魔法三
次は誰が闘うのか――。お互いに見つめ合い、その死刑宣告にも似た残酷な指名を待つ。
つか、つか、と控室の外から革靴の響く音が聞こえてきた。
扉を開け入ってきたのは、数人の兵士を従えたレイモンドだ。
ゆっくりと僕らを睥睨すると、口を開く。
「次は誰が行く?」
簡潔に、唐突に問われたその内容に、皆一様に固まった。
そしてそのままお互いを見つめ合い、一斉に隣に立つ剣闘士にお前が闘えと喚きたてる。それは、騒音のように控室内に木霊し、しばらくの間、手が付けられないほどの騒がしさに思わず辟易してしまう。
そんな僕らを見て、普段は決して表情を変えないレイモンドがくすりと笑った気がした。
思わず目を見張った僕の目に、相変わらず無表情のレイモンドが映る。もしかしたら見間違えたのかもしれない。
そんなことより!僕は思わず大きな声を出していた。
「あの!」
思いのほか響いた声に僕自身が思わずびくりと身を震わせる。皆の視線が集まった。
「あの・・・」
「なんだ?お前が行くのか?」
レイモンドに投げかけた視線をゆっくりと見返しながら、問い返すその瞳に相変わらず光はない。
「いえ・・・あの・・・今度は何人で闘うんですか?」
「五人以内だ。闘いたい者がいるならばな」
その言葉は室内にいる皆の耳に届き、再び沈黙が訪れる。
互いに見つめ合い、また騒ぎ出すかと思われた瞬間、レイモンドが口を開く。
「いなければこちらから指名するぞ」
再び、お互いに怒鳴り合う声が響き渡った。
それは己の命を大事に思うが故、決して間違ったことではないだろう。
しかし、お互いに、お互いを罵り合い、優位に立とうとする姿はみっともなく、お前が闘えと脅しつける様は見ていて気分のいいものではない。
僕は隣に立つリックを振り仰ぎ、ぼそりと問う。
「リックなら勝てるんじゃない?あの、「ファントム」と闘ったときのように・・・」
「黙れ!それ以上話すな!」
僕の言葉は、リックの低く冷たい言葉に遮られた。それはあまりにも冷たく、そして暗い。今まで聞いたことがないほど怒りを伴って発せられた言葉に思わずびくりと身を震わせた。
事ここに至って、思い至ってしまった。
――ああ、誰もかれも、己の命が大事なのか・・・。
それはあまりにも当然のことで、身近なことで、どうして今まで僕はそのことに気付かなかったのだろうか?と逆に不思議に思ってしまった。
そして、気付く。今まで片時もそばを離れず、守ってくれていた兄の存在を。ともすれば自分の命など二の次、簡単に投げ出してしまえるものとでもいうように、僕のために必死で闘っていた兄の姿がふと心の中に浮かんできた。
我知らず、右手が震えた。
今からすることは無謀なことだと分かっている。
でも、これは、なんと言葉にすればいいのか分からないが、これは、あの憧れの兄に追いつくために必要なことなのだ、と悟ってしまった。
「やめろ。お前が考えているそれは決して意味のないことだ」
ふと、押し殺した声が聞こえ、視線をあげると、リックが、苦い表情を浮かべながら必死に言葉を絞り出している。
何が?とは問わない。恐らくリックなら、僕が何を決意したか理解したのだろう。そして、そんなことわかっている。言われなくてもわかりきっている。
ともすれば、ただ命を落とすだけになってしまうかもしれない。僕が今からすることに意味はないのかもしれない。誰の心にも響かないのかもしれない。
しかし、それでも僕はやらなければならない。
キッ、と歯を食いしばって前を見据える。
「頼む。やめてくれ」
必死の制止は懇願に変わり、それでも僕の気持ちを変えることはできない。
「頼む!決して名乗り上げるな。お願いだからそれだけはやめてくれ」
その言葉を遠くに感じながら、僕は震える右手を高々と掲げる。
皆の視線が集まった。
「なんだ?」
「僕が出ます」
今僕の目に映る世界には僕とレイモンドしかいない。そこだけ切り離されたように、他のすべてが色あせて見えた。
「お前ひとりでか?」
「はい」
そのままお互いに見つめ合う。今目の前にいる男が、兄の敵だとは分かっている。一年前のあの時から、殺したいほど憎んでいる相手だ。しかし、そんな怒りすらも、今は薄れてしまったようにぼやけて感じてしまっている。
夢か現か、あいまいな微睡の中をうつらうつらと歩むように、今目の前に映る現実がふわふわと儚く蠢く。
どれだけ見つめ合っただろうか、今度ははっきりと、間違いなくその瞳が怒りを宿したことが、感情を映したことが分かった。
「分かった。他に出場したいやつがいなければ貴様一人になるがいいか?」
「はい」
ふっ、と外された視線ははるか遠くに感じる。
「誰かほかに出場する者はいないか?」
誰もが目を伏せ、黙したままだ。
「誰もいないのならば・・・準備しろ。観客が待ちわびている」
そう告げると、くるりと身を翻し、その場を後にした。
残された僕らの間には気まずい沈黙が支配した。
一人、また一人と、控室を抜けていく。誰もが僕に視線を向けるが、その目を彷徨わせたまま、口を開きかけ、結局何も言わずにその場を去っていく。
別に慰めの言葉などいらない。
激励の言葉などいらない。
期待も、嘲笑も、諦念も、そして哀れみさえもすべて飲み込んで僕は名乗りを上げた。
だとすれば、今僕が本当にほしいのは、いったい何だろうか?
その答えはすぐに出てきた。
それは意志だ。
兄が、あの戦争で生き残ることを決してあきらめなかったように、最後の最後まで奴隷の身分から自由になることをあきらめなかったように、己の人生を切り開くという強い意志を僕は兄から受け継いだ。
だとすれば、僕が今闘うことで、僕が闘うことを決意したことで、同じような意志を受け継ぐ者たちが出てきてくれればいい。ただ、ただ、それだけを祈った。
だからこそ僕は前を向く。絶望的な局面で決してあきらめないように強く決意し、震える手を必死に抑えながら、壁に掛かっている剣を手に取り、選ぶ。
選んだ剣を腰に佩き、丸盾を左手に構えたときには、室内にはもうほとんど人影はなかった。
くるりと振り向き見渡した室内に残っていたのは四人。
ひどく申し訳なさそうな表情のローグ。だからこそ笑って伝える。
「今、ごめんって言葉はいらないよ」
「そうか・・・」
怒りを飲み込み、激励の言葉をかけようかと苦渋に顔を染めたセルバ。だからこそ、簡潔に希望する。
「祈っていて」
「分かった・・・」
ひどく悲しげな表情を浮かべるアイク。だからこそ、ただ素直に告げる。
「行ってくるよ」
「ああ・・・」
そして、ともすれば生気の抜けた、絶望に打ちひしがれた様子のリック。そんな様子のリックは初めて見たかもしれない。初めて見たからこそ、だからこそ、あんな言葉が出たのかもしれない。
言葉をかけることもなく、過ぎ去り際、背中越しに問うた。
「兄さんなら・・・勝てた?」
「ああ、勝てた」
「そうか」
その言葉はすでに知っていた。僕が憧れてやまないあの兄さんが、あんな魔獣相手に負けるはずがない。だからこそ、僕なら勝てるか?とは口にしない。
まだ、届かないことなど理解しているから。
一番身近に見てきた僕が、一番理解しているから。
勝ちたい―――。
その時初めて強く願った。
闘技場まで続く道は薄暗く、果てしなくどこまでも続くような気がした。
歓声がこだまするこの薄暗いトンネルを抜けると、視界が一瞬で開けた。
ぐるりと三百六十度広がる観客席を、今まで見たこともないほど多くの人が埋め尽くしている。
対面に立つのは、遠くから見てもわかるほど大きな魔獣。
その毛並みは、あまりにもきれいで思わず見とれてしまう。
こちらをゆっくりと見つめ返す雪狼の瞳に警戒の色はない。ただ、ただ、澄んだ瞳で見返され、不思議と清澄な心持になってくる。
ふと感じた手足の冷えに、身震いしながら、我知らず詰めていた息を吐くと、それが白く煙のように見えて、思わず、驚いてしまった。
周囲の雑音など耳に入らない。ただその言葉だけを待ち、神経を研ぎ澄ませる。
そして、その時が来る。
「さあ!」
ゆっくりと口を開く雪狼のぎっしりと生えそろった鋭い牙が、ここからならはっきりと見える。
「があああああああ!!!!」
「始めえええええ!!!!!」
二つの声がかぶさり、はじき出されたように闘技場の端から端を目指して一直線に駆け出した。
ぐんぐん近づく間合い。近づくにつれてその獣の大きさが際立ち、どんどん足が重くなるような錯覚を感じる。
肌がひりつくほど寒く、吐く息が白く凍っているにもかかわらず、背中を伝う冷や汗が止まらない。
そして見つめる先、何かが陽光に照らされ、まばゆいばかりの輝きを放ったかと思うと、急速に、氷の槍が生成され、回転し始める。
勢いよくこちらに向かって射出されたその数本の槍を躱すため、横っ飛びに跳んだ。
一歩、二歩、三歩と大きく跳躍する。
僕が踏む影を、過たず十分な速度と質量を誇る氷の槍が叩く。
盛大な土煙と、氷の破片を飛び散らせ、壊れてゆく氷の槍を横目に、一歩、二歩と前進する。
あと少しで届く―――。




