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第14話 痛みの先に

「僕も、出来ることをしたい」


 アイネアが飛んで行った後、残されたクルトもルッツの家を後にした。


 ルッツの訪問がある前に二人でやろうとしていたこと――ご飯の準備に、クルトは取りかかった。きっと二人はお腹を空かせて帰ってくる。元気になるものを用意しておこう。



 クルトは町を進み、広場近くに戻ってきた。屋台を出している――確執のあるパン屋を目指す。


「……よく顔を出せたな」

 店主はぶっきらぼうに出迎えた。

「ノイマンが、ここのパンが好きって言ってたから」

 クルトもそっけなく返事した。

「……」

「僕も……ここのパンがこの町で一番美味しいと思う」


 クルトはグロング硬貨を見せた。

「お金は持ってる。これなら文句ないでしょ」

「……」

「……お金、ここに置いていくね」

 代金をカウンターに置き、出店のパンに手を伸ばした。

「――待て」

 店主の声に、クルトは止まる。

「……こっちのパンの方が焼き立てだ。これを持っていけ」

 店主は別のカゴに入ったパンを差し出した。まだ温かさが残る、柔らかなパンだ。

「! あ、ありがとう」

「ふんっ……」



 クルトはパンを落とさぬよう、しっかりと抱えた。

「やった、やった……!」

 高揚した気分に任せ、クルトは走る。

「ちょっとは僕も、役に立てたかな……えへへっ」


 その時、すぐ近くで怒鳴り声がして、クルトは身を強ばらせた。次に、馬のいななきが耳元で聞こえた。


 どん!


(え――)

 強い衝撃。感じたことのない痛み。視界がぐらりと揺れる。どこかで悲鳴が聞こえた。


「どうした!」

「こ、子どもが……飛び出て来て」

「ただの平民ではないか。早く屋敷に向かえ!」

「ですが、ご主人様……」

「ぐずぐずするな! 商談に遅れて損害がでたら、貴様の給料から差し引くぞ!」


 貴族の馬車は走り去ってしまった。


「ぅ……あ……」

(パン……落としちゃった……)

 薄れゆく意識の中、クルトは地面に転がったパンに手を伸ばした。馬車の車両に轢き潰されたパンは、土で汚れ、ひしゃげてしまった。


(あーあ、僕って、本当にダメだな……)



 体が重い。動かない。黒い泥の中に横たわっているようだった。気持ち悪い。寒い。


 痛い。痛い。痛い。


 ああ、これは夢だな。と分かった。だって、現実離れした光景が、広がっていたから。


 僕の上空にはきらきら光る欠片が漂っていた。その欠片一つ一つに、僕がいた。欠片の中の僕は、畑を耕したり、水を運んだりしている。

 一つの欠片に目を留めた。幼い頃の自分だった。手まめが痛くて、泣いている。後ろではお父さんが、そんな僕に怒鳴っていた。


――僕は、生まれたときから厄介者だった。


 お父さんは僕を毛嫌いしていた。末っ子の僕は兄弟たちの中で一番体が小さく、力が弱かった。

 畑の仕事も、僕が一番出来なかった。父さんはそんな僕を見るとムカつくと言って手を上げていた。


 僕は居てはいけない子なんだ、と思った。


 だから、お父さんの命令でお母さんが僕を捨てに行ったとき、僕は当然だと思った。


「戻ってきては駄目よ。あなたを食べさせる余裕なんて、ウチには無いんだから」


 孤児院に置き去りにするとき、お母さんは僕に何度も言い聞かせた。そんな心配せずとも、帰るつもりは無かった。そもそも幼い僕は、家までの帰り道を覚えられなかった。


 黒い泥に身体が沈んでいく。怖い。けど、泥に沈むごとに、痛みが和らいでいった。だから僕は抗うこともせず、ゆっくりと沈んでいった。


 僕を迎え入れてくれたのは当時の院長――アイネアのお母さんだ。


 記憶の中の院長は、いつも笑顔だ。孤児院の仲間も、みんな院長が大好きだった。たまにアイネアのお父さんが商談から帰ってくるときは、みんなでささやかなパーティをした。


 幸せだった。


 ある時、アイネアのお父さんの商談に、院長も同伴する機会があった。

「うぁぁん! 私も一緒に行く~!」

 アイネアはお母さんの裾にすがりついて、放そうとしない。

「もう、アイネア。無茶言わないの」

 僕は泣くアイネアの頭を優しくなでた。

「僕とお留守番していようね」

「ぅう~! うぁああん! クルト―!」

 アイネアはぽろぽろ流れる涙と鼻水を、垂らしたまま、僕に抱きついてきた。

「よしよし、アイネアいい子、いい子」

 頭をなで続けると、アイネアの鳴き声が小さくなっていって、しゃくりあげるようなものに変わった。

「もう泣くのはおしまいにしよう?ほら、一緒に遊ぼうよ」

「……うんっ」


「ふふっ、クルトもすっかり、立派なお兄ちゃんね。この子ったら、あなたのことが大好きみたい」

「うん、クルト大好き! クルトと遊ぶのが一番楽しいのー!」

 目元を赤く腫らしたアイネアに、笑顔が戻った。

「えへへっじゃあ留守番のあいだ、いっぱい遊ぼうね」

「うん!」

 僕らのやり取りを見て、アネモネさん――アイネアのお母さんは、優しく微笑んだ。


「クルト、私が居ない間、アイネアをよろしくね」


 そして二度と帰ってこなかった。


 アイネアの後見人として孤児院を引き継いだのは、院長の妹……つまり、アイネアのおばさんだった。おばさんは孤児院の資金だけが目的だった。僕らのごはんは半分に減らされた。言うことを聞かない子は、激しい折檻を受けた。


 特に正当な相続人――アイネアへの扱いは酷いものだった。


「あんたが死ねば、資産は正式にあたしの物よ。さっさと死んでちょうだい」

 おばさんは幼いアイネアに、平気でそんなことをのたまった。

 孤児院の子どもたちの中には新しい院長に気にいられるために、率先してアイネアをいじめる者まで現れた。


「お腹空いたよ……クルト……。どうしてみんな、私にいじわるするの……?」


 小さな手で、アイネアは涙をぬぐっていた。僕がどんなに頭をなでても、泣き止まなかった。


 だから僕は……。

「お母さんとお父さんに会いたい……。私も……居なくなっちゃいたいよ……」


『アイネアをよろしくね』


 彼女の手を引いて、逃げ出した。


 アイネアに幸せになってほしい。そのためなら、何だってしてやるんだ。


 でも、僕にはそれすらできなかった。幸せにするどころか、生きることすら必死だった。


 厳しい生活の中、アイネアは日に日に弱っていった。熱で倒れ、そして……何とか一命を取り留めた。


 ノイマンに引き取ってもらえたのは、本当に幸運だった。

 今のアイネアは、もう僕が居なくても大丈夫だ。

「……」


 いや、最初から分かってる。僕は居ない方がいい。アイネアが風邪で死にかけたのは、外に連れ出した僕のせいだ。おばさんに冷遇されているとはいえ、少なくとも住む家があった。ノイマンとの研究だって、僕は何も出来ていない。説明されてもさっぱりだ。


 僕なんか、死んだって……。


『クルトと離れ離れになるなら、どんな豪華な生活だってお断りだ!』


 声が雷鳴のように頭に響いた。

 そうだ、こんなところで死ねない。

 僕の上に漂う、欠片達。きらりと光ったそれに、君がいた。


 君の欠片は、すぐに見つけられる。一番キラキラ輝いているから。


 笑った君、怒った君、すねた君、楽しそうな君。

 そのどれもが、眩しい。


 泥の中で、僕はもがき始めた。身体に痛みが戻ってきた。やめろ、と本能が叫ぶ。どうせ、と理性が諭す。


――僕も同じ気持ちだよ、アイネア。

 どんな安寧の中だって、君が居なければ、意味なんて無いんだ。


 痛みを道しるべに、僕はもがく。この先で、君の笑顔に会えると信じて。




 クルトは目を覚ました。窓から温かな日差しが差し込んでいた。

 すぐ横の椅子では、アイネアが眠りこけていた。

「……アイネア」

「ん……」

 アイネアのまぶたがゆっくりと開かれる。

「クルト……?」

 寝ぼけていたアイネアの目が、ぱっと開いた。

「クルト‼ 目が覚めたのか! 良かった!」

「アイネアこそ、無事で良かった」

 アイネアがしゅんとした。

「ごめん……心配をかけてしまって」

「いいんだよ。それで、ええっと……これらは何?」


 クルトはベッドの周りに置かれている物を見渡した。


「みんなからのお見舞いだ」

「お見舞いって……僕に?」


「そうだぞ。この花はルッツとケイトから。この厄除けタペストリーは魔女のおばあさんから。パン屋のおじさんは、バケットをくれた。薬屋は治療薬を譲ってくれた。白銀の魔法使いクッキーもあるぞ。一番驚いたのは、カツアゲされていた男が医者で、クルトの治療を引き受けてくれたところだ! ……って、クルトは奴に会ったことないか」


 アイネアは一つずつ指さしながら説明した。


「貴族の馬車に轢かれたクルトを助けようと、みんな動いてくれたんだ」


「僕を……助けてくれたの?」


 クルトは目をまん丸にしている。

「そうだぞ」

 アイネアが微笑んでいた。その目に、温かい涙を浮かべながら。


「みんなが……助けてくれたんだ」


(私たちのしたことは、無駄じゃなかったんだ)


 アイネアとノイマンがクルトの元にたどり着いた時、既にクルトは、ケルティヘーゲイの人々によって介抱されていた。ノイマンと一緒に魔物を何とかしようとしているところを、町の人々は見ていた。アイネアとクルトは厄介な浮浪者から、町の一員に変わったのだ。


 もうクルトが冷たい路地裏で、孤独に死んでいくことは無い。残酷な未来は、変わったのだ。


 クルトが右手を伸ばす。優しくアイネアの涙を拭いとった。

「まったくもう、本当にアイネアは泣き虫だね」

「と、年を取ると涙もろくなるんだ! 大人の証拠だ!」

「うんうん、アイネアはお姉さんだもんね」

 クルトはアイネアの頭をやさしくなでた。


「でも、もう泣かなくていいんだよ。大丈夫、僕が君を守るから」





「もう帰るのか」

 ルッツが名残惜しそうに、二人を見つめた。


 あれから数日。クルトが動けるようになったので、三人は家に帰ることにしたのだった。


「うん。ノイマンの見立てだと、そろそろ雪が降るかもって。そしたら帰るのが大変になっちゃうから」

「ホォーヨメレットに向かう行商人がいてラッキーだったぞ。正直、あの道をまた歩くのはごめんだ」


 アイネア達は行商人の馬車に荷物を詰め込んだ。


「ノイマン、あのカッコいい白馬は、もう居ないの? ちょっとだけでいいから、僕もまたがってみたいよ」

「騎士に返した。元々、借り物だしな」

「あんなに馬で痛い目見たのに、クルトってばこりないな」

「えへへ……」


 クルトは寂しそうにしているルッツに向き直った。

「じゃあねルッツ。元気でね」

「お前らも元気でな。また遊びに来いよ!」


 荷馬車が動き出した。アイネアとクルトは、ルッツの姿が見えなくなるまで手を振った。

「……良かったのか? 何なら、お前らだけ町に残ってもいいんだぜ」


「ふんっ、そんなこと言って。私達が居なかったら、また昼まで寝てるぐーたら生活に戻ってしまうぞ」

「そーそー。教会に行くのもサボるしねー」

 当たり前のように語る二人。

「そうかよ」

 ノイマンは顔を背けた。緩んだ頬に気づかれないために。


「……んじゃま、これからもよろしく頼むぜ」


 荷馬車は丘をくだっていった。駆け回った町も、だんだんと遠ざかっていく。手のひらに収まるほど町が小さくなって、やがて木々に埋もれて見えなくなった。


 森の木の葉はすっかり落ちきって、いつの間にやら、すっかり冬も深まった。


 馬車はゆっくり進んでいく。ホォーヨメレット村に。温かい我が家の待つ、あの森に。

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