三十六 アスフォデル家の過去
長めかつ、シリアス寄りの回です。
「まず、『スィスルの乱』という事件をご存知ですか?」
フィラスの言葉に、マルヴィナは記憶の畑を掘り起こした。
「ええと、確か即位なさったばかりの国王陛下の治世に反対する貴族たちが、起こした内乱よね。六年――いえ、七年前に起こったという」
「はい。そのスィスルの乱に、父の弟、カールが参加していたことが、全ての始まりでした」
「叔父君が?」
それだけでアスフォデル家の困難な道のりが予想できて、マルヴィナは眉をひそめた。
フィラスは頷く。
「反乱は未然に防がれ、カールは首謀者のスィスルとともに逮捕されました。その当時、父は国王秘書官でした。カールの兄である父にも嫌疑がかかりましたが、国王陛下のお陰で身の潔白が証明され、大事には至りませんでした。それだけなら良かった。しかし――」
フィラスは、整った口元をぎゅっと引き結んだ。
「父はこともあろうに、スィスルとともに処刑される予定だったカールの助命を、陛下に嘆願したのです。父の嘆願と、カールがギェナー公爵家の一員だったこと、それに、反乱が不発に終わったことなどが考慮され、彼には執行猶予がつきました」
フィラスの目にきつい光が宿る。
「ところが、カールは父を逆恨みし、その命を狙ったのです。王宮のパーティー会場で父はカールに襲われ、それを庇った母が――代わりに亡くなりました」
「え……」
「母は結婚前、騎士をしていました。だから、武器を持っていなくても、カールを止められると思ったのかもしれません。ですが、剣で武装していたカールには敵わなかった。カールはその場で取り押さえられ、再び逮捕されました」
「……そのあと、どうなったの?」
先程、カールを「叔父君」と呼称してしまったことを、マルヴィナは後悔した。
フィラスの表情が複雑なものに変わる。
「カールは処刑されました。反乱に加担した罪と、兄を殺そうとし、義姉を殺害した罪によって。その直後、わたしはある噂を聞きました」
「噂?」
「カールの死刑執行書にサインするよう、国王陛下に再三促したのは、父だった、という噂です。……その真偽のほどは、わたしには分かりませんが、父が事件を契機に変わってしまったのは事実です」
ユリーズのまとう、常に感情よりも理性を重んじる冷たい雰囲気。あれは、その事件に端を発していたのか。
無理もない。自分の行動が原因となって、妻を失うことになったのだ。
「母が死んだのは、父のせいです」
フィラスは絞り出すように言った。
「それなのに、母が亡くなってからでは全てが遅いのに、あの人は何でも冷徹に判断しようとする……わたしには、父という人が分かりません」
「フィラス……」
何と声をかけるべきか、マルヴィナには分からなかった。ただ、過去に傷つき、今でも苦しんでいる彼を、愛おしく思った。
やがて、ためらいつつも、マルヴィナは優しくフィラスを見つめ、口を開いた。
「わたしね、あなたと再会した時、雰囲気が昔と全然違うな、と思ったの。だから、昔会った子があなたなのか、それともセオンなのか、余計分からなくなった。でも、お披露目パーティーの時にフィラスと話をして、あとで納得したの。ああ、この人は昔と印象こそ違うけど、内面は全然変わらず、優しいままなんだなあ……って」
「殿下……」
「だから、お父君も、変わってしまったように見えるのは表面だけで、案外、内面はそのままなのかもしれないわ」
「そうでしょうか」
フィラスは疑いのこもった目で、宙を睨んだ。
長い年月をかけて醸成された感情が、すぐに霧散するなど、マルヴィナだって思ってはいない。だから、無理強いはすまいと肝に銘じて、ほほえんだ。
「一度、機会を見て、お父君と話をしてみたら? もし、また怒鳴りたくなっても、冷静になって話し合えば、お父君のことが分かるかもしれないわ」
フィラスは黙り込んだ。言いたいことは分かるが、実行に移すのは抵抗がある、という顔だ。
やがて、フィラスは口を開いた。
「……分かりました。そういう機会があれば、ですが、今度は落ち着いて話せるよう、努めてみます。――あの、殿下……」
フィラスは何か言いかけ、いったん口を閉じた。そのあとで、おもむろに立ち上がる。
「わたしはこれで、帰らせていただきます。お茶をありがとうございました。あまり長居をすると、家の者が心配するので」
「そう……。また遊びにきてね。わたしは休暇の終わりまで、こちらにいるから」
「はい。また、いずれ」
マルヴィナが玄関ホールまで見送ると、フィラスは立ち去る間際に、「話を聴いて下さって、ありがとうございました」と、かすかに笑ってくれた。
フィラスが去ったあとも、しばらく扉を見つめていたマルヴィナは、足を屋敷の一室へと向けた。そこは、ドゥーガルドの書斎だ。
扉をノックをすると、入室を許可する声が聞こえてきたので、マルヴィナは書斎に入った。
「フィラスがたった今、帰りました」
机に向かっていたドゥーガルドは、マルヴィナを見て、椅子を引いた。
「そうか。それはそうと、マルヴィ、何か訊きたいことでもありそうだな?」
「え、そ、そう?」
「ああ。顔に書いてあるぞ」
「叔父さまには、隠し事はできないなあ……実はさっき、フィラスにアスフォデル家の事情を聴いたのです」
「……七年前の事件のことを?」
質問に、マルヴィナは首肯した。ドゥーガルドは、天井を見上げる。
「ふーむ。フィラスがあの事件のことをねえ。マルヴィは、だいぶ信頼されているようだね」
「そう……なのかしら?」
「そうだよ。特にフィラスはお母さんっ子だったし、あの事件以降、気難しくなってしまったからね。自分から事件のことを話すなんて、考えられなかったよ」
まるで親戚の子のことを語るように、ドゥーガルドは評した。叔父に椅子を勧められ、マルヴィナは安楽椅子に座る。
(やっぱり、フィラスは、事件が原因で振る舞い方が変わってしまったんだわ……)
母を理不尽な暴力で奪われたことが、まだ十一かそこらでしかなかった少年にとって、どれほどショックだったことか。
ドゥーガルドは、マルヴィナのいる方向に椅子を動かし、座り直した。
「それで、何が訊きたいんだ? 俺が知っている範囲でなら、答えよう」
「フィラスは宰相閣下との関係に悩んでいるの。だから、宰相閣下のことについて、もっと知っておきたくって。そうすれば、もっと的確なアドバイスができると思うのです」
「なるほど。あいつは誤解されやすいからなあ……。いいだろう。フィラスは、母親が死んだのは、アスフォデルのせいだと言っていたか?」
ドゥーガルドがユリーズのことを呼び捨てにするのを、マルヴィナは久し振りに聞いた。ためらいがちに首を縦に振る。
ドゥーガルドはため息をつく。
「……まあ、そうだろうなあ。ただ、あいつの名誉のために言っておくと、奥方の死に一番参っていたのは、アスフォデルだよ。俺はあの時、思ったものさ。こいつ、このままじゃ、だめになってしまうんじゃないか――ってね」
「…………」
「あいつはそのくらい、奥方に惚れていたんだ。だが、あいつは立ち直った。その代わり、あらゆることを理詰めで判断するようになってしまったけれど、それも、二度と同じ過ちを繰り返さないためなんだろう」
「ひとつ、気になっていることがあるのです」
ドゥーガルドは視線でマルヴィナを促した。
「陛下は以前、おっしゃっていたわ。再婚を勧めないのは、叔父さまと宰相閣下だけだって。もしかして、閣下は……」
「ああ。多分、お前の予想通りだよ。いかに冷徹に振る舞っていても、あいつは、陛下のお心を無視することはできなかったんだろう」
今のクレメントは、かつてのユリーズと同じく、妻を失って打ちのめされている。だから、ユリーズはマルヴィナをレオニス女公にするべく、力を尽くしたのだろう。ユリーズは感情まで失ったわけではないのだ。
マルヴィナは願わずにはいられなかった。
(フィラス、そのことに、どうか気づいて……)
ドゥーガルドが、ため息をつくように言った。
「……アスフォデルと弟のカールは、不幸な兄弟だった。カールもラトーンの元生徒で、家でも学校でも、あらゆるところで優秀な兄と比較されていたからね。ついには、反乱を起こすしかない、というところまで追い込まれてしまったんだと思う。だからだろうなあ。アスフォデルが最初にカールを庇ったのは」
シュツェルツの過去を知った、今のマルヴィナには分かる。結局、憐れみにも似たその好意は、余計にカールを逆上させてしまったのだ。
「……宰相閣下が、事件のあとは弟君の処刑を陛下に促された、というのは本当なの?」
「お前は、どう思う? マルヴィ」
マルヴィナは唇を引き結んで考え込んだ。アスフォデル家の問題は、自分が考えていたよりも、遥かに根が深い。本当だとしたら救いがないが、それだけに真実味がある。そう思ったが、マルヴィナはかぶりを振った。
「宰相閣下は、何もおっしゃっていないと思います。だって、それだけの罪を犯したのなら、カールは処刑を免れないと思うし、黙って事態の推移を見守っていらっしゃったのではないかしら」
ドゥーガルドは目を細めた。
「そうかもしれないな。実を言うと、俺も真相は知らないんだ」
「なーんだ」
「まあ、そう言うな。真実なんて、はっきりと分かるほうが珍しいのさ。マルヴィ、いつだって、お前はお前自身の答えを大切にしなさい。……ところで」
ドゥーガルドは表情を一変させ、いたずらっぽく笑った。
「お前、ラトーンで好きな男はできたか?」
「え、えええ?」
一瞬、フィラスの顔が浮かび、マルヴィナは変な声を上げてしまった。
「俺は有用な情報を教えたんだ。その見返りとしては、悪くないだろう?」
ドゥーガルドの意地悪な言葉に、マルヴィナは赤面してしまう。
自分はフィラスのことが好きなのだろうか? 確かに初恋の人だし、一緒にいるとドキドキするけれど、正直、今でも分からない。でも、目の前にいるだけでああいう気持ちになる人は、他にいないし……。
思い悩むマルヴィナを見て、ドゥーガルドは笑った。
「まあ、答えられないのなら、今のところはそれでもいいさ。ただ、もし好きな相手ができたら、さっさと捕まえておいたほうがいいぞ」
「え? どうして?」
「まだ気づいていないのか? この前のお披露目パーティー、あれは、お前の結婚相手探しも兼ねていたんだぞ」
青天の霹靂だ。あまりの衝撃にマルヴィナが言葉を失っていると、ドゥーガルドは複雑そうな顔をした。
「まあ、俺はまだ早いと思ったんだが……。アスフォデルの提案でな。お前の立場を安定させるという大義名分があるから、陛下もご了承ずみだ。ラトーンの生徒は、たいてい有力貴族の子息だから、相手としては申し分ない。恋愛結婚をしたいのなら、今のうちだぞ」
「叔父さま、怖いことをおっしゃらないで」
ちょっと怒って見せながらも、マルヴィナの心は揺れていた。事態は、いつも自分のあずかり知らぬところで動き続けている。
次期女王という自分の立場を分かっていてなお、マルヴィナは好きな人と結婚したいと思った。もし、それがフィラスだったら……。
マルヴィナは、再び頬が熱くなるのを感じてうつむいた。ドゥーガルドが何も声をかけてこないことが、ありがたかった。




