三十七 暗殺者
冬期休暇が終わった。
正確には、今日は休暇の最終日で、馬車でラトーンに戻る最中だ。その道すがら、マルヴィナは休暇中の出来事を思い返す。
フィラスとダンスを踊ったこと。フィラスが初恋の君だと分かったこと。フィラスから、アスフォデル家の痛ましい事件について聴いたこと。
……何だか、フィラスのことしか思い出していないような気がする。
(これが、恋をするってことなのかしら)
だとすれば、初恋の時とはずいぶん違う。あれは、思い出すと、心が温かくなるような恋だった。
今回はもっと激しい。一緒にいるだけでドキドキするし、手なんて握ろうものなら、心臓がまずいことになる。
ほほえましい子どもの恋愛から、少女の恋愛へ。自分もお年頃なのだなあ、と思うと同時に、マルヴィナは、あることに気づいた。
(わたし、同じ人を二度も好きになったの?)
その事実が何だか恥ずかしくて、マルヴィナは顔を赤らめた。向かいに座るラティーシャに気づかれないように、うつむき加減になる。
ラティーシャには、まだフィラスのことを話していない。お披露目パーティー以降、彼女もどことなく様子がおかしくて、相談するのがためらわれたのだ。
もしかして、ラティーシャもドゥーガルド以外の誰かに恋をしたのだろうか。今だって、窓外の風景を眺めながら、何かを考え込んでいるようだ。
そんな風に妄想を膨らませていると、馬車はエーレの街に入り、ほどなくラトーンに到着した。馬車はマルヴィナの離れの前で止まる。
この気持ちを、誰かに相談したい。しかし、ラティーシャの知恵を借りられないとなると、誰に持ちかけるべきか。
そう思って馬車から降りたところで、マルヴィナの脳裏に、ある人物の顔が浮かんだ。
そうだ、ルズに相談しよう。彼なら、今日は確実に寮にいるはずだ。
「ラティーシャ、わたし、ちょっとシュツェルツ殿下に挨拶してくる!」
振り返ってマルヴィナが宣言すると、ラティーシャは目をしばたたいた。
「よろしいのですか? 馬車の旅で、お疲れでしょうに」
「大丈夫。この通り、わたしは元気だから」
マルヴィナが歩き出すと、馬車に伴走していた馬から颯爽と降り立ったアレクシスが、そのうしろに続く。
彼女も休みたいだろうに、自分のわがままに付き合わせてしまって申し訳ない。マルヴィナが「到着早々、悪いわね、アレクシス卿」と声をかけると、彼女は生真面目な表情で答えた。
「いいえ、これがわたしの仕事ですから」
アレクシスの頼もしい言葉に甘えつつ、マルヴィナはシュツェルツがいるはずの学院寮へ向かう。
歩いていると、向こうから生徒がやってくる。その姿を見つけるや否や、マルヴィナは相手に駆け寄った。
「ルズ! 新年おめでとう! 久し振りね。どうしたの?」
「おめでとう。マルヴィが帰ってくるところが、窓から見えたから、駆けつけたんだ。どう? 休暇は満喫した?」
「ええ。公務で忙しかったけど、充実はしていたかしら」
二人はしばらく、休暇中にどう過ごしたか話し込んだ。頃合いを見計らい、マルヴィナはさり気なく告げる。
「……ねえ、ルズ。実は、あなたに相談があるのだけれど」
「相談?」
「ええ、そうなの――前に、話したことを覚えている? わたしが昔に会った男の子が、フィラスかセオンのどちらか分からなくて困っている、って話」
シュツェルツは、形の良い眉を寄せて、言った。
「ふーん。休暇中にはっきりしたんだね。その子がフィラスだったって」
マルヴィナはびっくり仰天した。
「え!? どうして分かったの?」
「簡単な話さ。マルヴィはね、前は双子のことを話す時、『セオンとフィラスは』って言っていたのに、今日に限って、フィラスの名前を先に言い始めたからだよ」
「すごい! やっぱり鋭いわね、ルズは。その鋭いあなたに相談があるのだけど、乗って下さるかしら?」
冗談めかしてマルヴィナが持ちかけると、シュツェルツは彼にしては珍しく、不機嫌な顔をして見せた。
「嫌だよ。だって、どうせ恋愛相談でしょ? ラティーシャにでも聞いてもらいなよ」
(鋭すぎるわ、ルズ)
だが、ここで引き下がるマルヴィナではない。そもそも、理由も教えてくれずに、相談には乗れないと言われても、困る。
「そんなこと言わないでよ。ラティーシャには、ちょっと今、相談できないの。ルズなら、いいアドバイスをしてくれると思ったから、頼んでいるんじゃない」
シュツェルツは、考え込んでいるようだった。しばらくして、彼は灰色がかった青い瞳をマルヴィナに向けた。
「分かったよ。だけど、相談に乗る前に、僕の話を聴いて欲しい。それが条件だ」
「……? いいわよ」
何だか、今日のシュツェルツはいつもと違うような気がする。頭に疑問符が浮かんだものの、マルヴィナは頷いた。
「じゃあ、立ち話もなんだから、わたしの部屋で話さない?」
シュツェルツは、ちょっと緊張したような面持ちをした。
「……うん」
「じゃあ、いきましょうか」
マルヴィナはシュツェルツを連れ、踵を返した。
離れの扉をノッカーで叩くと、ラティーシャが扉を開けてくれる。マルヴィナは、シュツェルツとともに離れに入った。
扉の鍵をかけたあとで、ラティーシャは、ちらっと勝手口を見た。
彼女はマルヴィナがいくら玄関を使うように言っても、自分は使用人だからと、離れの出入りの際には勝手口を使うのである。
「ラティーシャ、もしかして出かけるの?」
マルヴィナが問うと、ラティーシャは傍に置いてあった籠を見やる。
「入用のものがありまして、お嬢さまが帰られたら、ジェニスタ氏寮に出かけようと思っておりました。ですが、シュツェルツ殿下がおいでになったのなら、今すぐお茶を用意致します」
「いいよ。お茶くらい自分で淹れられるから。ラティーシャは気にせず、いっておいでよ」
シュツェルツの気遣いに、ラティーシャは逡巡していたが、やがて、「では、お言葉に甘えて……」と答えた。それからちょっと真剣な顔をして、マルヴィナに向き直る。
「お嬢さま、シュツェルツ殿下と二人きりになって、もし危険をお感じになった時は、助けをお呼びになるのですよ。今日は、室内にエメリナ卿がいらっしゃいますので。今は仮眠中でいらっしゃいますけど、すぐに起きて下さると思います」
ラティーシャは、護衛騎士の一人の名を口にした。
「分かったわ、ラティーシャ」
マルヴィナはころころと笑った。シュツェルツが、心外だと言うような表情をする。
「ひどいなあ。僕、そんな危険な男じゃないよ」
「それは失礼致しました。では、いって参ります」
にこりと笑って、ラティーシャは出ていった。直後に外から鍵をかける音がする。勝手口の鍵は、ラティーシャが持ち歩いているのだ。
シュツェルツはキッチンに立つと、本当にお茶を淹れようとしていた。何でも、アウリールに淹れ方を教わったそうだ。
どこに何があるか、分かる範囲で教えつつ、お湯を沸かし、マルヴィナも一緒にお茶を用意した。もちろん、マルヴィナは紅茶、シュツェルツは香草茶である。
お茶を盆に載せて、二人はマルヴィナの部屋に入った。湯気の立つカップを並べた小さな丸テーブル越しに、椅子に座って向かい合うと、マルヴィナは口火を切った。
「それで、話って何?」
シュツェルツは眉根を寄せる。
「マルヴィってさ、頭はいいのに、時々すごく鈍感だよね。本当に僕がこれから話そうとしていることに、心当たりはない?」
マルヴィナは考え込んだ。だが、全く身に覚えがない。
「……ええ」
マルヴィナが恐る恐る答えると、シュツェルツはがっくりと肩を落とした。そのあとで、恨めしそうにマルヴィナを見つめる。
「じゃあ、言うよ。僕は――」
その時、バンッ、と隣の部屋の扉が開く音が響いた。ノッカーが叩かれたわけでもないのに、何があったのだろうか。
ベッドの上にいたリオが、唸り声を上げる。
「エメリナ卿?」
マルヴィナが問いかけると、切羽詰まったエメリナの声が返ってきた。
「お逃げ下さい! 女公殿下!」
びくりと身体を震わせたのは、シュツェルツだった。
「マルヴィ、ここは危険だ。窓から外に出よう」
マルヴィナは戸惑った。だが、エメリナの声と、シュツェルツのただ事ではない態度。このふたつを前にして、言われた通りにしたほうが良いことを、本能的に悟った。
何か大きなものが倒れるような音が、扉の外でしたのは、その直後のことだ。
マルヴィナは思わず、扉に目を向けた。
「マルヴィ、こっちに!」
シュツェルツが窓を開けようとした。が、手がカタカタと震えている。シュツェルツは今、何が起ころうとしているか正確に察している。分かっているがゆえに、恐怖を感じているのだ。
マルヴィナはシュツェルツの元に駆け寄ると、彼の手に自分の手を添えた。無我夢中で窓を開ける。
その瞬間、部屋の扉が開いた。唸っていたリオが、けたたましく吠え始める。
覆面で顔を隠した者たちが、部屋に入ってきた。数は四人。
マルヴィナは息を呑んだ。
先頭の人物が、隙なく構えた剣は、血に濡れていた。
暗殺者、という言葉が頭に浮かぶ。
「マルヴィ、君だけでも逃げて!」
シュツェルツがマルヴィナを庇うように、前へ躍り出る。その足は震えており、武器すら持っていなかったが、必死にマルヴィナを守ろうとしていた。
(このままじゃ、ルズが殺されてしまう!)
頭を全力で回転させる。そうだ。外には、アレクシス、それにシュツェルツの護衛がいるはずだ。
「誰か! 助けて!!」
マルヴィナは開け放たれた窓に向かって、あらん限りの大声で叫んだ。




