第五章 終 そして人魚は目を開けた
「遂に今日までだね……」
大海原町に着いてから二週間。ここで過ごした日々は、最初にあった出来事の大きさからは想像もつかないほどに、あっけなく過ぎていった。
出会った新たな友達と、好きな本の話をした。きれいな海を見に行った。
お世話になった人たちとも話をした。
とても温かい場所だった。まるでかつて受けた苦しみを、忘れてしまいそうな程に。
「来たくなったらいつでも来るんだぞー!」
「いつでも待ってるんだからね!」
「はいっ!」
寂しそうな顔を浮かべながら、水谷さんたちも手を振ってくれた。
ご飯はいつも美味しかったし、何よりこんなわたしたちを受け入れてくれた人たちだ。
「順くんにも元気してるって伝えるんだよ!あいつ、ああ見えて寂しがり屋だからよ!」
「あはは……わかりました!」
そういえばもう少し、お父さんについても話を聞きたかった……かな?
「……六月さん」
「…あっ、はい」
「本当に良いのですか?一応、親御さんからの許可は貰ったようですが」
「大丈夫ですよ。それに、あなたたちのおかげでまた前を向けたのはそうですから」
「…リリスは随分と、六月さんに思い入れがあるみたいだけれど」
「それは当然ですよ。わたくしも彼女も、あの女に人生を狂わされたのですから。……今では芽衣さんも、ですが」
リリスさんから聞いた過去にあった出来事。
とても衝撃的で、でも今の自分達にも通じることで。
わたしは今でも、まだ柚葉ちゃんが亡くなった実感が湧いていない。
けど、それでも彼女はいなくて、あれから楓ちゃんとも会えていないのはそうなんだ。
何より、わたしが関わったことで柚葉ちゃんは殺されてしまったのだ。
まだ、あの街には強い負い目がある。
けれど、もしかしたらどこかで戻る必要があるんじゃないか。
二週間過ごしてきて、わたしはそう思い始めている。
しかし暴走をしてしまったこと、そしてそこから逃亡してしまったこと。それだけは覆せない。
ここから、どこに向かおうか。どこで過ごそうか。
「……お別れの挨拶、しよっか。色んな人にお世話になったから、さ」
「そうね。まずは……」
まずは、退院した真魚ちゃんのお父さんのところへ。
小さなアパートの一室にあったその家には、前に訪れたときは潮風の香りが常にしていた。
神楽坂町には、絶対にないようなところだろう。
「……ただいま!」
「真魚。そうか……まだ、その前髪は見慣れないな」
帰ってきた真魚ちゃんに、お父さんは少し苦笑いを浮かべていた。
「ほんと……雑に切っちゃったからダサい前髪になっちゃって……もうちょっとちゃんと整えた方がいいのかな?」
「いやいやそんなことはないよ。似合ってる。お父さんはね、真魚が前を向いてくれたことが本当に嬉しいんだ」
「良かったなぁ……」
「芽衣。もしかして泣いているの?」
「うん……だってぇ……」
わたしには救えない人がいた。
救えない命があった。前を向いたのは、真魚ちゃん自身の力だったけれど、それでも前を向いてくれたことは、とても嬉しかったんだ。
「そっちの人たちも。ありがとう」
「いえ、前を向いてくれたのは真魚ちゃんの力です。わたしは……別に、何も……」
その先は言えなかった。眼前の景色が霞んで見えなくなって、言葉が出なくなって、そのままわたしは蹲ってずっと泣いていた。
「なんであんなに泣いてたんですか。お父さんびっくりしてましたよ」
「だって……色々あったんだもん……」
まだ涙声で上手く喋れなかったし、まだ涙が溢れそうだった。真魚ちゃんは、ちょっと引いてたけど……
「芽衣にも色々事情があるのよ。涙ぐむことくらいはあるわ」
「あなたも大概ですね」
「リアもなかなかめんどくさい反応をしますよね」
「何の話かしら」
「ふふ、図星で……い、痛い痛い痛い……腕つねらないでください……!」
「変にからかってきた罰よ」
明らかに腕をつねっただけでは出ない、骨が軋むような音までしたことは、聞かなかったことにしよう……
だいぶ長い間歩いて、二つ目の目的に着いた。
お昼ごはんには、丁度良い時間。砂浜の海の家だ。
「おーー久しぶりー!って言っても一週間ぶりだっけー?じゃあそうでもないー?」
寒河江さんが、相変わらずお店の前で待っていてくれていた。
「こんにちはー。怪我は大丈夫ですか?」
「いやーおかげでもう絶好調よ、このくらいの怪我でめげてちゃこういうとこじゃ商売できないからねー!」
あんな風に怪我をしていたのに、もう元気そうな様子だ。怪我した右腕にはまだ包帯が巻かれていたけど、そんなの無いかのように豪快に笑っていた。
「へー、今日でこの街出るんだ」
「はい……宿を借りてる身なので、いつまでもお世話になるわけにはいかなくて」
「ずっとここに住んじゃえばいいのに。ま、コンビニとか少ないし不便なとこはあるけどね!」
確かに、願わくばここにずっと住めるなら、それもいいかと考えたことはある。
でも、わたしたちはここに留まっているわけにはいかない。
それに、新たに追わなくてはいけないことも出来た。
「真魚ちゃんの身体のこと、解決法探しに行くわけね。お姉さんはなんも出来ないけど、頑張ってね!」
「はい!」
「そうだ、せっかくだし焼きそば食べていかない?特別に今回は水はタダでサービスしてあげるからさ!」
「そこは常に無料にした方がいいと思いますけどね、そのやり方いつか文句言われますよ」
「まだ言われてないからいーもーん!」
「あはは……」
どこか子供みたいな寒河江さんの態度に、わたしたちはついつい苦笑いを浮かべた。
「あ、そうだ 真魚ちゃんもしかして髪切った?」
「見ればわかるでしょう」
「あっはは、挨拶みたいなもんだよ挨拶ー!ノリ悪いなー!」
「そうですか……えっと、気分の変化です」
気分の変化。そういう言葉ではあるけれど、それでも真魚ちゃんにとってはとても大きな変化だった。
「フラれたとかじゃないんならいいや。にしてもなんか表情変わった気がすんね」
「……はい、よく言われます」
「顔色良くなったし姿勢も良くなった 立派になったねぇーーよしよし」
優しい笑みを浮かべながら、寒河江さんは真魚ちゃんの頭を撫でている。
それだけで、寒河江さんにとっても彼女が、大事な人の一人だったんだな、と思えた。
「……芽衣、リリス」
「?」
「良かったわね。どうにかなって」
「ええ、救えないものはたくさんありましたから。一人だけでも救えて良かったです。勿論、芽衣さんも…ですが」
「真魚ちゃん自身が、頑張ってくれたおかげだよ」
「芽衣、それだけではないわ。六月さんが頑張った結果でどうにかなったというのであれば、救われなかった人達は努力が足りなかったのかしら?」
「違うと……思う」
「その通りよ。だからあなたは自信を持ちなさい」
「私は愛する貴女が笑顔でいてくれることだけが、目的なのだから」




