三十二 舞踏会
(結局、ここにくることになってしまった……)
パーティー用の正装に身を包み、フィラスは今日何度目か知れないため息をついた。
レオニス女公のお披露目パーティーの会場は、王宮の大広間を使用しており、きらびやかなシャンデリアに照らされて、今が夜間であることを招待客に忘れさせてくれる。
フィラスはちらりと兄のほうを見た。兄は着飾った女性たちに囲まれ、にこやかに話し込んでいる。ちなみに、時々、フィラスの傍にもご婦人が現れ、話しかけてくる。だが。
「……何か?」
フィラスが眼光鋭く切り返すと、「な、何でもございません!」と、血相を変えて去っていくのであった。
まあいい。かしましくされるのは、好きではない(自分では気づいていないが、フィラスは男子校に染まりきっていた)。
それよりも、今回の主役であるマルヴィナの登場はまだのようだ。フィラスが所在なくたたずんでいると、うしろから声がかけられた。
「よお、フィラス。結局、帰ってきたんだな」
声の主はスピリアンだった。フィラスは少しほっとする。
「イーニアス、お前も呼ばれていたのか」
「ああ。だが、俺が見たところ、主だった貴族の子息は、ほとんどが呼ばれているようだぜ。今回のパーティーは舞踏会がメインイベントらしいから、令嬢方もおいでだがな」
そう言われて、フィラスは改めて会場を見回す。確かに、ラトーンの生徒がちらほらといる。しかも、その他の男性も、自分たちと同年代の者ばかりだ。
ほとんど実家に帰らず、従って社交界にも顔を出さないフィラスにとっては、知らない顔も多いが。
「なあ、このパーティーってもしかして――」
スピリアンが言いかけたその時、楽団が華々しい曲を奏で始めた。正面の両開きの扉が開け放たれる。
正装のクレメントが優雅な姿を見せる。彼に手を取られ、もう一人の人物が現れた。
フィラスは思わず、息を呑んだ。
その少女は豪奢な金褐色の髪を、頭の低い位置でまとめ、薄いピンクのドレスを身にまとっていた。ドレスは胸元から袖までが透ける布地で覆われていて、そよ風のようにふわりとした印象を、見る者に与える。
エメラルドグリーンの瞳が映える、妖精のように愛らしい面差しは、薄化粧が施され、優美としか言いようがなかった。
フィラスの知らないマルヴィナが、そこにいた。
「あのお方がレオニス女公殿下か」
「まあ、何とお美しい……」
「まるで、月の女神ファルセーレのお姿のよう」
人々が口々に感嘆の声を漏らす。
その反応に満足した様子のクレメントは、集まってきた招待客の貴族たちに、マルヴィナを紹介していく。
「いやー、やっぱり綺麗だな、女公殿下は」
フィラスの横で、スピリアンが呟く。
「そうだな」
フィラスは素直に首肯した。つい十日程前に、着飾ったマルヴィナを見たくはないかと、兄に訊かれ、否定したものだが、それがとんでもない間違いだったことに気づく。
(王都に帰ってきて、良かったかもしれない)
フィラスがなおもマルヴィナを目で追っていると、背後からよく知る気配がした。嫌々ながら振り返る。予想通り、すぐうしろにはセオンが立っていた。
「フィラス、今日はきて良かっただろう」
「どうでしょうね」
兄には絶対に本音を悟られたくない。
「お前は本当に素直じゃないなあ。まあ、いい。次はダンスだな」
セオンの言葉に、フィラスは眉をひそめた。
「ダンス?」
「お美しい女公殿下と一緒に踊りたいだろう? みなまで言わなくても分かっているさ」
「誰もそんなことは言っていませんよ」
「あ、黙ったほうがいいぞ。殿下のスピーチが始まるようだ」
自分から話しかけてきたくせに、と思いつつ、口を閉じてマルヴィナに視線を戻す。セオンの言う通り、マルヴィナが招待客たちを見渡していた。彼女は口紅を引いた端麗な唇を開く。
「みなさま、本日はわたくしのためにお集まりいただき、誠にありがとうございます。ここにおいで下さった方々は、わたくしが次期女王に相応しいと認めて下さっていることと存じます。
わたくしは今年で十五歳を迎えました。ラトーン学院に入学し、こうして社交界デビューも果たし、ようやく一人前となることができたと、喜びもひとしおです。
さて、先程も申し上げましたが、わたくしは現在、レオニス女公の責務として、かのラトーン学院で学んでおります。ラトーンで学友たちと切磋琢磨する毎日は充実しており、わたくしのレオニス女公としての自覚を促すに足るものです。
まだまだ未熟なわたくしではございますが、どうか、みなさまにはお力をお貸しいただきたく、また、温かく見守っていただきたく存じます。
では、引き続き、夜会をお楽しみ下さい。わたくしもこのあとの舞踏会には参加致しますので、是非、お声をおかけ下さいね」
スピーチは所々に父の手が加えられていることを匂わせたが、全体的にマルヴィナらしい素直な内容だった。耳に心地良い彼女の声の余韻に浸りながら、フィラスは重要なことに気づいた。
(兄上の言う通り、殿下も踊られるのか……)
誰かと楽しそうに踊るマルヴィナの姿は見たくない。
今までの煮え切らない気持ちが嘘のように、フィラスは、はっきりとそう思った。
マルヴィナ目がけて歩を進める男どもの姿が、視界に入る。
「フィラス、このままでは、殿下が他の男と踊り始めてしまうぞ」
セオンがけしかけるように告げる。
「俺にどうしろと言うんですか!」
苛立ったフィラスが返すと、セオンはふっと笑った。
「決まっている。お前が真っ先に殿下をお誘いすればいい」
兄に背中をぽんと押され、フィラスは決断を迫られた。
どうする? だが、迷っている暇はない。
(ここで、殿下をダンスに誘わなかったら、この先ずっと――いや、一生後悔するかもしれない)
そう思った時、フィラスは足早にマルヴィナの姿を目指していた。今まさに、彼女に声をかけようとしている男の横に素早く並び立つと、フィラスは大きな声で宣言するように言った。
「女公殿下、わたしと踊っていただけませんか?」
*
人垣を押し分けてきた少年の姿を、マルヴィナは呆気に取られて見つめた。長い金髪を高い位置で結い上げている髪型はいつも通りに、格調高い礼服を引き締まった身体にまとっている。
(かっこいい……)
フィラスはこの休暇中、王都には帰ってきていないはずだ。だが、そんなことはどうでもよくなるくらい、目の前にいる彼のことを、マルヴィナは率直にそう思った。
そのフィラスの凛々しい顔が、不安そうな表情に変わる。
「……殿下、それで、お返事は?」
マルヴィナは慌てた。そうだ。彼は自分にダンスを申し込んできたのだ。
「え!? はい! 一緒に踊りましょう!」
マルヴィナが返答すると、周囲の男性たちがざわついた。彼らとは、どうせあとで踊ることになるのだから、どうか残念がらないで欲しいものだ。
フィラスが手を差し出してきたので、マルヴィナは自分の手を乗せた。彼はマルヴィナの手を引いて、人のいない、大広間の中央に歩いていった。しっかりと片手を握り、背に手を回されると、マルヴィナの心臓は早鐘を打ち始めた。
二人が踊る態勢に入ったことを見計らい、楽団がワルツを奏で始める。
フィラスにリードされ、マルヴィナは踊った。フィラスはリードも巧みなら、ステップの踏み方も巧みだ。
運動神経が抜群に良いと、何をやっても様になるのだろう。その上、彼は音楽のセンスもある。フィラスの動きは、音楽にぴったり合っていて、マルヴィナは惚れ惚れとしてしまった。
そんなことを考えていたからか、慣れない新品の靴を履いていたからか、マルヴィナはターンの最中、突然よろけた。
すかさず、フィラスが身体を支え直してくれたので、マルヴィナは転倒せずにすんだ。その瞬間、曲が終わりを迎える。
会場中の人々に、いっせいに拍手され、マルヴィナとフィラスは周囲に向け、丁寧な礼をした。




