちで仕留めた帝国第四師団団長、ニコライ・ドラゴだ。よく覚えていたな」

 凛とした声音はしんしんと夜を切り裂き、ふっ、と嬉し気に細められた瞳に射貫かれ、僕らは一歩たりとも動くことができなくなってしまった。

 「そして、貴様らはともに戦場で闘った物共だな?その活躍、目に焼き付いているぞ・・・。だが、二人ほどいないようだがどうした?」

 「二人は・・・死んだ・・・」

 アイクが絞り出すように告げる。

 ニコライは、しばし、目を瞬かせると少し残念そうにうつむく。

 「そうか・・・。あの物共は死んだか・・・。できれば闘ってみたかったのだが・・・まあ、いい・・・。投降しろ」

 一瞬で殺気が膨れ上がった。思わず後ずさりしてしまいそうなほどの圧力だった。事実、ガルフたち四人は、じりっ、と後ずさりし、思わず崖から足を踏み外しそうになっていた。

 「どうしてここにいる?」

 「なんだ?そんなに疑問か?」

 思わず口をついて出たアイクの疑問に、ニコライは首をかしげている。

 「まあ、いい。これも戯れだ・・・、教えてやる。此度、反乱を行った奴隷共の再捕縛と、できなければ処刑を命ぜられた。それだけだ・・・。そしてその命を受けたのが、単純に私だった・・・。だからこそ、一軍を率いてこの暗黒森林に初めて足を踏み入れた・・・。それだけのことだ」

 気怠そうな言葉はどこまでも真実なのだろう。

 アイクが話の途中で、きょろきょろと注意深くあたりを探っていた。

 「ああ、部下なら森の中を逃げ惑っている・・・、私一人で来た。全く、あんなトカゲ一匹に追いかけられただけで何を慌てているのか・・・・」

 最後の呆れたような呟きに思わずどきりとしてしまう。

 すると、こちらに向かって、ひょいと何かを放り投げてきた。

 半身が木陰に隠れていたため、左手に何を持っているのか分からなかったが、掴んでいた物の姿があらわになる。

 どすん、とそれは地面に落ちる。オオトカゲの首だった・・・。

 大人の胴体ほどの大きさがあるその首を今の今まで片手に持ちながら僕らを追いかけてきたのだろうか?

 血が滴っているその首は、まだ切断されて間もないものだ。確かについ先ほどまで生きていた証がそこにはある。

 「まさか、そんなトカゲ一匹に逃げ惑うとはなあ・・・」

 ふうっ、とため息とともに吐き出されたそれは、哀れみの言葉だった。弱者に対する憐憫。はるか高みに立つ者だけに許された傲慢。だが、それをこの場にいる誰が否定できようか。僕らは、ただ呑まれたように立ち竦むだけだ。

 「さて、八人いるが・・・。ローグだったか?貴様もあの愛用していた偃月刀がない今だと、この私に勝つことなど万に一つもあり得ないと分かっているのではないか?」

 ぴくり、とローグの体が震える。

 「試してみるか?」

 挑発するように前に出たローグの姿にニコライがまるで滑稽なものでも見るかのように笑いだした。

 「貴様の使う魔法は土の魔法だろう?闘って分かったが、己の体を変質させ、硬質化させるだけだ、違うか?だからこそ、刃物が通らないのだろうが・・・。私の雷とは相性が悪かったな・・・。まあ、それでも、私より魔力が高ければ、それも叶ったのかもしれないが・・・」

 ゆっくりと槍の穂先をローグの目の前に突き出した。

 「ローグ!駄目だ!敵わない!」

 アイクが剣をすらりと抜き放ち、隣に並び立とうとするが、それを無理やり手で押しとどめる。

 「ローグ!」

 ローグが間合いを詰めるように、一気に駆けだした。

 槍の穂先が光のように閃き、その身を穿つようにうなりをあげ迫る。

 それを、すんでのところで躱して見せる。

 しかし、ニコライの槍の引き手は突きよりも速く、避けたと思ったら、もうすでに穂先が突き出されていた。

 それも、何とかすんでのところで躱す。いや、躱し切れなかったのか、穂先が衣服を裂き、胸元に浅く切り傷を負わせる。

 一つ、二つ、三つ、どんどん、どんどんと浅い切り傷が顔や、足、そして腕に付けられていく。

 ローグの額には玉のような汗が浮かんでいる。

 ポタリ、ポタリ、と血が、汗が地面に滴り落ちる。

 槍の間合いから、一歩も中に入ることができずにいる。

 しかし、その突きが三十を超えたあたりから、様相が一変していく。

 何度、その身を貫くところを幻視しただろうか?

 ぎゅっと握りしめた拳は痛いほどにきつく。焼け付くように張り付く喉は緊張でカラカラだ。

 どんどん、どんどん、ローグの体にしなやかさが生まれていく。

 柔らかく、そして軽やかに、身をくねらせながら、槍の穂先が、ほとんどその身に掠ることが無くなってきた。

 「ほう・・・」

 相手の口から感嘆のため息が漏れる。

 不意に、くるりと手の内で槍を回転させ、一歩踏み込みながら、ローグの胸元に石突を叩き付けてきた。

 それを、ローグは拳で払いのけるように弾き、逆の手で、相手の顔めがけてうなりをあげながら、拳を突き出した。

 その下を潜り抜けるようにもぐりこんだニコライは、逆に、握りしめた左拳を、ローグの下腹めがけて叩き付ける。

 どん!と、まるで岩を叩くような鈍い音が響き、一瞬ニコライが表情をしかめた。

 その瞬間、ローグが下から掬い上げるように膝蹴りを放つ。

 その膝蹴りを、両腕をクロスし、後ろに吹き飛ぶことで、衝撃を逃すが、少し驚いたような表情をニコライは浮かべている。

 「少し見くびっていたな。以前刃を交えたときは、攻撃一辺倒で、防御は己の体の頑強さを生かすだけの男だと思っていたが・・・。穂先の尖端の向きで、どこに突き出されるかを判断しているのか?」

 「ああ・・・。俺も敗北から学んだからな」

 「そうか・・・。今の武器のない貴様ならば、魔力を使わずとも勝てると思っていたが・・・。面倒だ・・・」

 次の瞬間、ニコライの体から、膨大な量の魔力が溢れ出てきた。


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