二十四 シュツェルツの侍医
長めです。
今日もいつもと同じ朝……ではなかった。まず、喉が痛いし、身体もだるい。
(風邪でも引いたのかしら?)
マルヴィナはとりあえず起き上がる。心なしか、寒気がする。
扉を叩く音がした。返事をしたが、声は掠れており、確実に風邪を引いた時のものだった。扉が開き、ラティーシャが入ってくる。
「おはようございます、お嬢さま」
「……おはよう、ラティーシャ」
「あら? お声が掠れておいでですね。もしかして、お風邪を召したのでは?」
「そうみたい」
「失礼致します」
ラティーシャは断りを入れると、マルヴィナの額に、その手を置いた。彼女の掌がひんやりと感じられる。ラティーシャは自らの額にも手を当てる。
「熱があるようですね。今日は学校をお休みなさいませ。朝食ができる前に、学校に連絡をしたほうがよろしいでしょうか? それとも、その前に何かお召し上がりになりますか?」
「ううん。今はお腹が空いていないから、休むって知らせてきて。ジェニスタ氏寮にいって、寮長か副寮長の先生に言伝を頼めば、大丈夫だと思うわ」
「かしこまりました。寮に出向くついでに、必要なものもいただいて参ります。では、帰りましたら朝食をお作り致しますね。アレクシス卿たちにも、お休みの旨、知らせておきますので」
「ええ、お願いね」
退室するラティーシャを見送ると、マルヴィナは再び横になる。
学校を休むのは、初めてのことだ。せっかく今まで休まなかったのに、もったいないという残念さと、他の生徒への罪悪感、それに奇妙にわくわくした気持ちが生じる。何より、食堂で出される食事ではなく、ラティーシャの料理が食べられる!
マルヴィナはラティーシャが用意しておいてくれたお湯で、洗顔をすませ、髪をとかすと、アレクシスたち護衛の面々に挨拶をした。
「女公殿下、わたくしはラティーシャ殿が戻るまで、ご来客の応対を致します。どうぞご安心を」
きりっとした表情で告げるアレクシスに、マルヴィナはほほえむ。
「お願いします。きっと、もうすぐ迎えの友人がくると思うので、わたしが休む旨をお伝えください」
「かしこまりました」
ラティーシャが出ていって三十分くらいたった頃、ノッカーの音が響いた。扉が開く音と話し声が聞こえてくる。その直後、切羽詰まったようなノックの音のあとに、部屋の扉が開く。マルヴィナがびっくりして飛び起きると、戸口にシュツェルツが立っていた。
「マルヴィ、大丈夫!?」
駆け寄ってくるシュツェルツに、マルヴィナは内心で困った。相手がシュツェルツとはいえ、寝間着姿をあまり男の子に見られたくないのだ。
「大丈夫、ただの風邪よ」
マルヴィナはシュツェルツを安心させるために笑ったが、彼はいつもの余裕たっぷりな態度をかなぐり捨てたように言った。
「大丈夫じゃないよ! 風邪は万病の元って言うよ。こじらせたら、大変なことになるんだからね! ……熱はあるの?」
「ええ、あるみたい」
シュツェルツは何かを考え込んでいるような表情をしたあとで、「ちょっと待ってて」と告げ、部屋を出ていってしまった。あとには、シュツェルツが駆けていく音だけが残った。
(ルズ、かなり慌てていたけど……本当にただの風邪なのに)
彼と入れ替わりになるように、ラティーシャが戻ってきた。
「寮長の先生に、欠席の旨、お伝えして参りました。先生は校医に診ていただくことを勧めていらっしゃいましたけど、どうなさいます?」
「そうね……。早く動けるようになりたいから、診てもらおうかしら。その前に朝食をお願いできる?」
「はい、かしこまりました。燕麦の粥は、お嬢さまのお好きなシナモンとシロップで味つけ致しますね」
「ありがとう! それと、量は多めにして!」
マルヴィナがうきうきしながら、朝食ができあがるのを待っていると、再びノッカーの音が聞こえてきた。応対に当たったであろうラティーシャが、すぐに入室してくる。
「お嬢さま、シュツェルツ殿下がお医者さまをお連れになったそうなのですけれど……お会いになりますか?」
「それって、校医の先生?」
マルヴィナの問いに、ラティーシャは首を横に振った。
「いいえ。何でも、殿下の侍医でいらっしゃる方だとか」
「侍医? ……そうね、会ってみるわ。殿下がせっかく連れてきてくれたのだし。あーあ、朝食はお預けかあ」
「そんなことおっしゃらずに。きっと、すぐに召し上がれますよ」
ラティーシャはくすくす笑いながら、出ていった。
ずっと横になっているマルヴィナを心配したのか、リオが身を寄せてくる。マルヴィナはリオの柔らかい毛を撫でた。
「大丈夫よ、リオ」
ほどなく、シュツェルツが一人の人物を連れて現れた。中背で、うなじで結わえた長い薄茶色の髪に、若草色の瞳、涼やかな目元、整った鼻梁を持つ、どことなく女性的な印象の青年だ。シーラムでは演劇を行う際、女性の役も男性が演じるが、彼が女性役を演じたら、きっとぴったりだろう。
雰囲気が怖い護衛の騎士といい、シュツェルツの周りは美形揃いだ。マルヴィナが感心していると、シュツェルツが青年を片手で示した。
「マルヴィ、彼は僕の侍医のアウリール。君を診察してもらいたくて、きてもらったんだ」
「アウリール・ロゼッテと申します。お初にお目にかかります、レオニス女公殿下」
右手を胸に当て、丁寧に頭を下げながら、流暢なシーラム語で、アウリールは自己紹介した。マルヴィナも起き上がり、挨拶をする。
「寝間着姿のままで失礼致します。シーラムのレオニス女公、マルヴィナ・クロティルダと申します」
アウリールは微笑した。
「では、さっそくですが、症状をお聞かせ願えますか」
「はい、喉が痛くて、身体もだるいです。少し寒気がしますし、熱もあるようです」
「失礼ですが、脈を取らせていただけますか?」
「ええ、もちろん」
マルヴィナは、右手首をアウリールに向けて差し出した。アウリールは丁重にマルヴィナの手を取り、脈を測り始める。
普通の医師なら何も感じないところだけれど、アウリールに診てもらうのはなかなか刺激的だ。
やがて、アウリールは、おもむろにマルヴィナの手を離した。
「喉の状態を診たいので、口を開けていただけますか」
「はい」
これはかなり恥ずかしい。美男の前で大口を開ける……何の罰ゲームだろう。
「喉が炎症を起こしていますし、脈拍が少し早いですね。間違いなく熱があります。症状から見て風邪でしょう。しばらくはご安静になさって、栄養はしっかりお取り下さい。……ところで、シュツェルツ殿下」
「え、何?」
「こちらにおいで下さい」
マルヴィナに目礼すると、アウリールはシュツェルツを連れて、部屋の隅に移動した。
「どうして、校医ではなく、わたしをお連れになったのです?」
声を潜めたマレ語で、アウリールは問うた。ちなみに、マルヴィナはマレ語が大体分かる。授業でも習っているし、幼い頃から家庭教師にも教わってきた。この距離だと、小声で話していても、辛うじて内容が聞こえてくる。
「だって、真っ先に君の顔が浮かんだんだもの」
シュツェルツの返答に、アウリールはかぶりを振った。
「考えても御覧なさい。もしもわたしが薬を処方したあとに、女公殿下のお具合が悪くなれば、どうなるか――」
シュツェルツは、はっとした顔をしたあとで目を伏せた。
「それは――マレがマルヴィナ殿下の暗殺を企んだということになるね……」
「さようです。ですから、これからでも、校医を呼びにいくべきです」
「でも……」
シュツェルツは、珍しく困った顔をしている。アウリールの正しさは認めるが、納得がいかないというところだろう。
それにしても、よくお供に叱られていると聞いてはいたものの、シュツェルツに直言できる臣下が、こんなに若いとは思わなかった。侍医といっても、お目付け役のようなものなのかもしれない。表面だけ見ていると、歳の離れた兄弟のようでほほえましいが。
(そんなことより、どうすれば、ルズの好意をむだにせずにすむのかしら)
回らない頭で考えた末に、マルヴィナは口を開いた。
「アウリール殿、そこまでにしてあげて下さい。シュツェルツ殿下は、わたしのことを考えて、最も信頼できるあなたをお連れになったのだと思います」
アウリールがマルヴィナに向き直る。
「ですが、わたしはあなたに毒を盛るかもしれませんよ」
「冗談でも、そんな誤解を招くようなことを言わないでよ。アウリールは、そんなことしない」
抗議の声を上げるシュツェルツを、アウリールは優しい目で見やった。その様子を見て、マルヴィナの心は決まった。
「アウリール殿、風邪が治るまでの間、わたしを診察していただけませんか? それに、できれば、薬の処方もお願いしたいのですけど」
アウリールは思慮深そうな瞳で、こちらを見た。
「では、仮に我が国が疑われたとしても、こちらにメリットはございますか? 是非、お聞かせ願います」
「アウリール!」
シュツェルツが咎めるように叫んだ。にもかかわらず、アウリールは、じっとマルヴィナを見つめている。
(難しい相手に出会ってしまったわ)
ため息をつきそうになりながらも、マルヴィナは重たい頭を総動員して、考えを整理しにかかる。
「……そうですね。まず、シュツェルツ殿下の侍医でいらっしゃるあなたがわたしを治療なさったとなれば、全校にシーラムとマレの良好な関係を印象づけられるでしょう。
診療を頼むことになったきっかけは、たまたまアウリール殿がシュツェルツ殿下に同伴していて、わたしの具合が悪いことを、これも偶然知ってしまったから――ということにでもしましょうか」
マルヴィナは、いったん言葉を切った。長くしゃべっていると、喉がより痛くなるのだ。
「風邪が治るまでは、わたしは侍女が作ったものと、あなたが処方なさった薬しか口に入れないことにします。
わたしが病欠をするということは、既に教師に知られてしまっていますから、逆にこの事実を利用します。アウリール殿がわたしを治療なさるのは、マレが義に厚いお国柄であるからだと、ラトーンの全ての人たち、あわよくば、国家の中枢に属する彼らの家族にもアピールするのです。
わたしの風邪が無事に治れば、マレだけでなく、あなたの主であるシュツェルツ殿下の評判も、きっと上がります。
校医には、あとでわたしから謝っておきましょう。……こんなところでいかがです?」
マルヴィナの話の途中から、アウリールは微笑を浮かべていたが、その笑みが一段と深くなった。
「なるほど」
呟くように口にしたあとで、アウリールは頷いた。
「かしこまりました。風邪が治るまでは、女公殿下の診療を、わたしがお引き受け致しましょう。今は、幸いなことにシュツェルツ殿下もお元気でおいでですしね」
「全く、アウリールったら……最初からそう言えばいいのにさ」
シュツェルツが不満そうな、それでいて嬉しそうな顔で彼の侍医を見上げる。マルヴィナはといえば、風邪の身に鞭打って、頭を全速力で回転させたせいで、一気に疲労が押し寄せてきた。
朝の礼拝に遅刻しそうなシュツェルツが慌てて出ていき、アウリールも薬を取りにいくために退出してしまうと、マルヴィナはベッドの上に仰向けに倒れ込んだのだった。




