第9話 クルトとノイマン
クルトがどこかに消えてしまった。
すぐに噂が広まり、騒ぎになった。
「何か手がかりなどあるか」
ノイマンはアイネアに問いかけた。アイネアは首を横に振る。
「……ない。『先に家に帰る』と言っていたくらいだ」
「……『家』、か」
ノイマンは何やら考え込んでいた。
「しかし、家からの一本道には居なかったぞ。まさか、森で迷っているとか……?」
時刻は既に日暮れに近い。
「どうしよう……どうしよう……!どこかで怪我していたら……!動けなくなっていたら……!」
アイネアの顔色が真っ青だった。
アイネアの取り乱しように、ノイマンは驚いた。今までふてぶてしかった彼女が、こんなに慌てているなんて。
「……大丈夫だ。きっと無事だろ」
月並みだが、アイネアを安心させようとした。
「大丈夫じゃないかもしれないだろう!」
だが、火に油だった。
「誰にも助けてもらえずに、また……」
アイネアが言葉を詰まらせ、
「クルトがっ……し、死んでしまったら……」
泣きそうな顔でうつむいた。
(『また』?……そうか、似たようなことがあったのか)
親族か、友だちか。ノイマンはそう考えた。まさか、クルト本人のことだとは夢にも思わない。
「アイネア、大丈夫だ。昔と今では状況が違う。俺もクルトを探す。必ず助ける」
「…………」
ノイマンはアイネアにしゃがみ、真っ直ぐ見つめる。アイネアはとっさに、「何も分かってないくせに」と怒りそうになったが、ノイマンの真摯な姿勢に、アイネアは鼓動が落ち着いていくのを感じた。
「クルトは必ず見つけ出す。だから落ち着け」
「……うん」
アイネアはこくりと頷いた。
その時、神父が走ってきた。
「ノイマン! 話は聞いたよ。クルトが帰ってきていないんだって⁉」
神父の後ろには、村の大人たちがそろっている。
「人を集めてきたよ。もう夜になる、みなで探そう」
「ありがとう、ブルーノ神父」
「クルトはもう村の大事な一員だからね、お礼なんていいよ」
「本当に……クルトを探してくれる……? 助けてくれる……のか?」
アイネアが不安気に神父を見上げた。
「もちろん。アイネアとクルトは、僕らの家族みたいなものなのだから」
「そうさ! この間も別の子が迷子になったのを、こうして探したんだ。こういうのは慣れっこさ」
一人の男が声を上げた。他の者たちも、大きくうなずいている。
「この辺りは私たちのほうが詳しいもの~。任せてちょうだい、アイネアちゃん」
服屋のおばさんも松明を灯した。アイネアがほっとした表情になった。
「ありがとう……!」
村の大人たちは松明を持ち、クルト探しに乗り出した。
「私も行く!」
アイネアが駆け出し、隊列に加わろうとしたところを、ノイマンが制した。
「クルトが帰ってくるかもしれねぇ。アイネアは家で待ってろ」
「し、しかし……」
「アイネアちゃん、一緒にお家で待ってましょ」
若いシスターがアイネアを安心させようと、にっこり微笑んだ。
「家でひとり待ってるだなんて、嫌だぞ……」
「大丈夫、お姉さんも一緒に着いているわ。ほら、クルト君はきっと、お腹を空かせて帰ってくるわ。ご飯の準備をしてあげないと」
「それは……そうだが……」
アイネアは落ち着かない顔をしていたが、シスターに手を引かれるまま、家に帰った。
アイネアを見送った後、ノイマンも歩き出した。懐から首飾りを取り出し、首にかける。彼が飾りを握ると、魔法の首飾りが白く光った。
「君はどこを探す? チームに加えてもらうといい」
神父に聞かれ、ノイマンは背を向けたまま答えた。
「俺は一人のほうがいい」
「まぁ、君なら魔物に遭遇しても大丈夫だろう。でも、無理だけはしないようにね」
ノイマンは後ろ手を振り、去っていった。ブルーノ神父はため息をつく。
(うーん、これは人の言うことを聞かないときのやつだ)
「はぁっ、はぁっ」
足が疲れた。
喉が渇いた。クルトは川辺にしゃがみ、両手で水をすくい上げる。大きく喉音を鳴らし飲み干した。きん、と冷たい水だ。頭がシャキッとする。
辺りがどんどん暗くなっていく。汗と共に、クルトに焦りの表情が浮かんだ。もしかしたら、道を間違えているのかも……?
確証はない。でも、進むしかない。
ちゃり、と音がする。ポケットから小袋を取り出した。ノイマンから貰った給金がずっしり入っている。クルトは硬貨を数えた。一枚、二枚……。ひとしきり数え終えると、袋をポケットにしまう。そしてぴょんっと跳ねるように飛び起きた。
「よしっ! 休憩終わりっ」
クルトは再び歩き始めた。
それから、どれ程歩いただろう。日はすっかり暮れて、月明かりだけが頼りだった。もう諦めたほうがいいかもしれない。そんな事を思い始めたクルトはふと、一点を見つめた。
「あの木……もしかして」
視線の先には、幹が二股に割れた木があった。
「うん、そうだ……間違いない! みんなで木登りした木だ!」
クルトは興奮して木に駆け寄った。幹を探ると、枝の折れた跡があった。覚えている。下の兄が足をかけたときに、折れてしまったものだ。
「じゃあ、ここ先が……」
クルトが森の奥に目を向ける。鼓動が高鳴った。
「帰れる……。あと少しで、帰れる……!」
そう確信してしまえば、あんなに疲れていた足も軽く感じた。
クルトは走った。枝に引っかかって腕が切れるのも気しない。
「お父さん……! お母さん……!」
この先に、クルトの生まれ育った家があるから。
広い畑を越えた先に、その家はある。風が吹けば倒壊してしまいそうな、ボロボロの家。夏は熱いし、冬は寒い。だが、生まれ育った懐かしい家だ。
扉の隙間から、明かりがこぼれていた。人が暮らしている証拠だ。
「…………」
クルトが家に近づくと、聞き覚えのある声が聞こえた。三人の兄と二人の姉。それに父と母。
クルトは玄関前に立った。
一言目はなんて言おう? ただいま、久しぶり、元気にしていた?
クルトは扉に手をかけた。
「キャハハ!」
大きな笑い声にビクッと驚き、反射的に手を引っ込めた。
(ん? 今の声、誰の……?)
小さな子どもの声だった。
クルトは息を潜めた。玄関扉に、隙間が空いている場所があるのを知っていた。そこからコッソリ、中をうかがった。
見知った顔の中に、知らない子どもがいた。幼い子だ。
(もしかして、僕の妹?)
「パパ、だっこー」
小さな足で、少女が自分の父親に駆け寄っていく。見たこともない優しい笑顔で、クルトの父が少女を抱き上げていた。
「よーしよし……おお、重くなったなぁ。お前ももう3歳だもんなぁ」
(3歳……)
3歳。3年前。
クルトが捨てられてすぐだ。
クルトの手から力が抜けた。小銭入れが、するりと抜け落ちた。ちゃりん、と音がして、クルトは我に返った。
「今、玄関から音がしなかった?」
一番上の兄が言った。
「ええ、そう?ちょっとあんた、見てきてちょうだいな」
「はぁい」
母親に言われ、兄が歩いてくる。クルトの隠れる玄関に。
幸い、今日は満月だ。魔法の首飾りの助けもあり、視界は良好だ。
ノイマンはひたすら歩く。
(もし……クルトが元の家に戻りたがっているなら、俺のしていることは無駄かもしれねぇ)
その時、川辺にうずくまる少年を見つけた。柔らかな栗毛の少年――間違いない、クルトだ。
彼は倒木に腰かけている。ぼんやりした瞳で、流れる川を見ていた。
「クルト」
ノイマンに話しかけられ、クルトはびっくりして顔を上げた。魔法の首飾りに照らされたクルトの顔色は、寒さで青白い。
「あれ、ノイマン。何でこんな所にいるの?」
「お前を探しに来た」
ノイマンはクルトの隣りに腰かけた。風が草木を揺らしていた。ノイマンが魔法で焚き火を作る。温かな火にクルトはほうっと息をついた。
「……アイネアに聞いたんだね」
「いや違う。お前、ちゃんと実家に帰るって言わなかったろ。アイネアのやつ、俺ん家に帰ると勘違いしてたぜ。おかげで村は大騒ぎだ」
「えぇ……そうなの? なんだか悪いことしちゃったなぁ。じゃあノイマン、よくここが分かったね」
「正直、賭けだったがな」
ノイマンは小枝を広い、焚き火を整える。
「お前がこの川の名前を聞いたとき、やけにこの川を気にしていただろう。それを見て、お前がこの川を前から知ってたんだろうと思った。アイネアはカーブ川を初めて見たそうだから、クルトがこの川を知ったのはアイネアと出会う前……つまり、実家の近くにカーブ川があったんだ」
「うん、そうだよ」
クルトは川の流れをじっと見つめていた。
「この川を辿れば、家に帰れると思ったんだ」
「それで、帰れたか」
「うん」
「……そうか」
「…………」
しばらく黙って、水の流れを眺めていた。月明りに白く照る水は、焚き火の温かい色と交ざり、光りを散らしている。
「……僕さ、末っ子なんだ」
ぽつりとクルトが口を開いた。
「ウチはお金がなくて。明日食べるにも苦労するんだ。兄弟が多いから、みんな助け合って生きてた。でも僕は一番力も弱くて、泣き虫だから……。だからある日、お父さんに言われて、お母さんが僕を捨てに行ったんだ。お母さんは、孤児院のある町に僕を連れていった。『もう戻ってきちゃ駄目よ』って」
クルトは膝に顔をうずめた。
「……お金があれば、会いに行けるかもって思ったんだ」
ノイマンはクルトの言っていたことを思い出す。
『勇気がわいてくる』
一度捨てられた家族に会いに行くための……。
(そのための“勇気”か……)
「……でも、ダメだった」
クルトが首を横に振る。
「お金を、渡せなかった。家に入れなかった」
クルトのすぐ傍に、給料の袋が置かれていた。
「妹が……産まれてたよ。会話が聞こえた。3歳だってさ」
「3歳……」
(クルトが捨てられたのが4年前ということは、クルトが居なくなった直後に産まれた子か)
「……幸せそうだった。お父さんも、可愛がってた」
「……」
「なんで? 役立たずの子は、いらないんじゃなかったの?」
クルトがぎゅっと拳を握りこむ。
「あの子は良いのに、どうして僕はダメなの」
声が震えていた。
「どうして僕は……捨てられたの」
「クルト……」
「ごめん、ノイマンに言っても仕方ないよね」
「いや、その……あー……」
「…………」
「きっと、お前の両親にも何か事情があったんだと思うぜ」
「…………」
「ほら、他所ん家の子を一時的に預かってるとかよ」
「…………」
「つっても、そう簡単に割り切れねぇよな……」
「…………」
「……クルト、家に帰りたいか? 本当の家族と暮らしたいか?」
「…………」
「アイネアはお前を連れ戻そうとしているが、お前が望むなら、俺は協力する」
「………………」
クルトはうつむいて、じっと黙っていた。瞳が揺れていた。
「………………」
ノイマンはクルトのことを慰めたかった。
「そ、それにしても、酷い親だな。ずっと迎えに来ないなんて」
ノイマンなりのフォローの言葉だった。しかしクルトはそれを聞くなり、がばっと立ち上がった。
「お父さんとお母さんのこと、そんな風に言わないでよ!」
クルトはノイマンをぽかぽか殴った。弱く、小さな手だった。
「お父さんとお母さんはすごく頑張ってるんだ! みんなをや、養わないといけなくて、お金がない中で……ひっく、頑張ってるの! お、お父さんとお母さんをバカにしたら……僕、僕許さないっ!」
「お父さんはすごいんだ! お母さんもすっごく優しい! お父さんはっ……おと、おとう、さ……おかあ、さん……! ううっ、うぁぁぁぁあああああああん‼」
クルトは今までせきを切ったように泣き始めた。今までずっと我慢していたものが溢れてしまった。ノイマンはそんなクルトを、じっと見ていた。
どのくらい時間が経っただろうか。声を上げて泣いていたのがすすり泣きになり、やがてノイマンに寄りかかったまま、クルトは寝ついてしまった。
ノイマンはクルトをおぶり、元来た道を帰った。辺りはすっかり暗いが、道を間違える心配はない。川沿いをずっと歩いていけば、必ず帰れる。足を踏み外して川に落ちぬよう、ノイマンは慎重に歩みを進めた。
「う……?」
途中でクルトが目を覚ました。
「起きたか」
「ごめん。降りるよ。重いでしょ」
「このくらい、何ともない」
とは言うものの、ノイマンは明らかに息が上がっている。
クルトは降りないと、と思った。同時に、この人がどれだけ自分を背負ってくれるのか確かめたくなった。
(途中で嫌気がさすかも。疲れて、放りだされてしまうかも)
「…………」
(でも、もう少しだけこうしていたい)
結局クルトは、黙ったままノイマンの背中で揺られていた。
ノイマンはずっとクルトをおぶって歩き続けた。運動不足の彼の足取りはおぼつかない。
(お父さんより細い肩……。ノイマンのほうが背が大きいくせに)
クルトはふっと笑って、滲んできた涙をノイマンの服に擦りつけた。
村の明かりが見えてきても、ノイマンは降りろと言わなかった。
「ノイマン、降りるね」
「ああ」
クルトはノイマンの隣りを歩きはじめた。
「……あのさ、僕が泣いてたこと、アイネアには内緒にしておいてくれる?」
「別にいいが……隠すほどのことでもねぇだろ」
「でも、アイネアには、かっこいいって思っていてほしいんだ」
そう言うクルトの頬は、ほんのり赤い。ノイマンは微笑んだ。
「わかった。約束だ」
ノイマンは拳をかかげる。
クルトも拳をかかげ、コツンとタッチした。
「……クルト」
「なに」
「先ほども言ったが、お前が元の家族と暮らしたいってんなら、お前の意志を尊重する」
「……うん」
「なにも、今すぐ決める必要はねぇ。お前の気持ちが定まるまで、俺ん家で過ごせばいいさ」
「……ありがとう、ノイマン。その、さっきはぶってしまって、ごめんなさい」
「気にすんな。俺も無遠慮なことを言った」
その時、遠くの空から声が聞こえた。アイネアの声だ。
「ク ル ト ー ! !」
「あっ、大声魔法だ」
「アイツめ、やっぱり留守番できなかったか」
二人は苦笑した。再び魔法による大声が聞こえた。
「ふふっ、早く帰ってあげようか」
「だな」
「クルト! クルト!」
アイネアはクルトを見るなり飛びついた。
「わわっ!」
クルトは倒れこみそうになったところを、踏ん張ってアイネアを抱きとめた。
「あははっ、アイネア泣いてる〜。ちっちゃい子みたい」
「ばっ、ばかもの! 心配したんだぞ!」
「うん……ごめんね」
「許さない! う〜、家まで運んでいけー!」
「えぇ~、僕も疲れてるんだけど~」
そう言いながら、クルトはアイネアをおんぶし直した。アイネアが落ちないよう、がっしりと抱えている。
ノイマンはシスターと話していた。
「村の皆へは、私から無事を伝えておきます」
「おう、ありがとうな」
「良かったです、クルト君が無事で。やっぱり二人がいると、賑やかでいいですね」
シスターの言葉につられ、ノイマンは二人を見やる。
「……ああ」
ノイマンの瞳が優しく細められたのを、シスターは見逃さなかった。




