二十九 冬休みの足音
十二月も半ばに差しかかり、冬季休暇が近づいてきた。マルヴィナにとっては、初めての休暇である。
全寮制であるラトーンでは、休暇に入ると、ほぼ全ての生徒が帰省する。冬休みに入る前にみんなと集まる機会が欲しいと思い、マルヴィナは一学期最後のお茶会を開いた。
招いたのは、セオン、フィラス、シュツェルツ、スピリアン、他三名の生徒たちだった。これが、居間に呼べる人数の上限である。
マルヴィナのお茶会は、人気があるようで、「是非、わたしも呼んで下さい」とよく声をかけられることが多くなった。レオニス女公の開くお茶会というステータスと、ラティーシャの作るお菓子の評判のためらしい。席数の関係上、呼ぶ人数が限られているのが心苦しい。
話題は自然と、近況から、冬休みの予定に移った。シュツェルツは帰省しないだろうから、その話題は気まずい。
何とか、話題を変えられないだろうか、と苦慮するマルヴィナをよそに、シュツェルツは優雅に香草茶を口にしたあとで言った。
「僕は帰らないよ。だって、ここから王都のステラエまでは遠いもの。移動している間に、せっかくの休暇が終わっちゃう」
「そ、それは、残念ね」
マルヴィナが思いっきり不自然に相槌を打つと、シュツェルツはにやりと笑った。
「あれ、どうしたの? マルヴィ」
「な、何でもないわよ」
(これは、多分……アウリール殿がわたしにあの話をしたことを、感づかれているなあ……)
何だって、話を聞いた側の自分が慌てなければならないのだろう。昔の話を勝手にされて、シュツェルツは恥ずかしくないのだろうか。まあ、人をからかうのが好きな彼らしいけれど。
「入学してから、ずっとそうしてきたけど、生徒がいない学校っていうのも、なかなかいいものだよ。すごく静かで、幽霊でも出そうな雰囲気なんだ」
シュツェルツが爽やかに不気味なことを言うと、フイラスが眉をひそめた。
「それのどこがよろしいのですか。わたしも今年は帰省しないので、妙な話をなさるのは、やめて下さい」
「え? フィラスは帰らないの?」
マルヴィナは思わず尋ねていた。
「はい」
「フィラス、お前はまたそんなことを言って……。ちゃんと帰って、父上に顔をお見せしろ」
セオンが諭すように言うと、スピリアンが笑った。
「はは、二人の口論は、もはや休暇前の風物詩だな」
「そうなの?」
「はい、女公殿下。フィラスは毎年、自分は帰らないと言い張るのです。その結果、セオンに説得されて仕方なく帰るわけですが……。まあ、見ているほうは、なかなかおもしろいですよ」
「イーニアス! 見ているなら、お前もフィラスを説得してくれ。父上にお小言をもらうのはわたしなんだぞ」
珍しく、セオンが切羽詰まっている。双子の口論を横目に、シュツェルツが言った。
「マルヴィは、王都に帰るんでしょ?」
「ええ。久しぶりに叔父や国王陛下にお会いできるから楽しみだけれど……みんなとしばらく会えなくなるのは、やっぱり寂しいわ」
シュツェルツの前では言えないが、最近届いた手紙の内容を思い返せば、帰らないわけにはいかない。
叔父ドゥーガルドと国王クレメント、どちらの手紙の文面にも、マルヴィナを心配し、会いたがっている心情が、しつこいほどに綴られていたのだ。
「僕もマルヴィに会えなくなるのは寂しいよ」
甘い口調で囁いたあとで、シュツェルツはほほえむ。
「でも、マルヴィが帰って喜ぶ人たちがいるのなら、帰ったほうがいいよ。フィラスも、その辺を分かって嫌がっているのかねえ。僕から見ると、ずいぶん贅沢な悩みをお持ちのようだけど」
マルヴィナは、フィラスと宰相ユリーズの親子関係がどういうものなのか知らない。フィラスが帰省を嫌がるということは、きっと、あまり良いものではないのだろう。
だが、セオンの言い方から察するに、フィラスが帰省を望まれているということは確かなようだ。両親に愛されなかったシュツェルツにしてみれば、それは羨ましいことなのかもしれない。
大人びた表情で頬杖をつく年下の友人を、マルヴィナは黙って見守っていた。
*
ヴァイオリンの複雑な旋律が音楽室いっぱいに溢れ、うねり、収束していく。
一曲弾き終えたフィラスを前に、マルヴィナは拍手で応えた。手を下ろすと、感慨深い気持ちになり、呟く。
「もう、フィラスの演奏を聴けるのも、これが今年で最後かあ……」
「おおげさな。冬休みは、たかだか二週間ほどでしょう」
「来年も聴かせてくれる?」
「まあ、殿下がご所望なら……」
フィラスは仕方なさそうに頷く。彼はマルヴィナとの約束通り、音楽の授業が終わると、誰もいなくなった頃合いを見計らい、こうして演奏を披露してくれる。曲は彼の自作だったり、有名無名の既存のものだったりと色々だ。
どの曲も、演奏の技術だけでなく、フィラスの気持ちがこもっており、丁寧で、耳に心地良い。
曲を聴くたびに実感する。フィラスは本当に音楽が好きなのだ。
(それにしても……)
どうして、二人きりになることができるのに、自分はたった一言が彼に言えないのだろう。
戴冠式の時、王宮にいなかった?――と。
今日こそ訊いてみようか。
そう決意を込め、言葉を紡ごうと口を開く。
「あの――」
喉がからからに渇き、心臓が早鐘を打ち始める。
(もし――)
もし、彼があの男の子だったとして、すっかり忘れられていたら、どうしよう。
貴族社会に居場所のなかった自分にとって、あの思い出は心の支えだった。それなのに、向こうはこちらのことを何とも思っていないどころか、とっくに忘れているとしたら……。
そう思うと、今までにないくらい、無性に怖くなった。
「殿下?」
フィラスが怪訝そうに問いかけてくる。マルヴィナは、いつの間にかうつむいていた顔をはっと上げた。硬くなっていた身体が、いつもの感覚に戻っていく。
「だ、大丈夫。ちょっと、寒気がして」
フィラスがとたんに、心配そうな顔になった。
「本当に大丈夫ですか? 近頃、めっきり寒くなりましたし、またお風邪でも召したら……」
「大丈夫よ。風邪とは違う感じだもの」
何とかごまかして、マルヴィナはフィラスがヴァイオリンを片づけるのを見届けると、逃げるように音楽室を出た。
彼に忘れ去られているかもしれないことが、なぜ、こんなに怖いのか、訳も分からぬままに。




