第21話 遠くから見る真実の王妃
第21話 遠くから見る真実の王妃
秋晴れだった。
雲一つない青空がどこまでも広がり、国境の街は祭りのような熱気に包まれていた。
通りには色鮮やかな旗が掲げられている。
ルクセリアの紋章。
黄金の獅子。
人々の笑い声。
楽隊の演奏。
焼き菓子の甘い香り。
焼いた肉の香ばしい匂い。
子供たちの歓声。
街全体が祝福に満ちていた。
レオンハルトは群衆の後方に立っていた。
最前列ではない。
中央でもない。
一番後ろだった。
麻の上着。
紺色の作業着。
革の靴。
どこにでもいる帳簿係の男だった。
それで良かった。
今さら目立つ資格などない。
それでも彼は来た。
どうしても見たかったからだ。
正式婚約発表の日。
ルクセリア大公アレクシスとエレノア。
その祝賀パレードだった。
「すごい人だな」
隣にいた老人が笑う。
「国中から集まってるらしいぞ」
「そうですね」
レオンハルトも頷いた。
道の両脇には人が溢れている。
農民。
商人。
職人。
貴族。
誰もが笑顔だった。
誰もが今日を祝っていた。
やがて遠くから音楽が聞こえてくる。
トランペット。
太鼓。
歓声。
人々が身を乗り出す。
「来たぞ!」
「婚約パレードだ!」
街が揺れるような歓声。
レオンハルトも顔を上げた。
騎士たちが進む。
磨き上げられた鎧が太陽を反射して眩しい。
続いて楽隊。
そして豪華な馬車。
黄金の装飾が施された白い馬車だった。
人々が一斉に手を振る。
「エレノア様!」
「アレクシス様!」
「おめでとうございます!」
歓声が響く。
レオンハルトは息を呑んだ。
馬車の上に二人がいた。
アレクシス。
そしてエレノア。
秋風が彼女の髪を揺らしている。
深い蒼色のドレス。
銀糸の刺繍。
首元には上品な真珠。
決して派手ではない。
だが圧倒的に美しかった。
レオンハルトは目を離せなかった。
かつて王妃だった頃のエレノアとは違う。
もっと自由だった。
もっと自然だった。
笑っている。
心から。
本当に楽しそうに。
その姿を見た瞬間。
レオンハルトは理解した。
王宮では見たことがない笑顔だった。
思い返してみれば当然だった。
エレノアはいつも働いていた。
朝から夜まで。
帳簿。
契約。
交渉。
予算。
赤字補填。
問題処理。
誰よりも忙しかった。
そして自分は。
その隣で何をしていただろう。
命令ばかりしていた。
当然だと思っていた。
感謝すらしていなかった。
胸が少し痛んだ。
だが嫉妬はなかった。
不思議なほどなかった。
むしろ安心していた。
馬車の上でアレクシスが何か話している。
エレノアが笑う。
そして何かを返す。
二人は対等だった。
それが分かった。
夫と妻。
主従ではない。
支配する側と支えられる側でもない。
同じ景色を見ている。
同じ未来を見ている。
対等なパートナーだった。
「なるほどな」
レオンハルトは小さく呟く。
隣の老人が首を傾げた。
「何がだ?」
「いや」
レオンハルトは微笑んだ。
「ようやく分かったんです」
昔の自分は勘違いしていた。
エレノアは王妃だったから優秀なのではない。
優秀だから王妃になったのでもない。
もっと大きかった。
もっと高かった。
最初から世界を動かす人だったのだ。
自分が王だったから隣にいたのではない。
たまたま同じ時代に生きていただけだった。
歓声が響く。
花びらが舞う。
楽隊の音が空へ溶けていく。
馬車が近付く。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
エレノアの視線が群衆へ向いた。
もちろん気付くはずがない。
後ろの方に立つ帳簿係の男など。
それで良かった。
それで十分だった。
レオンハルトは静かに拍手した。
誰にも聞こえないほど小さく。
だが心を込めて。
ぱち。
ぱち。
ぱち。
「おめでとう」
呟く。
「本当に」
声は風に消えた。
だが胸の奥は不思議と温かかった。
「君は最初から」
彼は空を見上げる。
どこまでも青い空だった。
「この世界の頂点に立つべき人だった」
涙が一筋だけ頬を伝う。
悲しみではない。
後悔でもない。
感謝だった。
自分が人生で最も大切なことを学んだ相手への。
遅すぎる感謝だった。
パレードは進んでいく。
歓声も遠ざかる。
やがて馬車は見えなくなった。
人々は笑顔で帰っていく。
レオンハルトもゆっくり歩き出した。
市場へ向かう。
明日も仕事だ。
帳簿が待っている。
契約書が待っている。
数字が待っている。
そしてそれで良かった。
王ではない。
英雄でもない。
ただの帳簿係。
だが自分の仕事がある。
帰る場所がある。
歩く道がある。
秋風が優しく吹いた。
レオンハルトは小さく笑う。
そして胸の中で、もう一度だけ拍手を送った。
遠くへ去っていった真実の王妃へ。




