逃亡―暗黒森林六
場を緊張が支配した。
どんどん、どんどん、殺意が充満していく。
こらえきれず、ゴクリと喉が鳴ってしまった。
そのとき、僕らの正面から、がさがさ、と音がし、茂みをかき分けて、大柄な男性が近づいてきた。
彼は、居並ぶ兵士たちの一歩前に進み出ると、長槍の石突をとん、と地面に突く。
「ようやく見つけたぞ、大罪人共め!おとなしく捕らわれ、もう一度奴隷として帝国に仕えるのなら、軽い刑罰で許してやってもいい・・・、だが、もし、今ここで逆らうというのならば、五体満足で生かしてもらえると思うなよ!」
そう言うと、ぶん、とうなりをあげて長槍を一回転させ、その穂先をぴたりとこちらに向けた。
「特に、ローグ・エルビースト!貴様は何としても捕えるようにと厳命されてきている!もはや、どこに逃げようと貴様に安息の地などない!だとすれば・・・、今後怯えて暮らすよりも、ここでおとなしく捕まったほうがいいとは思わぬか?」
なかなか、襲い掛かってこない。
彼が、話している時、ローグに意識が向いた瞬間に、アイクが火打石を僕に後ろ手にこっそりと渡してきた。
それで、先ほどまで暖を取っていた焚火跡に火をつけろと言うことだ。
だが、暗黒森林では夜間に火をつけるなどもってのほかとされていることだ。
魔獣や魔物の中には、夜に活動を活発化させる物がいる。
―――普通の獣であれば火を恐れて近づいてくることはないが、魔獣や魔物は火の近くには何らかの獲物がいると知っているため、暗黒森林では、決して火をつけることなく、暗闇の中で、じいっ、と身を潜めて夜を過ごすんだ―――。
僕が初めてこの森に足を踏み入れた時に、リックが教えてくれた言葉がふと思い出された。
なんだか懐かしく思いながらも、真意を測りかね、アイクの背を見つめるが、アイクは早くしろ、と先ほどから指で指示を出すだけだ。
「どうして俺たちがここにいると分かった?」
アイクが、正面の男に尋ねる。恐らく時間を稼ぐ算段なのだろう。上手くいくはずがない――。そう思っていると、今にも飛び出さんとしているように見えた男が、その姿勢のまま、答える。
「ふん!貴様らに教えることなど何もない!だが、いいだろう、一つ教えてやるとするなら、貴様ら奴隷共がどこに逃げようと我ら帝国にはすぐに分かってしまうということだ」
「それは、何か所在地を確認する魔法のようなものなのか?」
「ふん!どうとでも捉えるがいいさ!だが、まあ、あながち間違ってはいない!」
「固有魔法か?もしくは俺たち奴隷には、奴隷になったときにその魔法が仕込まれたのか?」
「ふん!どちらでも貴様らには関係のない話だ!どちらにせよ貴様らはもうすでに逃げることなどできはせんのだからな!」
ここに来てようやく気付いた。
相手が攻めてこないことがずっと疑問だった。どうして投降するように勧告するのだろう?どうして有無を言わさずに捕えに来ないのだろう?どうして、先ほどから辺りをはばかるような低い声で、言葉を発しているのだろう?
―――簡単だ。怖いのだ。
僕たち剣闘士が。いや、厳密にはローグが。
そして、暗黒森林の夜が。夜に死角から延々と襲い掛かってくる魔獣や魔物が怖いのだ。
だからこそ!だからこそ、アイクはこの森でタブーとされる火を点けるように指示したのだ!あえて魔獣や魔物を集め、三つ巴の混戦となるように―――。
そして、僕らの数が八人だとしたら、相手は四・五十人ほど。であるならば必然的に襲われる確率が高いのは向こうのほうだ。
その混乱に乗じて逃げようというのだろう。
そうと分かれば、僕はゆっくりと気付かれないように、後ずさり、焚火跡ににじり寄る。
そして、ふっ、と一瞬視線を下に向け、武器をそろそろと腰に戻すと、汗に濡れた両手で、手渡された火打石を謝って滑り落とさないようにぎゅっと握りしめる。
そして、前方を確認し、僕に全く注意が向いていないことを確認すると、一瞬で腰を落とし、かん、かん、と甲高い音を響かせ、石を打ち合わせて火花を落とす。
そのまま焚火の燃え後に落ちた火花は、小さな種火となり、急いで投げ入れた藁に燃え移ると、途端に炎の勢いを増し、あたりを柔らかな赤色が照らす。
初めて火熾しをしたが、思いのほかうまく火を点けることができた。
皆、あっけにとられたように僕を見つめる中で、僕は近くに落ちていた枝を拾い、焚火にくべると、剣を手に取った。
「貴様!自分が何をしたのかわかっているのか!」
正面に立つ男の怒号を聞き流しながら、一瞬で間合いを詰め、居並ぶ兵士たちの中に入って行ったローグとアイクとセルバの背中を追いながら、僕も帝国兵の中に飛び込んでいく。
わおーーーーん!!!
どこか、遠くから、獣の遠吠えが聞こえた。
「くそ!早く火を消せ!」
正面に立つ男は今、単身ローグと闘っている。ローグは素手で、相手は長い槍を振り回しているが、ローグはひらり、ひらりと身を躱し、時にはその身に穂先を受けているが、全く傷を負うことなく、間合いを詰めていく。
僕ら三人が必死に帝国兵をかき回し、混乱に陥れ、ガルフら四人が火を背にしながら、懸命に守るように闘っている。
両脇から突き込まれてきた槍の穂先を、一方を剣身で弾きながら、一方をくるりと身をよじって躱して見せる。
そして、回転の勢いに身を任せ、そのまま左側にいた兵士が突き出した槍を引き戻すよりも早く、その首を撫で斬りにする。
勢い良く血を吹き出し倒れ行くその身を右側に跳んで避けながら、距離を詰めた右の兵士の心臓に剣を突きこむ。
慌てて槍を手の打ちで回転させ、石突で僕を殴ろうとしていたその兵は背中から剣を生やし、一瞬で絶命する。
その腹を蹴り飛ばし、後ろの兵士に死体をぶつけ、行動を邪魔しながら、後ろから斬りかかってきた兵の剣を、身をかがめ、いなす。
頭上を、ぶん、と研ぎ澄まされた鋼が通り過ぎていくが、僕の体を傷つけることはない。
返す刀で僕を切り伏せようと一歩踏み込んできたその足元に剣を突きたてる。
思わずバランスを崩し、悲鳴を上げながら倒れる兵の頭を踏み抜き気絶させた。
一人、二人、と木々の間を縫うように巧みに位置を調整しながら、四方から襲い掛かられないように、切り伏せていく。
その数が、五人を超えようかと言う時、前方の茂み、帝国兵たちにとっては後方から、「ぎゃあああーー!!」「うわああああーーーー!!!」という悲鳴が続々と上がっていく。
ついに魔獣がその姿を現した。
ちらりと木々の隙間からその姿を見ることがかなったが、月光に照らされた銀色に光る毛皮を持つ狼だった。シルバーウルフだ。
「くそ!まずいぞ!」
その言葉に振り向くと、ハスタが浅くけがを負い、のけぞった隙に、横を通り抜けた数人の帝国兵たちが、たき火を蹴倒し、必死で沈火しようとしている。
しまった―――。そう思う間もなく。最後に残った小さな火が、かき消される。
そして、あたりは再び闇に包まれる。
夜の闇の中で、皆の動きが一瞬、にぶる。
乱戦となった戦場で、同士討ちを避ける帝国兵とは裏腹に、しかし、僕らは一瞬で立ち直ると、しばし動きを止め硬直した兵士たちを次々と切り伏せていく。
そして、ずしん、ずしん、と遠くから地を揺らして何かがこちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。
それは、バキバキ、と木々を折り倒しながら、次第に近づいてきた。
ぎゃあああああああーーーーー!!!
盛大に帝国兵を吹き飛ばし、姿を現したそれを例えるなら、トカゲだ。全身を暗緑色の光沢を放つうろこに覆われ、地面に四本の足をつけ、身をくねらせながら尻尾を揺らし現れたそれは、まさしくトカゲだった。
その全長が、五メートル近くあることを除いては―――。
目の前で怯えるように震える帝国兵の一人が、一瞬で口の中に消える。
食われた―――。
ばり、ばり、と言う何かを咀嚼する音とともに、オオトカゲはゆっくりと周囲を睥睨する。
「くそおおおおおーーーー!!!!」
近くにいた数人の兵士たちが、総がかりで剣を突きこんでいったが、固いうろこに弾かれ全く痛痒を与えていないようだった。
そして、全力の攻撃を弾かれ、たたらを踏む兵士たちの一人に噛みつき、その上半身を食いちぎる。反対側にいた兵士を爪で切り裂く。
下半身から血を吹き出しながら地面にゆっくりと倒れる光景を、たちの悪い夢でも見ているかのような不気味な心持で眺める僕は、恐怖に強張る身体を必死に奮い立たせる。
そのとき、ふと、爪で切り裂かれ、弾き飛ばされた兵士の姿が目についた。
まだ、死んではいないようで、必死に起き上がろうとしているが、苦しそうにもがくと、どんどん、どんどん、と体の動きが緩慢になっていき、ついには立ち上がることができずに絶命してしまった。
傷跡が変色している!
ばっ、と地面に倒れた下半身だけの死体を見てみると、その噛み跡が、はっきりと分かるほどどす黒く変色していた。
居並ぶ兵士たちも、その様にたじたじとしている様子だ。
ぎょろり、とオオトカゲが無機質な瞳を動かし、次なる獲物を狙い定めると、視線上にいた兵士たちは、恐怖に負けたのか、「うわあああああああーーーーー!!!!」と叫び声をあげながら、一目散に逃げだした。
その背中を、見た目以上に俊敏な動きで追いかけ、食らいつく。
「逃げるな!我らの使命を全うしろ!」
後ろでいまだにローグと闘う男が盛んに何かを喚いているが、もはや士気が落ちた彼ら兵士を止めることなどできない。
どんどん、どんどんと離散が始めっていく。
泡を食ったように逃げだす兵士たちに気を取られた一瞬、ローグが、男の顎を拳で打ち抜き、昏倒させた。
「俺たちも逃げるぞ!」
アイクの言葉に、僕らは、誰とも言わずにオオトカゲが走り出したのとは真逆の、森の奥に駆け出した。
必死で、逃走しながら、上がる息を何とか抑える。
ふと、後ろを見ると、ローグと、アイクとセルバに怪我はない。
ローグは素手で闘っていたにもかかわらず、怪我を負っていない―――。
もちろん僕にも怪我はない。
しかし、後ろを必死で追いかけてくる四人は少なくない怪我をしている。
中でも、ハスタは肩口から、下腹にかけてざっくりと切り傷を負い、布で懸命に流れ出る血を抑えているが、それでもなお、ぽたぽたと流れ落ちた血が道に点々と跡を残す。
「ちっ!」
アイクが小さく舌打ちをしたが、それでも、必死で追いかけて来る四人を見捨てるようなことはない。
それ以外の三人は、かすり傷程度なのか、息は上がっているが、辛そうな様子はない。
三人が交代でハスタに肩を貸しながら、何とか必死についてきていた。
どれだけ走っただろうか?
薄い月あかりが照らす夜の森は、あまりにも足場が悪く、思っている以上の速度を出すことができない。
時たま、石につまずきそうになるが、何とか体勢を戻す。
ひょい、と行く先を塞ぐように木の枝が突き出してくるが、手で払いのけ、先を進む。
折れた枝に衣服が絡まり、それでも、無理やり先に進んできたせいか、どんどん衣服が破れていく。
もはや、ぼろ布を身にまとっていると思われても仕方がないほどに、ずたずただ。
そして、顔に、露出した肌に、どんどん、どんどんと薄いかすり傷を負っていく。
全身がひりひりと痛んだ。
熱を持ったように体が熱い。
いつまで走り続けるのだろうか?
もはや、帝国兵たちの姿は全く見えない。奥に進むにつれ、どんどん木の密度が濃くなっていく。走りにくさも増していく。
そのとき、何か、水の音を聞いた気がした。
先頭を行くアイクも何かに気付いたのか、ゆっくりと速度を落とすと、ついには木の幹に手を突き荒い呼吸を吐き出しながら、息を整える。
「どうした?」
セルバが不安そうに問う。
「何かこの先にある・・・。気を付けろ・・・」
そういうと、じりじりとにじるようにゆっくりと前進する。
僕らもそれに習いながら、ゆっくりと足元を確認するように、前進した。
びゅう!と一陣の風が僕らの足元から吹き抜けていく。
思わず足を止めた僕は、じゃりっ、と石に足を取られ転びそうになってしまった。
何とか、手をついて転ばないように踏みとどまったが、弾みで蹴り飛ばした小石が、前方に飛び、そして、一メートル先の地面で数回跳ねたのち、ふっ、と消えた。
僕らは互いに目を見合わせ、石ころが消えたところまでにじり寄ってみると、そこは崖だった。




