魔法四
ぐんっ、と右手を後ろに振り上げた勢いに合わせて、剣を思い切り突き出した。
――瞬間、雪狼の視線の先、僕の目の前に、きらりと煌く何かが、一瞬見えた。
ぞくり、と寒気がする。
突き出した剣の勢いに合わせて、前方に転がるように体を倒す。
間一髪―――、僕の髪の毛の上を勢いよく何か冷たいものが通り過ぎていった。
前転姿勢の中で、後ろをちらりと振り返れば、そこには数十の氷の礫が撃ちだされるさまが見えた。
必死で起き上がり体勢を立て直すと、そこには前足を振り上げた雪狼の姿が―――。
胸元を抉られる―――。
恐ろしく強い力で、胸元を爪がかすめた。くるりと力に逆らわずにそのまま身を投げ出し、一回転することで、攻撃を流し、そのまま、右側面、相手の視界の外から、剣を横薙ぎに叩き付けた。
がつん!あまりにも重い手応えに、思わず剣を取り落としそうになった。
まるで大きな岩を叩いているような感触がする。急いで剣を引き戻したが、そこには全くの無傷で、白く美しいままの毛皮が、初冬にしては冷たい風にそよそよとそよいでいるままであった。
三度、雪狼の背後の空間が、きらりと光った。
己の勘に身を任せ、盾でその身を守りながら、必死に横に跳び下がる。
がん!と盾の左側が大きく後ろに吹き飛ばされた。一瞬で撃ちだされた氷の礫が、盾にあたり、まるで投石機によって吐き出された石の礫ほどの威力をもって盾に叩き付けられた。
あまりにも理不尽な威力。あまりにも理不尽な攻撃にさらされ、萎えかけた気持ちを懸命に奮い立たせ、前を向く視線の先に、大口を開け飛びついてくる雪狼の姿が見える。
勢い余って体も流れ、その鋭く冷たい牙がぐるりと並ぶ無慈悲な攻撃のもとに、思わず無防備な姿をさらしてしまった。
どうする―――?
考える前に体が動いた。
振り上げた足を、雪狼の鼻面に思い切り叩き込んだ。全く痛痒を与えていない様子だったが、狙いは攻撃ではない。
思い切り蹴りつけると同時に、ふわりと飛び上がり、蹴りの勢いでもって己の体を後方に吹き飛ばす。
それによって、何とか噛みつきの間合いから逃れた僕は、必死に体勢を立て直し、雪狼の横に、横にと位置取りを変える。
ここまでわずかな短い間しか闘っていないが、わかってきたことがある。
一つに、氷の魔法攻撃をしてくる際は、その空間のわずかな歪み、光によってその兆候を読み取ることができる。
二つに、恐らく、近間の距離だと、自分にも当たってしまう可能性があるからだろう、敵の背後から攻撃魔法を撃ってくることはない。
三つに、近間の距離になると、どうしても、攻撃魔法による迎撃よりも、噛みつきやひっかき、爪による切り払いなど、身体的、そして物理的な攻撃が多くなる。
だとすれば―――。そこに勝機を見出す。
だとすれば、近間の間合いのほうが、読みやすい攻撃が多くなる。
確かに、近い距離で攻撃魔法による迎撃をされると、回避しづらく、距離的な減衰がないため威力が高い。だが、見えない死角から狙われる可能性が少なくなり、己を巻き込むような大魔法の行使が減る。
なにより、遠い距離を詰める手段がない今の僕には、剣の届くこのわずか一メートル内の間合いにこそ活路を見出すしかない。
長期戦は望むところだ!
魔力は行使すればするほど、疲労感が増すと聞いたことがある。
さあ!来い!魔法でもなんでも掛かって来い!
絶対に最後、この闘技場に立っているのはこの僕だ!
その強い思いが伝わったのだろうか?それとも単純に己の周囲に付きまとうように離れず、剣を叩き付けてくるこの矮小な生き物が邪魔で、うっとうしくて仕方ないからだろうか?
ぐるるるるる・・・。と苛立ったように唸り声をあげると、先ほどまでとは打って変わって、大きく体をひねりながら、一段と動きの素早さが増した。
横に回った僕の後を追うように、反対側の前足から繰り出される、爪による切り払いを少し後ろに後退することで、ほんのわずかな間合いで躱す。
僕の鼻先を、その首を吹き飛ばさんと剛腕が通り過ぎたが、当たることはない。
ぶおん!とあまりにも鈍い音を立てて空気を割く音が耳の横で聞こえた。
今の一撃がかすっていれば、ただでは済まなかっただろう。
しかし、当たりさえしなければどうということはない。
再び僕を眼前に捉え、跳躍しながらの噛みつきを、今度は余裕をもって横に躱すことで逃れる。
大きな体に隠すように、背後の空間がきらりと光っていたのを見ていたので、横に躱しながらも、踏み出した足を折り曲げ、しゃがみこむことで、雪狼の大きな体を障害物とし、頭上を通り過ぎる氷の礫を躱す。
その体勢から、起き上がる勢いを利用して、雪狼の横腹に剣を下段から切り上げながら叩き付けた。
どん!と鈍い音が響き、先ほどとは打って変わって、水の一杯に入った革袋を叩いたような鈍い手ごたえを感じた。
その瞬間、ぐるり!と勢いよく顔をこちらに向けてくる雪狼の表情ははっきりと憤怒に彩られていた。
効いている!確信に近い何かが僕の中に弾けた。
歓びもつかの間―――。
一瞬で目の前、雪狼と僕の間を分断するような大きな氷の壁が音を立てて生成されていく。
一瞬その不可解さに思考が停止する。しかし、背後から、またひやりとするような悪寒を感じ、くるりと後ろを振り向くと、そこにはこちらを刺し貫かんと鋭く先をとがらせた氷の槍が数十本、高速で回転しながら、こちらに向かって飛来する。
「くそおおおおお!!!」
心の底から漏れ出る叫びに身を任せながら、剣を、盾を、構える。
逃げ場をつぶすように飛来するその槍をただひたすら見つめる。
飛来する槍がいくら大きかろうが、いくら速かろうが、一直線にしか進まないその槍を初動で見極めることはできるはず!
一本目が動き出すと同時に、二本、三本とわずかな時間差をつけ、確実に逃げ場をなくすように飛来するその槍を、極限の集中の中で見極める。
最初の一本を最小限の動きで躱して見せる。
二本目は、剣で思い切り側面を叩くことで、わずかに逸らし、その射線の外に出る。
三本目は盾で思い切り弾くように受け流すことで直撃を免れ、四本目は一本目の破片とぶつかるように位置取り相殺してしまう。
五本、六本と飛来する氷の槍を剣で、盾で、そしてある時は周囲で砕け散る氷で弾き、流し、相殺し、それが十本を超えたところで数えることをやめた。
どんどん土煙が上がり、悪くなる視界。
どんどん摩耗する盾。
どんどん刃こぼれしていく剣。
どんどん痺れるような痛みを蓄積していく両腕。
上がる息は必死に抑え、きしむ筋肉を懸命に動かし、永遠にも感じる時の流れの中で、あまりにもゆっくりと見える氷の槍を撃ち落とす。
空中に浮かぶ氷の槍が撃ち尽くされ、濛々と立ち込める土煙が晴れた時、観客や奴隷たちはそこに凄惨な肉塊を想像し固唾をのんで見つめていると、一人の男の影が浮かび上がる。
それは、青年と呼ぶには少しばかり幼く、少年と呼ぶには少しばかり大きな、そして同年代の男に比してはるかにたくましい男が、立っていた。
ぜえ、ぜえ、と肩で息するその男は満身創痍に見える。
砕けて飛来した氷の破片は、わずかにその皮膚を傷つけ、少なくないかすり傷を負っている。
だらりと下げた両腕は、引き攣ったように痙攣し。
それでもなお、その男はいまだ闘技場に立ち尽くす。
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!
大地を、大気を震わす程の歓声が上がった。
対面する獣は、確かにその感情の読めぬ瞳を驚愕に見開き。
まるで、何が起こったか分からぬとでもいうように、ぽかんと立ち尽くしている。
好機!
僕は一瞬で地面を蹴り、どうしてか、動きのない雪狼の眼前まで距離を詰めると、その剣を突き出し、雪狼の大きく開かれた瞳めがけて突き込む。
眼前に煌く白銀の刃先を突き出され、弾かれたように顔を背けるが、時すでに遅し。
ずぶり!と確かな手ごたえをもって、左目を傷つけた。
だが、しかし、相手もさるもので、一瞬で反応されたため、目の奥に突き刺さったのではなく、眼球を抉っただけにとどまったようで、激痛にのたうち回るように爪を振り回すが、死ぬ様子は見受けられない。
「があああああああああああ!!!!!!」
痛みにうめく雪狼は、周囲一帯を薙ぎ払うかのように左右の前足を閃かせ、その強靭な爪で空気を切り裂いており、迂闊に近寄ることができない。
地面をのたうち回ること数瞬、こちらを憎々し気な単眼で見つめ、見る者を射すくめるような鋭い眼光でにらみつける雪狼は、ゆっくりとその身を低くする。
わずかにこちらを警戒するように見つめ、すぐさま飛びかかってくる様子はない。
左目が潰れた今、死角となるそちらに位置取りをし、攻撃をもらわないようにしよう。
そう思い、ゆっくりと回るように、右に足を踏み出したとき、ふと違和感を感じた。
寒い―――。
あまりにも集中していたから今まで感じることができなかったのか―――?
いや、違う!先ほどと比較して、圧倒的に寒い!
手足の感覚がなくなるほど周囲の温度が寒くなってきている!
まるで、自分の足が、手が、自分のものではないように感じる。
今まで感じたことがないような寒さに、思わず身震いしてしまう。
先ほどまで、うっすらとかいていた汗が一瞬で冷え、乾いてしまっている。
地面には霜が降り、吐く息が今まで以上に白い―――。
いや!このコロシアムで吐く息が白かったことなどあっただろうか?
あまりの緊張に気が回らなかったが、この町は真冬になろうが、そこまで寒くはならない。
だとすれば―――。
ゆっくりと視線をあげる。
そこには、待ちわびたかのように、歪にその口元を笑み歪める雪狼の顔があった。
雪狼の特性は、氷の魔法を使用するのではなく、周囲の温度を下げるのか!
このコロシアム全体を覆うほどの範囲で周囲の温度を下げるにはそれなりの時間が必要だった、ただそれだけのことだろう―――。
これは―――まずい―――。
寒さに慣れていない僕にとっては圧倒的に不利。
厳冬の地域に生息する雪狼にとっては圧倒的に有利。
だからこそ―――、だからこそ、ローグは言ったのか!
雪山なら雪狼に勝つことはできない―――。と。
考えがまとまらない。どうすれば?
現状を打開する方法を必死に模索するが、全く見つからない。
混乱する僕に、ゆっくりと動き出した雪狼が、次の瞬間には滑るように滑らかな動きで間合いを詰めると、体当たりしてきた。
横っ飛びに躱そうとするが、かじかんだ足が思うように動かず、慌てて構えようとした盾を取り落としそうになり、それでも何とか直撃は免れるも、体の左半分がばらばらになったのではないかと錯覚するほど強い衝撃を感じ、そのまま構えた盾を取り落としながら吹き飛ばされてしまう。
一瞬息が詰まった。
背中から地面に落ち、衝撃で、剣を取り落としそうになってしまう。
必死で体勢を立て直そうとするが、左腕がしびれたように動かない。いや、左腕だけでなく、全身が、痛みを感じない。ただ、ただ、痺れたように引き攣って動かない。
衣服に付着した霜を振り払うのももどかしく、立ち上がろうとするが、膝から下に力が入らずに、砕け落ちるように地面に腰を落としてしまう。
ゆっくりと雪狼が近づいてくる。
約数メートルの近さで止まった雪狼の表情は喜悦に歪んでいる。
早く立ち上がらなければ―――。
震える足に必死に力を込め、膝に手を突きながら、なんとか、立ち上がった。
そのとき、目の前の空間がきらりと光った。




