#38 Beyond the “Red” Line
「……オイ、何のつもりだよ? シャーロット」
僕の忠実な下僕はそのハズれた異能を使い、僕と殺人鬼との間に割って入った。
その滑らかな背中……耽美な羽の付け根部分には人間の少女が落ちないよう必死に掴まっているのが見える。
「なあ、流石にその位置じゃ余波に巻き込まれるぞ。離れてろ」
僕の至極当然な忠告。それでも、彼女は頑として動かない。困った。
シャーロットを通り抜けてアイツに攻撃を当てるほど、僕は器用じゃない。流れ弾に巻き込まない自信はない。
「聞こえなかったのか? いいか? もう一度言うぞ?」
出来る限り、所有物を壊したくないので声を大にして勧告。
「なあシャーロット……俺はどけって言ってんだ。邪魔だし壁になるからさ!」
障壁は微動だにしない。紅い口をきつく結び、その碧眼には、深い哀しみと決意が刻まれている。そうかい。
あくまでも動く気はないってことですか? もういいや。めんどくさい。
「……もういいよ。理解した。でも、忠告はしたからな……一緒に消えてろ。オマエの永遠もここで終わりだ。自らを縛っているオマエの鎖を叩き切ってやるよ。それもオマエごとな」
言うことを聞かないモノは要らない。壊れた玩具は捨てる。不要なものは廃棄する。自然な思考の終着点。ただ、それだけだ。
「ねぇ、御主人様……」
「何? 命乞い? それとも遺言か? 何にせよ言うだけ言ってみろよ。何を言ったところで心変わらないけれど、今際の言葉位は聞き取ってやる」
ほんの少しの同情心。欠片しか無い憐憫の心。
モノにもそれ位の尊厳があってもいいだろう。消耗品をただ使い捨てするのは、余りにも忍びない話だろう?
「ねぇ、聡明な御主人様は疑問に思わないのかしら?」
何をだ? 僕にはオマエのその質問が一番の疑問だよ。
考える理由も意味もない。ただの時間稼ぎか? もういい、消えろよ…。
動じない決意の声。
「この位置関係。現在の状況。そして貴方の姿。その全てがおかしい。気づかないのかしら? その齟齬を貴方の小さな脳みそはきちんと理解している? 視界は曇っていない?」
あぁ? 位置関係? 状況? 僕の姿? はぁ? そんなも一目瞭然じゃないか。考えるまでもない。
言葉の通り、言うまでもない。一目瞭然。見れば分かるのだから。
「疑問も何も…糞ロリコンがグラウンドに埋まって辛うじて虫の息。その上に亜希子を抱えたシャーロットがホバリングしていて、それで僕がオマエの更に上空でい…て……え?」
そ、れで…? いやいや、ちょっと待て……上? 上って? 異能に寄るホバリング? フロート? フライング? シャーロットの更に上空に僕がいる?
異能による羽をはためかせ飛んでいるシャーロットたちの更に上に? 僕が…いる?
この反応は既に織り込み済みとばかりに努めて冷静に、シャーロットは淡々と話を進める。
「そしてこの状況」
テレビから大怪獣が出てきて、大暴れでもしたような校庭の荒れ様は何だ?
地震雷火事――――――それらを内包した大災害シリーズが連続でピンポイントに襲ってこない限り、よもやこんな風にはならないだろう。いや違う。そこじゃない。大事なのはそういうことじゃない。
何故、半端者の僕が、ジャンル的に格上の存在である所の『彼』を消そうとしている? おかしい。
どうして僕が、彼を消すという選択肢が選べる? 歪だ。
僕は異形として中途半端で、完全にハズれている『彼』の攻撃を躱すのに精一杯だったはず。物理的に有効な決定打がなく、入ってきた記憶を頼りに心の傷を攻めるのがせいぜいという情けない状態だったんじゃなかったのか?
冷たい追撃が暇無く。
「最後に貴方自身」
その口調、人格、思考に嗜好、性癖や性格。性質。人格攻撃を核にした戦術。スタンスやスタイル、或いはパーソナリティ。
「それが貴方の本質なら別に良い。私としては一向に困らない。どんな貴方も愛おしいし、好ましい」
―――でも、東雲雪人は違うでしょう?
そうだ。なんで?
どうして僕はシャーロットを消そうとしている? モ、ノ…だって? 下僕…? 違う。おかしい。筋が通らない。何の話だ? トボけたヒューズが弾ける。オンボロの脳細胞。遠くの再起動。リセット。
幼馴染の少女、僕にとっての唯一である亜季子を助けてくれて、今なお彼女を背負って非常事態の緊急事態から健気に気遣い守護しているシャーロットを消す? それも亜希子ごと? なんで? できない、ありえない。
僕の性格や性癖? パーソナリティ? 何だよそれ食えんの? 違う。否定の連続。連なる疑問符。錯綜する思考。考え?
目的の倒錯。自意識の錯乱。どうして? なんで? 理解不能。そんなシャーロットを躊躇いなく切ろうとした? 消す? は? 大した目的も執着も無しに排除するつもり? 意味不明? 彼女を『僕には』要らない物として、何故投棄して、廃棄しようとした? 思いの婉曲。編成不足。源泉の行方不明。根源の喪失。
玩具。道具? いやいや、わからない。リスタート。目の向ける。付け所? シャープ? クレバー? リアリスティック??? 分からない。なんで? そんなこと。おかしい。無頓着。ループループリピート。疑問符が消えない。執着駅はどこ? 落とし所はいずこ? はてさて? どうして? 解答が見つからない。なぜ? 無回答。沈黙。逃亡と敗走。エンドレスに持たないの? 停止。なんで? だけどひたすらに繰り返される自問自答。繰り返し。無理。無駄? 無意味! 根拠の無い当て推論。延々と螺旋し続ける質疑応答。閉じたメビウスの輪。
だめだ。知らない分からない解らない理解出来ない! 誰でも良いから誰か教えてくれよっ!
無常なのか有情なのか―――この世界は図らずとも、答え合わせはすぐさま行われた。
薄く差す朝日が闇夜を照らし、校舎の窓ガラスというスクリーンに全てを映し出す。
現在の姿を。嘘偽りのない、『ありのまま』の僕の姿を。
ゆっくりと真実を映す。一切の遠慮も躊躇もなく。
ただそれが義務とばかりに、ただそこに映す。
だれ、だよ? おまえ…俺……もしかして、僕………?
貧相かつ筋肉質ではない薄い背中に淀んだ黒翼を生やしたオマエはだれなんだ?
なんでこんなに高いところに当然のようにいる。
飛べないはず人間、イカロスの子孫である僕は何故自在に空に舞っているんだ?
どうしてお前の両の手はそんなに鋭く尖っている?
まるでナイフじゃないか。『殺人鬼』の様に触れれば切れるし、刺されば死ぬぜ?
何故お前は笑顔で他者を傷つけることをよしとした?
お前のその淀んだ瞳はなんだ?
典型的な岡目八目。致命的な灯台下暗し。
だらしのない口元。さながらヴァンパイアの様な犬歯。
何だよそれ、これすら僕の咎なのか?
だって、それじゃあ…もしかして、その容貌はまるで……。
それは火を見るより明らかなことで、一目見れば思い当たるような事象で、僕を観測する僕以外のものにとっては一目瞭然に、それこそ岡目八目で灯台下暗しな事象で、『僕』を除いた取り巻く全ての観客にはハッキリと分かっていて―――
況や、『それ』を今の今まで理解していなかったのは愚鈍かつ無能、加えて致命的に革命的に、異常なまでに驚くほど察しの悪い愚者だけで。
全く嫌になる現実。不都合な事実。僕にとって厳しい真実。
ひと際深い溜息を吐き出しながら祈るように―――ようやく『それ』を理解した僕は、明け方の空を見上げて、思い当たった事象を、口に出して確認した。
一体誰に向けた確認事項なんだ? クソみたいな現状において別段必要の無い必要連絡。ホウレンソウ? 社会人の常識? くだらない。
「そうか…僕は…僕はっ、笑えることにさあ。完璧に、完全に、手遅れな程にっ…もうヒトから、人間からっ! もう僕はそのカテゴリとジャンルとかからさあ―――遠く遥かに、ハズれてしまったんだな……」
いっそ笑えるわ。